学生探検記録:中国洞天福地part3
9月9日、活動開始三日目である。洞霄宮村から天台県に移動した。この県は北東部に天台山という山塊があり、それがこの県の三分の一ほどの面積を占めている。この地は古くから道教と仏教が勢力争いをしていた地だ。この地の仏教は日本にもゆかりがある。9世紀、天台山にある国清寺で修業をした最澄が日本で開いた教えが天台宗であるからだ。また市街地から国清寺に行く途中にある赤城山は済公という人物を祀っている。現在の天台は観光業が盛んだが、観光客が訪れるのは大体この二つだ。タクシーの運転手に国清寺の近くにある桐柏宮という道観(道教の寺院)まで送ってくれと頼むと、「なんであんな所に行くんだ?」と首を傾げられる。「国清寺と桐柏宮に行く人び割合はどれくらいですか?」と聞くと、「99パーセント国清寺に行くね。」と返された。
この地における洞天福地(道教の聖地となっている洞窟)の場所と名前はわかっていない。第27小洞天の金庭洞がおそらくここに位置するのだが、断定はできていない。洞天福地の傾向として道観の近くで、山の麓のあたりにある場合が多い。それは修業の場でもある洞天福地を道観が管理するためであり、道観の近くでなくては管理ができないためだ。さらに、この地は少し特殊な場所でもある。桐柏宮は洞天福地を制定した6世紀の道士である司馬承禎が修業をしていた事もあるところだ。司馬承禎と関連のある土地の洞窟が洞天福地となっている所は他にもあるため、桐柏宮の近くにも洞天福地があると思われる。
道教学者の土屋氏、森氏、桐柏宮の道士と合流して、洞窟へと向かう。道士が知っている洞窟は玉霄峰という山にある沢の途中にあるという。川沿いに建つ桐柏宮から北東へ1キロほどさかのぼった路傍に畑があり、その畑道を抜けて北西方向に進むと沢があらわれる。ところどころ道標となる赤テープが木に括り付けてある。目立った滝はなく、沢歩きのような感じだ。時々2mほどある岩を登らなくてはならないが、土屋氏や森氏でも登ることが出来るほどのものだ。またボロボロの布がよく落ちている。1時間半ほどさかのぼっても洞窟は見つからない。そこで4mほどの高さがある滝があらわれ、右岸に滝を巻く道を見つけたが、傾斜がきつい。土屋氏、森氏、道士たちはその場で待機することにし、辻、山崎、関の三人で先へと進む。洞窟が見つからなくても40分以内に帰ってくることを決めた。周囲に洞窟がないか注意しながら沢を歩いていく。本当に探検しているだなあという気分になり、気持ちが昂るが、20分ほど歩いても洞窟は見つからない。あきらめて待機組の元へと戻ると、見知らぬ人が土屋氏と話していた。どうやら周辺の村人らしい。この村人が「すごいものがあるからこっちに来い。」と言うので、皆でついていくと、土屋氏らが待機していたところから3分ほど戻った岩壁があり、その岩壁には三行の文章が刻まれていた。相当古いものなのか、文字がかすれていて、なんと書かれているか肉眼では読み取れない。試しにカメラで撮影してみるも良く見えない。土屋氏は「これは大発見だ‼この字体や内容がわかれば、この周辺に洞天福地がある証明になるかもしれない。」と言う。
実は洞天福地があるといわれている玉霄峰は、天台山の中にもう一つあってこちらは天台山の中でもちょっとした観光地になっている。中国において最も有名な詩人の李白が玉霄峰について詩を残していて、李白が詩を読んだ場所はそこだと言われているからだ。土屋氏によると、現在観光地になっている玉霄峰は李白の詩にあやかって呼んでおり、本当の玉霄峰は我々が刻文を見つけた所だろうとのことだった。
その後桐柏宮の裏山にある道観跡に連れて行ってくれるというのでついて行った。そこには、サッカーコートより一回り大きいくらいの草地が広がっており、建物の基壇のようなものがところどころ残っている。「ここは風がないのに空気の流れがあって気に満ちた所だ。」と土屋氏が言う。確かに、木や草は全く揺れていないのに、山の中と比べて多少涼しい。案内してくれた道士にここの遺跡について詳細を聞くが、道士も詳しいことは知らないと言う。
この日の夕食は土屋氏と森氏と一緒にいただき、いつもお金をケチっている我々には手を出さないようなちょっといい料理と酒を両氏と楽しませてもらった。記憶に残っている会話は、この地域の方言についてだ。通訳の宋がこの地域の年配の方の方言が聞き取れない話をすると、「沢に行く前、車道から畑道に入っていくときに地元の年配の女性が声をかけて来たじゃない。その人方言きつくて何言ってるかわからなかったでしょ。ニュアンス的に危ないから行くなって言っているような事はわかるんだけど。俺あれ録音しててさっき聞いてたんだけど、何回か聞けばその法則性がわかってくるんだよね。中国語では基本的に小さい「つ」ってないんだよね。だから中国人は「ニッポン」とか「いっぱい」とか言えない。「ニポン」「いぱい」になっちゃう。でも録音効いてると、その「ッ」っていう詰まる音が結構出てくるんだよね。こういうのを各地に行ったときに知るのはおもしろいよね。」
なるほど、そういう発見もあるのか。せっかく地元の人と話す機会があるのだから、洞窟のことだけを考えずに、もっと視野を広げなくてはならないなあ。
この日で道教学者の土屋氏と森氏との行動は終わりである。翌日からは学生のみで洞天福地の調査を行っていく。この地での調査はあと3日間ある。目標は洞天福地と思われる洞窟の情報を集め、洞窟を見つけ出し、その内部調査することだ。
文責:辻 拓朗(法政大学探検部)