関東学生探検連盟設立のきっかけ ~1976年全国学生探検会議(2)~
1976年開催の全国学生探検会議では、今後の探検部発展の為の話し合いが行われた。まず初日には探検部の現状における問題点が以下の様に抽出された。
・時流に合わせた探検の行方を模索
・創立者レベルの人々の意図と現在への影響等について対談形式で話し合いの場を作る
・ホンネとタテマエのギャップ矛盾について
・学生らしい学術探検とは
・個人でもいけるところへなぜ隊を組んでいくのか
・海外遠征に出るにはどのような形がよいか
・学生にできる範囲とは
・組織の維持と個人とのかねあい
・探検活動に必要な資金の集め方及びスポンサーに関して
・組織をどう維持するかではなく、なぜ組織を維持しなくてはならないか
・我々の活動をどのような形で発表していくのか
・報告書は出す必要があるのか
・女子と探検について
これらの問題点を踏まえ、二日目には以下の五つの分科会を開き、討論が行われた。
第一分科会 探検部のあり方
第二分科会 組織について
第三分科会 探検と金とスポンサー
第四分科会 報告について、探検部退部者の新しい動き
第五分科会 これからの展望
ここからは五つの分科会で話し合われたことを下に、それぞれの問題点について考察していく。
〈第一分科会 探検部のあり方〉
会議では当時の部の現状として探検の意義について疑念を持っているように思える。当時から山班・川班・洞窟班といったジャンルごとにやる人を固定する「パート制」が取られている大学もあった。そのような大学では、同じ人間が同じ事をし続けることで、そのジャンルの活動をおこなうこと自体が目的かしてしまい、部員の探検志向が薄れ、活動がレジャー化しているという。それが進みレジャー化が進んだ部においては部の看板を変えて「冒険部」・「何でもやる部」という風にしたらどうだろうかとの意見も出た。またある大学は、パート制ではなく各々の企画を持ち寄り、参加者を募る企画制をとっているものの探検のテーマが見つからず行きづまっているという。
では改めて探検とはなんだろうか、という所に議論は移る。探検とはだれもやっていないことをすることであろう。では誰もやっていない事であれば、川下りやケイビングも探検と呼ぶことが出来るのだろうか。その行為自体が目的となってしまっていては、探検と呼ぶことはできない。自らがフィールドで体験したことを社会に還元するというのも探検の重要な要素としてある。しかし、これまで探検部が行ってきた探検が今後もできるだろうか。探検部が誕生した50年代と70年代とでは状況がまるで異なっているため時代に合わせた探検の在り方が必要だろう。
では今後の探検部はどのような方向性で運営していくべきなのか。これは各大学の探検部が組織として独立しているため、他大学の探検部が決めたその部の方針に口を出すことが出来ない。しかし、探検という言葉の曖昧さゆえに共通の基本理念が築くことが出来ないにせよ、「探検部」であるのだから、何かしらの形で「探検」を志すことは忘れてはならないだろう。
以上が第一分科会で話し合われた内容である。この話し合いで問題となっている部分は現在でも解決していないし、今後もこれらの問題が完全に解決することはないだろう。それはこれらの問題は探検部という組織の根本的性質に関わっているからだ。探検はもともと手段であって目的ではないのに、探検部はそれを目的に据えている。未知をフィールドに出て確かめて、それを社会に還元するのが探検であるにしても、自分の解明したい未知が何なのかわからない人が多い。だから自分がするべき探検とは何なのかと悩む。
会議が行われてから40年以上が経った。確かに社会の状況は大幅に変化したかもしれないが、それを言い訳にしてはならない。時代が変化しても探検の根本は変わらない。探検は社会の外に出てそこから新しい何かを社会に持ち帰るという行為であり、時代によって社会の内に取り入れられるものもあれば、忘れ去られて外に追いやられていくものもある。枠が変形しても、常に社会の外側にある未知は存続し続けるのだから、その時に社会の枠の外にあるものを探検していけば良いのではないか。
大半の学生探検部員の探検へのモチベーションは脆いもので、ロマンはあるが地味で面倒なことも多い探検より、行動自体に手軽な面白さがあるレジャー活動に流されてしまいがちだ。さらに大学での4年間というのは、探検を行うには短すぎる。4年間+αで探検ができたと思って卒業する人は少ないだろう。学生の浅はかな知識と経験では学術的探検を行うには大きな労力が必要だし、それに4年間費やしたからと言って意義のある探検ができることの方が少ないだろう。とはいえ、探検部が探検部である以上、探検部員が探検家の末席である以上、「探検」を志し続けなければならない。探検部が探検をしなくなったら、それはもう「探検部」ではないのだから。
文責;辻 拓朗(法政大学探検部)