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笑顔と親切と悪だくみについてベトナムで体験する

他人任せで謎のバス停に着く
 「ハロン湾まではバスしかない。」ハイフォン駅の窓口の女性はそれ以上の説明をしなかった。彼女が暇になるまで待っていたので、私と同じ列車に乗っていた人たちはもういない。彼らはバイクタクシーや家族の迎えで散々していった。その賑わいは土埃だけ残した。駅のロータリーには東南アジアの刺すような日が差している。2017年9月25日、時刻は正午である。
 私は周辺の大きなバスターミナルに行こうと決めた。構内を出ると待っていたかのように、1人の小汚いおじさんが近づいてくる。彼はバイクタクシーである。私は気づかないふりをして、スマホを見ている若い男性のバイクタクシーに声をかけた。「このへんの一番でかいバス停まで」というと、彼は少し困った顔をした。小汚いおじさんも加わり、どこに行けばいいか二人は相談していた。彼らはベトナム語で話すので私は蚊帳の外であった。バスターミナルの名前は忘れてしまったが、行き先は固まったようだった。若者がおじさんに客を譲ったので、結局私は小汚いおじさんの背中に乗りながらそのバスターミナルへ移動することとなった。
 ハイフォンの街は騒がしく、バイクのブザーが鳴りやまない。ハノイと比べると交通量が多くはないが、運転手のほとんどが十代の若者であった。私はおじさんのすっぱい汗の臭いを体に浴びながら、発展途上国の勢いを肌で感じとっていた。
 20分も経たずにバスターミナルに到着した。事前に交渉していたとおりに私は40kドンを手渡した。料金は外国人価格で少し高いが、日本円にして200円であるので気にするまでもない。私がおじさんに「カンモン」とベトナム語でありがとうと言うと、彼ははにかみながら頷いた。彼の頷きは私の言葉の意味が伝わっているという合図なのだ。私にとっては暗号のような言葉が相手に意味を伝える不思議な感じと、それをはにかみながら頷くおじさんを見たら少々の外国人価格は気にならない。

言語を扱えない土地では子供扱い
 バスターミナルは白くきれいな建物であった。建物の裏には何台ものバスが待機している。私はどのバスがハロン湾に行くのかと受付の中年女性に尋ねるが、「ハロン湾へ向かうバスはない」と返答された。そして、呆然とする私に向かって、彼女は部屋の隅を指差した。見るとそこには小窓があり、中国人男性が若く小太りな女性スタッフともめていたのだ。若い女性スタッフは明らかに面倒な顔をしてため息をついていた。彼らが言い合っている内容はわからないが、全く終わりそうにない。私は建物の周りをうろついて、停まっているバスの運転手に一人ずつハロン湾に行かないかを確認した。しかし、彼らは首を横に振るだけだった。言い争いをしていた中国人男性がタクシーで出て行ったのが見えたので、私は隅の小窓を覗いたけれど、あの若い小太りな女性スタッフはいなかった。
 私は自動販売機でジュースを買って、ベンチで休んだ。床に置いた十キロほどのバックパックに脚を乗せて、スマホを使うか悩んでいた。極力使用したくなかったので、スマホはバックパックの奥の方にしまっていた。
スマホで調べる旅行は面白みがない。画面とお話をして、目的地にピンをさして、図鑑を集めるように行った記録を付ける。旅行はポケモンGOでない。その土地の空気を吸って、人と意思疎通し、うまい飯を食って、できるかぎりその土地と触れ合うことが旅行である。そんな風に格好をつけた信念を持っていたが、ベトナム語を話せない私のその願望は他人に負担を掛けるただのわがままである。そんな葛藤をしていたが、困れば機器に頼らざるを得ない。
窓口の女性が戻っていたので、私は彼女にハロン湾に行きたいのですがと尋ねた。しかし、ここにはハロン湾に行くバスはないとの返答がくるだけだった。再びベンチに戻り、膨れ上がったバックパックの中からスマホを取り出した。ただ、いくら検索しても頼りになる情報はえられなかった。
 「アノーイ」と言って女性スタッフが小窓から私を手招きした。そして、窓口に肘を置きながら、私にスマホの画面を見せた。そこにはベトナム語からハングルに翻訳された文章が映し出されていた。韓国人と日本人の顔は似ているが、ハングルと日本語は全く違う。彼女の優しさを感じたので、ハングルが読めない自分が情けなくなった。彼女は私が日本人とわかると日本語に翻訳しよう試みたがうまくいかず、最終的にベトナム語を英語に翻訳した。
私はラックロンというバスターミナルに行かなければならないようで、そこまではタクシーで行く方法しかないようだ。なので、彼女に200kドンを細かく両替をしてもらった。すると、彼女はラックロンまで50kドンで行ける場所だからと言って、初めてお使いにいく子供にお金を渡すように、50kドンだけを別に握りしめて渡してくれた。旅行が行き詰まり不安になっていたのもあってか、彼女の親切心が心に深く浸みた。
「ラックロン」と私が言うと、彼女は首を捻る。もう一度
「ラックロン」と言うがうまく発音できていないようだ。
「ラックロン」と彼女が正しく発音する。今度はそれを真似て
「ラックロン」と言うと、難しそうな顔をしたが首を縦に振った。
「カンモン」と私が言うと、彼女ははにかんで頷いた。
 先ほど来た道をタクシーで戻った。そして、ハイフォン駅も通り過ぎて、タクシーは港の工場が並ぶような通りの中に入っていった。

お金を騙しとられたけれど取り返す
 ラックロンのバスターミナルは港町の物流倉庫のようで、マイクロバスや大型バスが並んでいた。いくつかのバスのフロントガラスにHa Longと書かれたプレートがぶら下げられていた。
その時、周辺を確認して窓口を探せばよかったのだが、Ha Longの文字を見た私は安心してすぐにマイクロバスへ駆け寄ってしまった。なので、面倒事が起こってしまった。
 マイクロバスに近づくとベトナム軍の緑色の帽子をかぶった細長い中年男性がドアの前で荷物を積んでいた。私は彼に行き先を確認すると、もうすぐ出発するので乗り込めと身振りをした。そして、料金は70kドンだと言われ、その場で徴収された。私は席に座り出発まで待った。壊れそうというほどぼろくはないが、子供の時に乗ったおじいちゃんの車のように、今や日本では座れない堅いシートで、ところどころシートの革が割けてスポンジが飛び出している。土埃のたつ港の工場を眺めていたが、大型バスが横に着いたので、背が低いこのマイクロバスからの景色は潰された。
 10分ほどして2人の男が乗車してきた。若く浅黒いメグウィンに似ている男性と体格のいい中年男性である。彼らは私に行き先を尋ね、ハロン湾に行くなら80kドンを払えというのだ。私はすでに細長い男に払ったというと、彼らはもう一度80kドン払わなければならないと主張した。周りを見渡してもあの細長い男はいなかった。誰が悪い人なのか、誰を信じたらいいのかわからなかった。私はしつこく抵抗した。すると、彼らは諦めたのかバスを降りて行った。なんとかやり切ったと安心していたが、彼らはすぐに戻ってきて、「運転手にお金を払わなければならない」と私を説得してきた。それでも私はごねると、彼らは静かになった。メグウィン似の若い男性が運転席に座って、振り返り私に話しかけてきた。そして、彼は私が日本人だとわかると笑顔になった。それはカモが現れた時の不敵な笑みなのか単に日本人に好感を持っているのか、私には判別できなかった。
 運転手はスマホで電話をしていたのだが、「ヤーパン、ヤーパン」と言いながら私にスマホを渡してきた。出てみると片言の日本語が聞こえてきた。
「こんにちは。私の名前はホアンです。あなたの名前はなんですか?」
「あなたは日本人ですか?」
「あなたは一人で来たのですか?」
「あなたは結婚していますか?」
「あなたは仕事で来たのですか?」
電話越しの彼は私に矢継ぎ早に質問をした。初めは運転手の知り合いに日本語を勉強している人がいて、日本人と話させてやりたいと思っているのかと好意的に受け取っていたが、身の上を尋ねる質問ばかりで少々怖くなった。私が質問に答えたくないと繰り返すと、話題は彼の本懐に入った。
「そのバスは運転手にお金を払わなければなりません」
「私はこのバスに乗る前にすでにお金を払いました」
「その人は運転手ではありませんね?」
「はい。運転手ではありません」
「では、運転手にお金を払ってください」
何度かこの応酬が続き、納得しない私に彼は困っているようだった。その時すでにバスはゆっくりと進んでいた。このバスに対しての不信感が増していたが、お金を払わなければならないのだろうと、気持ちが変わり始めていた。私は彼と電話を続けたが、どうにか値段を下げてもらえないかと考えていた。100mほど進み、バスは止まった。運転手は外へ出て荷物を積んでいる。降りるならこの時しかなかった。
「このバスは怪しいですか?」私が言うと、電話越しの彼は「はい。怪しいです」と答えた。私はスマホを運転手に返して、ドアから飛び降りた。運転手は驚いたようですぐに私の後をついてきた。電話越しの彼は日本語に不慣れで、怪しいの意味を分かっていないだろうが、バスを飛び出す勇気を私にくれた。
 私は速足でラックロンに戻ろうとしていると、軍帽をかぶったあの細長い男を見つけた。私は怒って彼に詰め寄ると、彼は何かを察したようだが、英語でお金を返せと言っても、とぼけた表情をするだけだった。スマホでベトナム語に変換して見せると、彼は焦って
「セブンティー、セブンティー」と繰り返した。私のスマホをよく見ると、桁を間違えていて700kドンと書かれていたのだ。バスの運転手が私に追いついて、腕をつかみながら何か言ってきたが、「もういい、もういい」と日本語で断りながら手を振り払った。彼は細長い男に文句を言って諦めてバスへと戻っていった。私も興奮しているので
「セブンティー、セブンティー」と軍帽の男と同じように繰り返した。彼はポケットからお札を出してすぐに私に返した。10万ドンくれたので、おつりをわたそうとしたとき、わたしの財布の中に手を突っ込んできたので、私はその手を振り払って睨みつけると、彼はおとなしくなった。そして、3万ドンを返して私はラックロンへ戻った。

すでに知った得意な土地
 男におつりを渡したとき、私の手が震えていた。すぐにラックロンに着いたので、動揺が収まる時間もなかった。ラックロンのバスターミナルにも窓口があるようだが、再びそれに気づかず、私はHa Longと書かれたプレートを提げてるバスに乗った。今度は運転席にお金を払わなければならないと意識ことで頭がいっぱいだった。私は前回の失敗を生かして、運転席に座っている優しそうな中年の男性に行き先と値段を確認した。すると彼はハロン湾までは150kドンかかると言うのだ。「高すぎる!」と私が言うと、彼はすぐに110kドンに値下げをした。しかし、相場は知らないが、その金額が高いことを私は知っている。私は怒ってドアを開けろと言うと60kドンになった。彼は60kと書かれたチケットを見せてきた。正規料金なのだろうと思って私は矛を収めた。バスは何人か乗客や荷物を拾ってハイフォンの街をゆっくりと進んでいった。
 乗車してから3時間が経っていた。私に運転手がここで降りろと言うのだ。スマホの地図を確かめるとハロン湾から6㎞手前の場所だ。彼を信じられなかったので乗客にここがハロン湾かと尋ねたが、皆そうだと頷いている。女子大生くらいの子も降りていたので、私もそれに付いていき降りた。
バスから降りると十人くらいのおじさんに囲まれた。彼らの目は輝いていた。お腹を空かせたハイエナの集団に囲まれているようで、私はまさしくカモだった。一緒に降りた女性に行く場所が同じだったら一緒に行こうというが、彼女は英語がわからなかったようで、私にタクシーを勧めて、バイクタクシーに乗って去っていった。私はそこからタクシーと一悶着あり、結局バイクタクシーでハロン湾に向かった。

スマホは想定内を増やすが、楽しさはその外にある
 後々調べてみると、ラックロンのバス停から私の降ろされたバイチャイというバス停まで、25kドンで行けたようだ。私はその2倍以上の料金を払っている。この原因は下調べをしなかったことにある。行き方を調べれば、正規料金でハロン湾に着いただろうし、謎のバスターミナルに行き遠回りをすることもなかった。ただ、これほど楽しい旅行は初めてだった。スマホは私たちに想定内を増やしてくれるが、想定外な出来事の楽しさは与えてくれない。


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