【人生劇場#50】ゲスト:高橋恭介さん
こんにちは、ときです。久しぶりに人生劇場のnoteを書きます。
そして多分、人生劇場のnoteを書くのは私の人生でこれが最後になると思います。思わぬ個人的な最終回が来たな、、。
今回の人生劇場のゲストは隠岐島前高校3年生の高橋恭介くん。彼は人生劇場の主にカメラマンをしてくれていました。そしてわたしの数少ない男友達のひとりでもあります。ありがとう。
彼がこうやって場を設けられて人々の前で話をしている状況が、不思議というよりもなんかおかしくて、恥ずかしいような、わたしの中では何かがうずいてしまいます。
この回では私は輪から少し離れたところで聞いていましたが、その体のヒリヒリする感じからも少しは距離が取れたような気がします。もしその輪の中に入って聞いていたら、こんなところでわたしは一体何やってるんだ!とか途中で思い始めたと思います。
このnoteでは、今回劇場で彼が話した彼についての情報はあまり書きません。ここでは恭介の趣味嗜好については書かなくていい気がするんです。そういうものはやっぱり本物の高橋恭介と関わっていく中で知っていくのがいちばん良いと思います。ですので今回は、彼と関わる、私の話を書きます。わたしはなんでも自分の話にする。多分恭介ならいいって言ってくれると思うんですよね。
それでも一応、この人生劇場に来れなかった人と、彼のことを全く知らない人に向けて少しだけ高橋恭介情報をお伝えすると、埼玉県出身
──ちなみに彼が埼玉県出身という印象はかなり強いんです──。
映画をたくさん観る、本もたくさん読んでいる、音楽もたくさん聴いている、文章も書くし、写真も撮る。彼を見たときはこのどれかをやっていることが多い。常に何かをやっている!と言う感じが強いです。
そして彼は「To Be Dozen」という雑誌も作っているので、気になる方はぜひ調べてみてください。
では、私と関わる中で見えていた高橋恭介を書くので、その高橋恭介像を経由して、彼のことを少しばかり知ってもらえたらと思います。
まず私と彼の最初の出会いなのですが(馴れ初めみたい!)、
入学してからみんなが教室に集まった最初の日、私の右隣に高橋恭介は座っていました。ずっとチラチラ見てくる(気がしただけではないと思う)のでなんなんだよ、と思って、私は恭介が視界に入らない方をあえて向いたりしていました。そのあとどういう脈絡で話すようになっていったか、親しくなっていったかははっきりとは覚えていないですが、多分、その後何回か席が前後になったり隣になったりすることが多かったんですよね。それが大きいと思うし、偶然なのだろうけど、その「偶然」の大きさにも改めて実感する。
と、これが馴れ初め的なものでした。
もしも高校で違う学校だったり、あるいは中学生の時に既に出会っていたりしたら、きっと仲良くならなかっただろうし話しもしなかっただろうなー、とよく思います。高校生になってそういう人に何人か出会っていて、親しくもなっていて、彼もその内の一人です。それくらい自分とはかけ離れているようなタイプの人なんです。
そして、何よりも彼に感謝しているのは文化祭で歌えと言われたことです。かなり急だったのですが、そのおかげでそこから先の日常が大きく開かれました。歌うなんて絶対無理だからな、と思ってもいたし言ってもいたのですが、強引に誘われるがままに練習して、その練習の記録を送りつけると毎回、段差をつけて褒めてくれる。
彼は人の士気を上げるのがうまいんです。それをやっている時の彼は、顔も目も体も、存在全てがピカピカ光っています。そして彼のイメージカラーは、出会った時から変わらず黄色や明るいオレンジ。そしてなんかフレッシュ(フレッシュジュースの感じ)。
だからそんな彼とは、楽しく過ごしていることが多かったです。記憶にも黄色くオレンジ色のまま残っています。
私は高校生活においてのthe青春みたいなものを何故か最初からほぼ諦めて過ごしていましたが、思い返せば私の中の彼の存在する記憶では、the青春みたいな画になっているのです。だからここでも私は感謝しています。彼は、私の諦めていたもののある場所まで手を引いてくれるんです。いや、私だけのことではないと思う。彼の親しい人もそうなんじゃないかと思います。
いい意味で、どこかで見たことあるような、映画やドラマのような展開を巻き起こすのです。だから私はその状況を冷やかしつつも浸っています。そう、心の中で冷やかす私もいて、楽しく浸っている私もいるんです。私にとって高橋恭介はそう言う人。
高橋恭介とともに過ごすことで、3年間かけて「男の子の素朴な思い…」みたいなものを享受しました。そういう雰囲気を彼から感じているんですよ。わかりやすく彼は体現してくれている。そのわかりやすさ=明快さのようなものが彼の特徴の一つでもあるように思います。
しかし彼も彼なりに迷いもあるらしく(そりゃ誰でもあるとは思うんですけど)、私はそれを詳しく知ろうと思うことはないのですが、迷いも全て彼の外側で起こっているような気がしたのです。それも「体現している」の話につながります。彼は「映画みたいな人」「ドラマみたいな人」というわけでは全くないのですが、映画やドラマにある、それこそ明快さがあるのです。
そして、実はこの人生劇場の回のひとつ前の回のゲストは実は私でした。そしてその回のnoteを高橋恭介が書いてくれています。わたしもまだ読んでないけど、これは誰かが仕組んだことなのかたまたまなのか、どっちでもいいのですが、それを踏まえてこのnoteも読んでもらえたらいいな〜と思います。それならこのレポートっぽくない、ライターのあるべき仕事ができていないこnoteも許される気がするし、相乗効果があるんではないでしょうか。そして高橋恭介ならそれを許してくれるだろうと思っています。
ぜひそっちも読んでみてください。
◯あとがき◯
あとがきを書くのも最後です。高校生活はあっという間にすぎるという文言をはいはいまたそれですか、と思っていた1年生の7月ぐらいも経て、シュバ!と音がするくらい、消える速さで終わりました。思い残すものがなんなのかもわからないくらいの速さですので、残る1、2年生はその速さに抗いつつ過ごしてみてはどうでしょうか。
(とき)
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