瀬戸内海横断記 part3

気分は村上海賊②

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 潮流がその勢いを次第に失わせていくように、僕らの興奮も次第に冷めていった。数分前には、確かにあの鼻栗瀬戸で追潮にのって、大三島橋の下を通ってきた。しかし、今思い返してみると、それはまるで日常の中で、突然嵐が襲ってくるかのような、どこかリアリティーに欠けていた。さっきまでの出来事は、今ではおぼろげな夢のように霞んでいる。思考が停止した僕は、目の前の島をぼぅっと眺めていた。そこへちょうど真夏の太陽が、雲の切れ間から地上に降り注ぎ、僕はふと我に返った。

 カヤックは、伯方島と大島の間を鵜島方面に航行している。気づけば、潮の流れがなくなる「潮止まり」がはじまり、「せとないかい」という響きから連想される波のない穏やかな海そのものになっていた。つまり、僕らのタイミングは少し早かったのだ。この教訓を次の船折瀬戸で生かしたい。そんな船折瀬戸は、あと3 kmほどであり、目と鼻の距離だった。しかし、この潮止まりはあと10分もしないうちに終わる。さすがにそんな短時間で行ける自信はなかったので、僕らは4時間後の潮止まりまで、のんびりと待つことにした。

 僕は、後ろに横たわって空を見上げた。真っ白な夏雲は、少しずつ形を変えていき、時の流れを具現化したかのように、ゆっくり、ゆっくりと、どこかへ行ってしまう。そして、カヤックは揺れる。一定の波が規則正しく船底に当たり、メトロノームの針が50bpmのテンポを刻むようにゆったりと揺れる。瞳を閉じれば、まるでハンモックそのものだ。そこに、どこからか来た8月の優しい風が、潮の香りと共に僕を包み込んだ。

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 突然Aが僕の右肩を叩いた。現実と夢の狭間にいた僕は、ライフルに撃たれたシカのように高く飛び跳ねそうになった。

 「釣りをするぞ」

そうAは告げると、伸ばしたリールで仕掛けを目の前の海に勢いよく投げ込んだ。

突如始まったカヤックフィッシングは、貴重な動物性タンパク質の確保をめぐる貴重な漁であった。手持ちの食料は、どれも熱湯で温めて作る人工的でどこか味気のないレトルトばかりであり、2人は新鮮で天然な食料を欲していた。しかし僕は、肝心のエサの存在を知らない。

「エサは?」

そのまま尋ねると、透明な液体が入ったペットボトルを渡してきた。覗いてみると、5 cmほどの10匹のボラの稚魚「イナッコ」が窮屈そうに泳いでいる。僕は狐につままれたような不思議な気分に陥った。ここ数日、ほとんどAと行動を共にしているのに、これほどの数の小魚をいつ捕まえたのか、僕は知らない。Aはカヤックと釣りのことになると、時折常人の壁を悠々と超えることがある。そんな彼に畏敬の念を抱きながら、持参した竿を取り出すことにした。そして、たぶん瀬戸内海産であろうイナッコをエサに現地調達を始める。

 眼前には、どこまでもブルーな紺碧の海と灰色がかった薄い黄色をした磯場が広がっていた。それは、夏の光に照らされて油彩画のような立体さで限りなく澄んでいた。僕は、釣り糸の先を 睨みながらその瞬間を待った。しかし、潮が動き始めるとカヤックは流されるので、渋々パドルで対応した。その度にアンカーを忘れたことをひどく後悔する。そんな中、初めのアタリはAだった。赤と黒で塗られた15 cmほどのカサゴは、海中から飛び出して、釣り糸に垂れながらも激しく暴れて、空中を彷徨っていた。

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 その姿は最後の抵抗であり、生命の輝きそのものだった。そこには、儚なさと脆さの二つが同時に存在していた。僕は、輝きを失ってゆっくりと硬直していくカサゴを見ながら、あらゆる生命の終着点が同じである事を実感した。気づけば自分の終着点が、どのようにしてやって来るのかなんとなく想像している。ジェームズ・ボンドみたいに、放たれた核ミサイルを待ちながら、 じっくりと「その時」を受け入れるのか、ジョン・F・ケネディみたいに、突然頭部がミンチになるのか。結局、僕には何一つもわからない。だからその時を、気長に楽しんで待つ事にした。きっとその方が人生で一番楽に違いない。

 Aは腕時計を見ながら言う。
「もう2時間ぐらい経っている。そろそろ終わりにしよう。 」
僕は、時間の概念をも たないアモンダワ族を崇拝しているためか時計が嫌いで、腕時計をするな んて以ての外だった。だから、Aはタイムキーパーをやりながら、一人の社会不適合者の時間も正確に管理していた。既に僕は、大きめのササノハベラ1匹を釣り、A は、大小様々なカサゴ 3 匹とメジナ1匹を釣った。5匹の釣果は、2 人には十分すぎる収穫だった。A は、ペットボト ルの蓋を開けると、残った3匹のイナッコを解放した。
「さようなら」
彼らは、何事もなかったかのように迷う事なく泳いで行き、海の彼方へと消えた。

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 Aの提案で、この先の伯方ビーチで一旦上陸する事にした。そこで釣った魚を干物にする準備をするそうだ。ビーチの端の左右は、コンクリートの堤防で海と隔離され、中央は大きく口を開けるように広がり、海水が行き来していた。小さいこのビーチでは、何組かの子供とその親が海水浴を楽しんで、夏休みの思い出真っ最中だった。そこにやってきた突然の訪問者は、そんな子供達を少し驚かせた。ある者は遊びをやめ、じっと上陸する彼らを観察し、ある者は海から砂浜へと足を動かした。個人的には、もっと驚いて欲しかった。エイリアンと未知との遭遇を果たすように。だけど、僕らがビーチへ上ると、その周辺にいた人々は、大人までも蜘蛛の子を散らす みたいにどこかへ行ってしまった。地球に降りたった孤独なエイリアンの気持ちだけは、わかった気がする。早速Aは、簡易的なまな板とサバイバルナイフを取り出すと職人の手さばきのごと く、あっという間に5匹の魚の開きにしてしまった。僕がやった事は鱗取りぐらいだ。そんな魚達をAは、干すためにビニールひもに通して、カヤックの後方で固定された棒になびく赤い旗のもとに器用に吊るした。

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 やることを終えた二人は、砂浜に腰を下ろしてこれから行く海を見つめていた。
一息つくとAは、僕へ話かけた。
「船折瀬戸って、確か漢字で船が折れるって書くんだよな」
「そうだった気がする」
「じゃあ、きっとそれはヤバい瀬戸だね」
そっかとため息交じりに答える。
いつのまにか刻々と迫る船折瀬戸突破への緊張は、さっきまでの二人の陽気な空気に取って代わっていた。僕は、気持ちを落ち着かせるために深呼吸をしてみた。だけど何も変化は起こらず、空では雲が流れ、海は青く、さざ波の音が響き渡る。そして時は、ただ流れていった。
(続く)


文責 庄子隼人(日本大学探検部)

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