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先生と呼べる人

僕が毎週楽しみにしている番組の一つがNHK『プロフェッショナル 仕事の流儀』だ。

昨夜の放送は、NSCの講師で、漫才作家の本多先生の回だった。

めちゃくちゃ不思議な感覚になった。だって、いつもお会いしたら気さくに話しかけてくださり、アドバイスをくださる本多先生が、テレビの中にいるのだから。


学天即はNSCを出ていないので、本多先生の指導を、直接受けたことはない。しかし、NSC出身の芸人さんから、その名前はよく聞いていた。

「本多先生、バリ怖い。」

正直、良いイメージは持っていなかったし、その当時の僕の精神には、若さ故の『イタさ』と『トガり』がルームシェアしていたので、

『お笑いなんて教えられるもんちゃうやろ。どうせおっさんやん。何が怖いねん。』

と思っていた。今思えば、若干『イタさ』の方が、家賃を多めに払っているルームシェアだったと思われる。

初めてお会いしたのは、芸歴2年目か3年目に入った頃だったと思う。

我々が、当時の若手の劇場だった『baseよしもと』のオーディションに通り、劇場でネタをした日だったと思う。

ネタ終わりに大楽屋に帰ると、一緒に出演していた芸人たちが、小さなおじさんに、丁寧に挨拶していた。

『誰やろ?』

僕はその輪を無視して通り過ぎ、その先にいた芸人に聞いた。

「あれ、誰?」

するとその芸人が、

「本多先生やん。」

と答えた。

『ほぅ。やつが噂の本多先生か(ニヤリ)』

僕は、持ち前のイタさで、軽く挨拶をしたが、それっきりで大楽屋にドンッと居座った。今思えば、避難訓練でイキってるやつくらいダサい。

僕が何も考えず、携帯を見ていると、

「お疲れさん。」

と声がした。顔を上げると本多先生だった。

『そっちから来たか。いいだろう。受けて立とう。』

と思っていると、本多先生が開口一番、

「自分ら上手いな。めちゃくちゃ上手いわ。」

と言った。僕は拍子抜けしすぎて、変な声で、

「へ?あ!ありがとうございます。」

と言ってしまった。すると矢継早に本多先生が、

「ただ、あの部分もったいないで。あんだけ丁寧にネタフリしたんやから、一個のボケやなしに、かぶせて二個、三個ボケれるで。」

もう、僕は完全に呆気にとられていた。当時のネタは、今よりもツッコミ中心で、ボケの数など気にしたことがなかった。その作り方でオーディションは勝ち上がれたが、勝ち上がった人たちとの舞台を何度か経験しているうちに、

『このままではダメな気がする。でも、何がダメかわからない、、』

と悩んでいたからだ。さらに、本多先生は続ける。

「自分のツッコミやったら、1ボケ1ツッコミやったらもったいないで。数ボケられてもいけるわ。大丈夫。大丈夫やから、ツッコミはそのままいきや。」

と言われた。僕は、

『なんとか言葉を返さないと!』

と思い、

「あの、先生、僕らのネタ、今まで見てくださってたんですか?」

と、もはや降参の意味のマックス敬語で問い返すと、

「いや、今日始めて見た。」

と言われた。僕は心の中で思った。

『本多先生こわっ!』

その日から本多先生は、僕の中で本当の意味で、本多先生になった。


あと、本多先生を『こわっ!』と思ったのは、劇場横の立ち食いうどん屋さんの券売機に一緒にいるときに、小さな声で、

「ここに『かやくご飯』あったら完璧やのになぁ。」

とつぶやいたときだ。それを聞いた瞬間僕は、

『ホンマや!『おにぎり』と『おいなりさん』の中間があったら最高やのにと思ったことあったわ!その中間は『かやくご飯』やわ!この人、漫才の構成だけやなくて、立ち食いうどん屋のメニューの構成までできるやん!』

と恐れおののいたのを覚えている。

本多先生。

最近の僕らの漫才はどうですか?またお話聞かせてください。

あと、本多先生からの

「大丈夫やから。ツッコミはそのままいきや。」

というお言葉は、今も励みになっております。

励みになっているにも関わらず、今日の収録、スベりました。すいません。

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ガクテンソク 奥田修二
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