学生探検記録:中国洞天福地編part4
9月10日、天台での洞天福地調査2日目である。昨晩の作戦会議により、この日は沢の途中にある刻文の再撮影と(刻文がかすれていて、昨日の撮影した写真では文字を読み取ることが出来なかったが、光の当て方によっては文字を読み取ることができるのではないかと思ったため)、刻文がある岩壁の上にあると言われている洞窟を探すことになっていた。
天台市街からタクシーに乗って、桐柏宮まで行く。天台に居る間はずっと同じ運転手に送り迎えをしてもらっていた。中国のタクシーは市街内を移動するものは料金が決まっていることもあるが、郊外に行く場合の料金は交渉による。また、我々が行くような客のいない郊外へ行くと、客のいる市街まで戻る手間がかかるので、郊外まで乗せることを拒否する運転手も多い。そのため、通訳の宋に電話で交渉してもらい、良心的なドライバーが見つかれば、その人に次の日の送り迎えも頼むことが多かったのだ。
桐柏宮に着くと、昨日お世話になった道士に挨拶を済ませ、念のため洞窟を探しに行くことを告げる。洞窟を探していて地元の人とトラブルになった場合に、道士の後ろ盾がある方が安心だからだ。昨日歩いた沢であるが、今日は学生だけということがあり、村人に絡まれたりしないか不安が大きい。車道から沢へと畑道を通る時も人が見ていないのを確認しながら歩いて行った。体感的に昨日の半分くらいの時間で刻文のある岩壁に着く。まず写真撮影だ。薄暗い博物館で展示を際立たせる感じに、下からライトで照らしてみる。読み取りづらいが、ところどころ肉眼で文字が確認できる。これまでろくにカメラを持ったことがない私が、おニューの一眼レフカメラをいじって、いろいろな明るさで取ってみる。読み取れない字もあるが、昨日の写真よりは全然良い。
写真撮影が終わったら、次は洞窟探しだ。洞窟は岩壁の上にあるという話なので、登れそうなところを探す。昨日の村人の話では「昔は道があったが、もう行く人がいないため、道はなくなった。」と言っていた。それでも断崖絶壁というわけではなく、ところどころ木も生えているので、それをつかみながら登って行けそうに思える。通訳の宋を沢で待たせ、辻・山崎・関で登れそうなところを登ってみると、案外登って行ける。しかし登りきるまであと3mほどのところまで行けたが、それ以上進めない。普段行っているクライミングであれば躊躇なく行けるような所であるが、この活動には登攀装備を持ってきていなかった。足を踏み外したら無傷では済まないだろうし、これ以上進むと確実に降りられなくなる。そう思い、引き返した。違うルートを探してみると、岩壁の場所から30mほど沢を下ったところは下が土で木が生えた45度くらいの傾斜になっていた。岩壁の上への道をあったならここ以外にないように思えた。ここから登って行き岩壁の上に出たが、藪が濃くて進めそうにない。一歩足を踏み外せば、沢まで10mほど落下しそうだ。結局ここも断念した。
洞窟発見を諦めて桐柏宮へと逃げかえった。タクシーが来るまでの間、桐柏宮でお茶を頂きながら道士と話をしていたが、このお茶がとんでもなくうまい。聞くと、お茶を入れてくれた人は修行者ではなく、ここでお茶と絵の先生をしているという。お茶は自ら近くの山で取ったものらしい。どっかの社長が彼女のお茶を気に入って、社員のために茶葉を百袋買って帰ったことがあるという。お茶のパッケージには「道茶無味」と書いてある。「道の茶には味がない。だから人によって感じる味が異なる。」らしい。ちなみに茶葉は日本円で一袋で千円くらいだ。中国の物価において千円は安くない。しかし、舌が馬鹿な我々が飲んでもこのお茶はうまいこと。しかも、ここでは無料で何杯でも飲ませてくれる。うまいので、おちょこのような小さい器がすぐに空になる。その度にお茶の先生が無言でお茶を注いでくれるのだ。「ああっ、すいません・・・」と思いながらも「謝謝。」と言ってついついもらってしまう。昼下がりの中国の道観で、おいしいお茶を飲んで道士と話しながらまったりするのは最高の贅沢だった。
天台での調査四日のうち二日が終わった。沢の途中の洞窟以外にも洞窟があるのか確かめるため、三日目、四日目は村人への聞き取りをしながら、情報が得られ次第、洞窟調査に移行することになるだろう。桐柏宮とは一つ山をはさんだ所にある「洞天村」という所は怪しい。気になるのは国会図書館で入手した100年前の5万分の1の地形図では「洞」天村と表記されているが、baidu mapでは「桐」天村とされている。でも洞天福地とは何か関係があるはずだ。もしかしたらこっちに洞天福地があるかもしれない。
文責:辻 拓朗(法政大学探検部)