関東学生探検連盟設立のきっかけ ~1976年全国学生探検会議(5)~
1976年全国学生探検会議での第4分科会のテーマは、「活動報告の意義」と「探検活動を行う退部者について」であった。
探検部の活動には必ず報告書が作成される。探検活動は自己満足に終わらず、社会的意義を持つべきものであるからだ、というのが大義名分である。しかし実情は違った。報告書をどこにどう発表して良いかわからず、部内で保存するのみ。もしくは、そもそも報告書を作成していない。自分の大学の報告書は外に出さないのに、他大学の報告書は欲しがる。学術的な活動報告を読むより冒険的な活動報告より面白い。というような問題点が挙がった。
2020年現在もこの問題は解決されずに続いている。これらの原因は、大多数の探検部員がそもそも探検活動をできていない、もしくは、行おうとしていないことによるものではないだろうか。なんらかの探検活動をすれば、その活動にどのような意義があるかを行為者は知っているはずである。また、どんな学術的意義があるかわかっていれば、その報告をどこに発表すべきか、ということは明白なはずだ。また、社会に発表できるものを他大学の探検部に見せられないことはないだろう。
しかし、探検活動以外のレジャー的な活動であれば、報告書が不要というわけではない。組織の実態は実績でわかる。探検部の場合、その実績が報告書である。身内で完結している間はなくても良いのかもしれないが、実績を示すものがないと、部外との関わりが気づけない。さらに、当たり前のことだが、探検部に属して活動に行くということは、計画を部で審議し、部から装備を借り、有事の際は部で対策本部を立てるわけである。そのため、部に対しても部に対しての報告は必須であるだろう。
現在の探検部においても、これらの問題は続いている。大半の計画において独自性がなく、他人の活動の焼き直しであるために、報告書を作っても意味がないのかもしれない。近年の活動報告を見る限り、探検と呼ぶことが出来る活動は滅多に存在しないし、そもそも探検を志していない、アウトドアサークルと化した部もある。それらの部の方針や運営を非難する気はないが、部の理念と過去を振り返り、今後の部の方針について改めることをしても良いのではないだろうか。
現在に限ったことではないが、過去資料の管理方法も問題として挙げることが出来る。創部から、計画書・報告書を保管してきたのであれば、相当な量の資料が存在するはずである。それを活用できれば、活動を企画・計画する際に参考にできるかもしれないが、私が関わっているうえで、自分の大学探検部の過去の活動について詳しく知っている人はほとんどいないという私の主観的印象から、過去資料を活動に活用できるほどに整理をできていない所は多いだろうと思う。今の時代、登山や川下り、ケイビングなどの記録については、書籍やインターネットで得られる情報も多い。実際にそれらに掲載された活動の焼き直しは多い。それを基にして独自の活動に展開できれば良いのだが、そのような活動はあまりない。この独自性のない活動の報告の意義は薄い。「探検部」の活動の大きな特徴は独自性にあると私は思っている。探検を文字通りに理解して広義で捉えるとすれば、「探し検べる」ことである以上、そこには「探し検べる」対象となる未知が存在しなくてはならない。その未知をどこに設定するかという点で独自性が必要になる。
探検部員でなくても探検活動は行うことができる。当時は個人で探検活動を行う者の動きが目立っていたようだ。この事実は探検部の存在意義を改めて考えるきっかけになった。探検部に属さず探検活動を行うケースとしては、自分の通う大学の探検部では探検活動ができないという理由で退部した者が出た大学があったことが挙げられた。また、自分の突き詰めたいことの方向性が決まり、その道を究めるために退部した者が出た大学もあった。
探検部に入部する人間に、初めから「ここを探検したい」という風な目標を持って入る者はほとんどいない。山岳部やワンゲルより緩くアウトドアをやりたいか、探検のイメージに漠然としたロマンを感じて入る者がほとんどであろう。そもそも探検したい対象が決まっていれば、専門的にその対象について勉強して、有識者と個人的に行うだろうからである。反対に、何かはわからないが、何かをやりたいと思っている人間が探検部に入る。そのために、自分の専門が決まってくると探検部では物足りなくなり、部に属しながらも共通の専門を持つ部外の人・組織と関わったり、退部したりする場合があるのだろう。自分の専門を見つけた後も探検部に在籍し続ける者もいる。両者の違いは部への愛着の差ではないだろうか。探検部は大学に属す組織であるために、毎年部員が入れ替わっていく。入部当初は一から教えられる側であるが、一年経てば後輩が出来、一般的には三年経てば最上回生となるため、年々教える側になる立つことが多くなっていく。部を存続させていくために必要なことであるが、何かしらの専門を見つけた上で、上を目指して行きたい人にとっては、それが障害となることもある。部に愛着があれば、部のために労力を使えるかもしれないが、自分の専門のみをやっていたい人には耐えられないだろう。
以上が第四分科会の議論内容と、それに対する筆者の主観的な意見である。
文責:辻 拓朗(法政大学探検部)