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東大を沖縄に持ち帰る -うららの合格体験記

こんにちは!新メンバーのうららです!今日は私の実に3年(くらいor以上)に及ぶ東大合格までの道のりを書いた体験記をシェアします。皆さんへエールを送る気持ちで書きました。読んでくださると嬉しいです:)

①プロフィール


 名前:伊佐 麗(うらら)
 出身:那覇国際高校国際科
 進学先:東京大学 文科三類 1年・一般の国立前期試験
 (ちなみに昨年度は国際基督教大学(ICU) の1年生でした・一般受験A方式です)

あの、紆余曲折ありまして、先にここ2、3年の流れを。
那覇国 (2015.4~2019.3)→ 駿台お茶の水校3号館(2019.4~2020.3) → ICU入学(コロナでオンライン授業のためずっと沖縄ステイ)(2020.4~) → ICU休学・即解ゼミ(2020.7~2021.3)→ 東大入学(2021.4~)
です!!!

* 初っぱなから宣伝です。(すみません!!!!)東大入学後、非進学校出身の東大生による教育系団体(サークル?)UTFRに入りまして、そこでも合格体験記を書かせもらいました。8000字越えの(苦笑)ものになっているのですが、さらに細かい東大合格までの経緯を記しています。
 有料noteではありますが、他の東大合格者の体験記も読めるので、興味がある方はぜひ読んでみてください!”非進学校”というバックグラウンドありきなので、「わ、自分も行きたい大学、目指してみようかな…!」と思える内容になっているはずです!!

このリンクから飛べます >> https://note.com/utfr/m/m747e10de022e


②現在の進路先の決め手(きっかけや理由)

 まず、学部はすぐには決めたくないな(というか正直どの学部もピンと来ていませんでした)、学部にとらわれず様々な教科を自由に学びたいなと高校生のはじめから思っていたので、リベラルアーツ方式の大学を希望。となると、国立なら東京大学、私立ならICUという選択肢になりました。
 ぶっちゃけ、公立の中高で、アメリカに10か月留学もして、こんな田舎者が東大を目指そうなんて私自身想像していなかったです。ですが、留学前と帰国直後の高2・7月進研模試(国数英の3教科のみ)で東大まさかのC判定…で、某進路・数学担当のY先生からお声がけを頂き、目指すことにしました。

 また、それと同時並行くらいで、沖縄と本土の教育格差に関心があり、私が「沖縄からでも東大に行けるんだ!」ということを示すロールモデルになりたいという強い気持ちがありました。後に続く後輩達、沖縄の学生の希望になるぞという謎の使命感です(笑)。ですが、これが最大のモチベだったように思います。だって沖縄を(勝手に)背負ってるので!そのおかげで、どんなに点が足りなくても志望を変えようとは一度たりとも思いませんでした。
 さらに、帰国直後の2017年の夏にこのOPEが開いてくれたイベントで、興南高校出身・当時東大1年生の豊元慶太朗さんと知り合ったのも大きかったです。志望動機が似ていたこともあり(まさに慶太朗さんが私にとってのロールモデルでした)、これはもう東大一択じゃないか!と2回目の高2夏休み明けからのモチベになりました。


③高校1年生〜高校3年生の間+α期間、何をしていたか(学校面や課外活動など)

 上に述べたように、東大を本格的に志望し始めたのは帰国後の2回目の高2の夏です。ですが、それまでも学校の小テストは満点、単元テストや定期テストも9割以上を目指して勉強していました(ごめんなさい、正直に言うと成績で5を取りたかったからです笑)。まあ、成績のための勉強でモチベ的にはどうかと思う部分もありますが、そのおかげで基礎力は付いていたと思います。学校のベースとなる勉強の他は、以下の通りです。

-高1…英語ディベート、長期留学選考のための試験勉強
-高2(留学前)…習い事のバレエ最後の発表会に向けて練習、の毎日(勉強はテストと課題関連だけで他はバレエに全振りしました、そのおかげで気持ちにも一区切りつけたかな!)
-留学中…現地の課題に追われる日々だったが、アメリカの数学のクラスが簡単すぎたので、ちょっと帰国後のことが怖くなって冬休みは数Ⅱの復習
-高2(帰国後)…英語ディベート、英検準1級・1級の勉強(ついでにTOEICも受験)、受験勉強スタート
-高3…7月まで英検1級の勉強(受験勉強若干疎かに…)、英語スピーチコンテスト、東大の一般試験対策に加えて東大推薦の準備も!

あとは浪人生活です。

・塾に入ってたか

 那覇国の推薦合格直後(中3の1月)からしばらく東進に通っていましたが、映像授業きつかったですね…。受験現役の時はどこにも通わず、学校の先生方と答案添削も含め一緒に対策していただきました。高校卒業後は、東京の駿台お茶の水校3号館(東大専門校舎)で1年浪人。もちろんそこに通う何百名が関東の進学校などから来た東大志望者で、度肝を抜かれました。
 1浪目も東大はダメで、ICUに入学したのですが、コロナの影響により沖縄でオンライン授業を受けていました。春学期はICUの勉強で忙しく受援勉強は何もしていません。6月頃にやはり東大を再受験しようと思い、思い切って休学。7月から慶太朗さんも通っていた即解ゼミ新都心校に入りました。駿台での積み重ねもある程度あったので、即解ゼミでは、ほぼ個別で二次試験対策をしてもらっていました。

・併願校について

-現役…
・東大教養学部教養学科(推薦)
・早稲田文学部(国英世受験)
・横浜国立大経営学部(英数受験)
(東大推薦は書類は通り面接までこぎつけたものの、ALL不合格!)

-駿台時代…
・ICU(一般A方式 >> ICUの入試は特殊なのでまた別の機会に紹介します…!)
・上智外国語学部英語学科(国数英受験)
・法政グローバル教養学部・文学部英文学科(全学部日程の英数受験、センター試験3教科・5教科利用)
(法政のセンター利用3教科はダメでしたが他は全て合格しました!)

-即解時代...
ICUも好きだったので、不合格ならそのままICUに残るつもりで東大のみの受験


>>>一般論ではありますが、併願校(模試の志望判定も)はレベルを分散させることをお勧めします。現役時、難関校しか受けず全落ちだったので自分のレベル把握ができず、浪人時の併願校選びで悩みました。一応、確実に受かるであろうレベルの大学はいれますが、あくまでそれは併願であって、あなたの第一志望は第一志望です!!!最後まで諦めず強気でチャレンジしてほしいです。


④本音、吐きます!!!

・辛かったこと
 今でも思い出すと泣けてきますが、現役時は一緒に東大のための勉強をする人がいなかっので結構孤独でした。数学に関しては、難関大対策講座で、理系の人たちともワイワイ勉強させてもらったのできついけど楽しい!と言う感じだったのですが、文系教科は地理Bと世界史Bの地歴2科目、それもセンター試験だけじゃなく二次の論述試験があったのがきつかったです。先生方のサポートはもちろんありましたが、やはり1人だと勉強の仕方もわからない部分が多く、あの謎の使命感でどうにか耐えていました。東大の二次試験は、国・数1A2B・英(リスニングあり)・地歴2科目で、文系で最も受験科目が多いかつほぼ記述式というものなので、センター試験が終わって、登校者が減りつつある〜かつ周りは2〜3教科〜という中でそれらをやった時が本当に本当にきつかったです。いつも学校で最後まで残っていて、ほぼ毎日泣きながら帰っていました。


 ですが、唯一救いだったのが、国際科、特に他の留学組が受験をすでに終えていたこと。AO・推薦合格組 vs 一般受験組という対立はしばしば耳にしますが、私は逆にそれを利用しました。だって、周りは受験、終わっているんです!私が休みたいと思った時、いつでも受け止めてくれたんですね。この気まぐれに付き合ってくれるのは、やはり一般受験組の仲間にはお願いしづらいですから、自らコミュニティを行き来してメンタルを保っていました。
 あと、東大の推薦の合否って二次試験の約10日前に出るんです。なので、その合否を気にしつつ一般を対策し、二次試験の10日前に推薦不合格を言い渡され、その中でさらに勉強を続けないといけませんでした。めっちゃ泣きました。ですが、筆記試験では到底力が足りないのを自分でもわかっていたので、「落ちたら浪人する、とにかく今回はあの東京大学という試験会場に行って一度本物の試験を味わってくる」という気持ちでやりきりました。

 変わって、駿台時代は周りは全員東大志望者なので、そういう最強コースを辿ってきた友人らの勉強法を知ることもでき、現役時に感じていた孤独さはありませんでした。ですが、周りのレベルが高すぎて、劣等感しか感じない日々。いい環境で勉強させてもらっているにもかかわらず、勉強すればするほど自信を失っていったのが辛かったです。あと、慣れない満員電車、人混みの東京生活で前半はホームシックになっていました。
 ちょっと待って。私は沖縄の学生のロールモデルになるためになりかったんです。冷静にここに来た意味を考えてみました。意味、もちろんありました。それは、東大卒の講師らの教養の深さ、幅広さを生で感じられたこと。そこで私が推薦に落ちた理由もわかった気がしました。私が画期的だと思って東大の教授らに伝えたことは、東大の人からすると全て当たり前だったのです。ここで沖縄(私)と東大との差に愕然としたのですが、むしろ「この思考、教養が既に東大にあることはわかった。なら、私がこれを沖縄に持ち帰ろうじゃないか」とさらに使命感に燃え、沖縄代表だ!!!という気持ちで乗り越えられました。

 即解時代は、沖縄でぬくぬくと過ごしていたのですが、やはりまた東大志望者が周りに全然いない、という孤独と向き合うことになりました。東大の場合、基本年末まで二次試験の勉強をメインに行い、共通テスト対策に全振りするのは最後の2週間ほどです。なので、周りが共通テスト対策をしている中、一人東大の過去問を解き続けるのはもう不安で仕方がありませんでした。ですが、現役時代と違い駿台での経験があるので、駿台時代の手帳を毎日持ち歩き、「今頃関東の人たちはこんな勉強をしている時期だよな」とあちらの受験勉強のリズムを想像しながら沖縄でのスケジュールコントロールを行っていました。

・ちょっとしたチップ
 具体的な勉強法はまた別で紹介させていただきたいのですが、先にちょこっとだけ。

1. 朝活だ!!!!!
 やはり朝の勉強はオススメです。私は、帰国後からは朝6:15に登校して(家、遠いので5:40くらいに家を出ていました…親には感謝ですね)、早朝(0校時)の始まる7:30まで学校のテラスで勉強していました。朝なら、SNS開けてもどのみち誰もいないし、空気は気持ちよくて鳥の声が聞こえるし、すでにこれだけ勉強している!と午後以降のモチベにもなります。カフェに行くにしろ開店時間なら大きい机独り占めできますね!Let’s 朝活!!!

2. スタプラ(Studyplus)いいよ!!!
 私は、高1の2月頃から勉強時間・内容を記録できるアプリStudyplus(通称スタプラ)を愛用しています。もちろん勉強は質が大事ではありますが、このアプリに時間を記録することで、頑張れた日・だらけてしまった日、教科のバランスなどを視覚的に把握できます。私の場合、自分の設定した目標時間達成を目指したり、友達と競うなどしたりしてるうちに「あ、今数分ある!少しでも記録伸ばそう!」とふとした時にも勉強に気がむくようになりました。ぜひ皆さんも活用してみてください。参考に私の記録のスクショをどうぞ!

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⑤高校生へメッセージ

 ここまで読んでくださり、ありがとうございました。あまりにも受験生をしていた期間が長く、ここには書ききれなかった私の思い、考え、失敗談、やっと自分にはまった勉強法、などは沢山あります(これからのアップデート、注目ね!)。ですが、とりあえず私の経験から皆さんにお伝えしたいことは「諦めない限り、あなたの夢が叶うチャンスは消えない」ということです。もちろん私の東大への挑戦なんて無謀に思える部分もあったと思います。ですが、私はそのような壁にぶつかりそうになった時、東大に挑戦しなかった自分が「もし東大を受けていたら〜…(受かっていたかも?)」と”たられば”を唱える姿を想像し、それが嫌なら、と”たられば”をなくせる選択をするようにしてきました。現に、時間はかかりましたが、後悔は何一つありません。私が沖縄の環境だから、もう学年をいくつも降りているから、と自分の東大に憧れる気持ちを打ち消していたら、私はこの合格体験記を書いていません。皆さんもどうか、どうか、希望を持って、その思いに正直に従って、未来へと突き進んでください。そのかっこいい姿が、また誰かの励みになるはずです。


 そして最後に。思い返せば、私の周りの人々は私の東大合格という夢に対し、一度もそんなの無茶だよなどと言わず、「あなたならできる」と背中を押してくれました。共に合格に向かって私に寄り添ってくれた全ての方々に感謝しています。あの自分の受験番号を見つけた合格の瞬間の喜びは一生忘れられません。諦めなくて、本当に良かった!!!

 それでは、皆さんのこれからが素敵なものになりますように。今度は私が皆さんを応援します。ありがとうございました。





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