学生探検記録:中国洞天福地編part6
9月13日に天台県から仙居県へと高速バス移動する。ホテルを探して、本屋で仙居県の地図を購入する。中国で市販されている地図は大体観光地図であり、地形図はない。この町でもそうだった。我々が日本から持ってきていた地図は、国立国会図書館で見つけたもので100年前に日本軍が測量した縮尺5万分の1の地図であるが、それは信用できない地図だった。というのも、中国出発前の段階で、衛星写真とこの地図を重ね合わせてみると、山頂や尾根のずれが目立っていたからだ。土屋氏が言うには、「割と合っている所もあるけど、場所によっては精度がひどいところもあるから。あまり信用しない方が良い。」らしい。また、「この地図は日本軍が中国を侵略した時に作ったものだから、地図作成の背景を考えると、中国にも公表する論文には使うことはできない。」という。確かに地図の枠外には陸地測量部参謀本部と書かれている。
翌日、タクシーで第10大洞天の括蒼洞を訪れた。括蒼洞は凝真宮という道観の内部にある洞窟だ。構造としては、岩壁にぽっかり穴が空いているが、それが括蒼洞である。その岩壁にくっつく形で凝真宮を建ててある。そのため、括蒼洞は凝真宮の一部のようになっているのだ。また、その凝真宮はここ10年ほどで建てられたものであり、それ以前は岩壁から100mほど離れた所に凝真宮は建っていた。旧凝真宮は建物の老朽化のため、取り壊されたという。
凝真宮に着くと、20代後半の歳と思われる、ニートみたいな道士がスマートフォンをいじっていた。背は180㎝くらいのやせ形で髪が肩くらいまで伸びており、ひげが生えていて、眼鏡をかけている。話しかけると面倒くさそうに「今忙しいから・・・」というような感じで戻ってしまった。土屋氏から凝真宮の長である道長の名刺を頂いていたので、土屋氏の教え子だと言ってそれを見せ、道長に会えないかと言うと、不在だと言う。「では話を聞かせてもらえませんか?」と聞くと、「道長に電話してみたら?」と返される。面倒臭っているのを全面に感じる。そこで道長に電話をかけてみると、不在であったことを丁寧に謝られ、そばにいる道士に代わるよう言われる。道士に電話を代わって、2分ほど話すと道士は電話を切り、「道観内を案内する。」と言って、一通り見学させてくれた。
見学の途中でところどころ質問をすると「わからない。」と言われることが多くあった。彼は3年ほど前にこの道観に来たようで、詳しいことはよく知らないようだ。彼の個人的な事を聞いてみるとよく答えてくれた。我々「どうして道士になったんですか?」道士「神仙のようになりたいからだ。」我々「神仙とはどのような存在ですか?」道士「人間より一つ次元の高い存在。人間が三次元だとすると、神仙は四次元だ。」我々「・・・(良くわからない。)」道士「煩悩や感情にとらわれず生きるんだ。」どうやら彼の目指す神仙は不老不死や飛行など伝説上の仙人が持つ身体的超能力を得た存在ではなく、精神的な超越を目指しているようだった。我々「神仙になるためにどんな修業をしていますか?」道士「生活が苦しく、働かないと生きていけないから修業をする暇がないが、毎日お祈りと昔の道士が書物を読むことはしている。」確かに道観見学の途中、工事現場の若者みたいな人達が通り過ぎた。聞くと彼らは道観の修繕をしていて、我々に対応してくれたニート風の道士は留守番をしているらしい。
「この道観に宿泊することはできるだろうか?」と聞くと、「それはできない。犯罪者が一般人と偽って道観に入り、身を隠すということが最近は多く起きていて、今は道観に一般人を宿泊させてはいけなくなったんだ。」と言う。できれば迷惑にならない程度に彼らと寝食を共にして彼らの生活を観察したかったが、仕方ない。
洞天福地である括蒼洞も案内してくれた。洞窟の前に柵があるが、中へ入って良いか聞くとあっさりOK。ただ洞内の神像の写真は撮らないでくれてという。洞窟は洞口から20mほどは大きなホールになっている。ホール部分の底部は部分的にタイルが敷かれ、コンクリートで固められているところもある。このホールでよく集会を開くらしい。高さ3m幅10m弱ほどだろうか。ホールの壁には緑色に変色していて、壁が削られているところがあった。聞くと、昔の修業者がここで錬丹を行っていたという。
錬丹は道士が不老不死の薬である仙薬を作る錬金術だ。特に水銀などの金属を使った薬を作るため、歴史的にはかえって寿命を縮めてしまうことが多々あった。中国の皇帝は晩年になると仙薬を求めることが多かった。水銀中毒で死んだ始皇帝なんかの話は有名かもしれない。
ホールの奥には洞口から見て斜め右方向に支道がある。これは幅2m高さ2mほどで先に行くにつれて細くなり、奥へは20mほど続いていた。支道内には石積みの階段や線香台等が設置されていて、金の針金でできた龍も置かれていた。この置物の下から10年ほど前に本物の金でできた龍のオブジェが発見されたという。昔の皇帝が儀式のために用いて、凝真宮に寄贈したものだそうだ。そういう発見を自分たちの手でできれば興奮するんだろうなあ。
一通り洞内を見た後に、道士に洞内を測量しても良いかと聞くと、またしてもあっさりOK。道教学者の土屋氏がこの地に調査に来た際は洞窟内部には入れてくれなかったというが、ルールが変わったのか、それともニート風道士が勝手に許可しているだけなのか。わからないが、測量させてもらう。
今回測量に使った道具は、通常の洞窟測量で使われる道具ではない。それらを第一持っていないし、中国は洞窟なんかの測量について厳しいからだ。公安に荷物検査をされた際に、見るからに測量道具とわかるものが入っていれば、スパイ容疑をかけられかねない。今回はカメラの三脚に水平器と分度器とコンパスをくっつけてポイントからポイントに水糸を張ることで、方位と傾斜角を出し、20m巻尺とコンベックスでポイント間の距離と横幅縦幅を計測した。これなら測量の度にバラして、部品ごとに分担して持ち運ぶことが出来る。これでも既製品のコンパスが見つかるよりはマシかと思ったが、巻尺やコンベックス、水平器、コンパスなんかが単体で見つかるだけでも相当怪しい日本人であることは間違いなしだ。だから飛行機や列車の荷物検査の時は結構びくびくしていた。でも中国の荷物検査はザルなので、引っかかることは一度もなかった。
測量が終わると昼頃で、その後は道士が忙しくなるようなので、凝真宮を後にした。別れる前に、周辺にある錬丹の跡がある16の洞窟について何か知らないかと尋ねるが、聞いたこともないようだった。16の洞窟についての話はこの道観の道長の話によるものだが、道長はしばらく帰ってこないという。周辺の村で聞き込みを行うことにした。
文責:辻 拓朗(法政大学探検部)