コロナ時代における株式投資の付き合い方
新型コロナウイルスの影響による外出自粛、緊急事態宣言やその延長、経済活動再開など、様々な政策の可能性が毎日出てきています。こういった環境において株式投資をどう考えたらいいのか?今後どうなると思うか?といった質問を最近よく受けます。その中で、投資について少し勘違いしている点や気づいた点も多くあったため、コロナを題材に投資の考え方について纏めてみることにしました。
結論
・メインシナリオは「緊急事態宣言の継続と(段階的)停止の繰り返しが、1年という単位で起きる。」とみている。この政策が正しいからではなく、可能性として最も高そうだから。
・コロナの影響という視点での「バーベル戦略」*を基本軸として、そこにコロナとは無縁のテーマ(例えば5G需要など)がある銘柄群を組み込んだポートフォリオを基本線に考える。
・投資とは「勝ち続けることではなく、負けを抑えること」が重要であり、未来を予想しながらも外すときのことも常に考えること。ホームランを打つことではなくバッターボックスに立ち続けられることを目標にすべき。
*バーベル戦略:詳細は4で後述しますが、ハイリスク・ハイリターンとローリスク・ローリターンの銘柄を組み合わせたポートフォリオで、コロナをテーマにするなら「コロナ時代においても安定した収益が見込める銘柄」と「コロナが落ち着くと業績の急回復が起こり得る銘柄」の組み合わせで捉えています。
1.「未来はこうあるべき」ではなく「未来はこうなる」を考えること
コロナに関する政策の話になると、必ずといって出てくるのが「~であるため政策はこうあるべき」という議論です。そしてその議論をベースに投資を考える人が多く、違和感を覚えました。政策論はもちろん楽しいですし、そもそも政策に対して意見を持つことは重要です。ただし、投資をするときはこの手の議論にはとても注意が必要です。なぜなら、投資で必要なことは「起こり得る未来を予想すること」であるからです。コロナを例にすると、考えるべきことは「現実的に取られる政策」であり「正しい政策」ではありません。
この2つは同じになるように思いますが、実際は全く異なります。わかりやすく言えば、いくら正しい政策が明確にあったとしても、その実現可能性が0%であれば投資する上で考慮する必要はありません。「正しい政策があるのにそれが採用されないことなんてあるの?」思うかもしれませんが、(民主主義の)政策や社会における意思決定では、多数が納得できなければ実現可能性は低いです。
10年ほど前に欧州債務危機というものがありました。端的に言えば財政危機に瀕していたギリシャやその後の南欧諸国に対して、救済措置を行うかどうかで共通通貨ユーロを採用している国々で意思統一ができずに長引いた問題です。救済する(とみなされている)側の国にもメリットがあり、金融、経済、あるいは生活への打撃という意味で「こうあるべき論」の答えは最初から出ていました。しかし、国民感情、その背景にある価値観の違いや倫理観といった理由から、「その政策を皆が納得できるか」という観点で実現までに時間がかかりました。時間がかかり危機がさらに足元に迫る中、ある意味当事者全員が追いつめられ、救う側の傷もより深くなることが目の前で生じることで、多数が合意できました。
今回のコロナ危機についてはどうでしょう。「正しい政策」とはそもそも「目的」と「状況」によって変化します。コロナでは「医療/命」と「経済」のどちらを優先するか、あるいはそのバランスが大きく取り上げられていますが、そもそも社会で考慮されるべき項目はこの2点だけではありません。何にどう重みづけした目的を設定するかは個人レベルでは価値観の差でしかないため、こういった問題について自分が正解を持っていると思うのは間違いであり、さらにどれだけ自分が正解として確信していたとしても、社会がその答えに納得できるかどうかは全く別問題です。そして多数が納得できるか否かは、置かれている状況(正確には状況認識)が強く影響します。
そのため、投資をする上では常に「起こり得る未来が何か」を考えて下さい。「こうあるべきだ」ではありません。考えられるシナリオはいくつもあるでしょう。その中で確率の高いシナリオが何かを考えるべきです。それがあなたにとって間違った未来、あるいは受け入れられないものであったとしても、投資とは起こり得る未来に対して行うものであり、あなた自身の願望に対して行うものではないからです。
2.強い原動力は感情と本能:恐怖と欲
では色んなシナリオがあり得るとして、どういった観点で政策の実現可能性の順位づけができるのでしょうか。もちろんこれは方程式のような明確な数式があるわけではありません。そこで私がいつも考えている視点をご紹介したいと思います。コロナや欧州債務危機のような「社会全体が注目し全ての国民生活に影響を与える」政策について考えるときに、私が参考にしている視点となります。
それは「感情」と「本能」です。社会といってもそれを構成しているのは個々の人間であるのは当然ですが、例えば1億人という人口において統一された意思を共有するのは並大抵のことではありません。論理的な政策が求められるのは言うまでもないのですが、1でも書いた通り、目的によって論理的な政策は変わりますし、目的そのものも個人レベルでは価値観の差によって変わります。つまりどれだけ論理的、合理的な政策であったとしても、目的自体が共有できないと実現されにくいのです。しかし、この多数の壁を容易に超えられるポイントが「感情」と「本能」になります。
皮肉なことですが、個人としては感情や本能ではなく、論理性、合理性を求める(と答える)人が多数を占めると思います。しかし集団の意思となると往々にして話が変わるように思います。価値観の差を飛び越えた意思統一が求められる局面において、特に突然発生した新たな問題に対して、感情と本能の右にでる要素を私はあまり知りません。
コロナに話を戻すと、外出自粛や緊急事態宣言、あるいは各国で採用されるロックダウンが受け入れられたのは、それらの政策が論理的に多数に納得されたからではありません。「未知の感染症による死」に対する強い恐怖心が、他のあらゆることに勝ったからでしょう。これは死亡率という確率の話も感情の前には意識されていないと思います。例えば死亡率が0.1%ならこう、3%ならこれ、5%ならこれだけ怖い、といった話では全くないでしょう。論理ではなく感情として納得したからこそ、ロックダウンの期間や出口戦略が決まらずとも受け入れられたし、また期間や出口戦略で揉める要因にもなります。
ただ当然、個人と同じですが、集団が抱く恐怖や感情も一定ではありません。コロナについても、慣れであったり、他に気にすべき問題やその恐怖が出てくると、感情として納得できる政策は変わってきます。それは経済、給料や雇用といったお金の問題であったり、あるいは権利や自由の制限、価値観の差の非寛容、といった問題かもしれません。こういった諸問題に対して何を優先して解決したいと思うか、感情のシーソーゲームをやっていると思えばいいかと思います。
そしてこの感情に大きな影響を与えるのが本能です。脊髄反射的な感情であれば、時間の経過とともに冷静な判断が集団でもできるようになると思います。個人の場合と同じですね。その結果取っていた政策が間違っているなら改善されるでしょうし、正しければより納得して継続されるでしょう。しかし、本能に根差した感情というものは短期間では終わらない可能性が高いと思っています。
1か月前と比べて足元で声が大きくなっているのは経済再開の話ですね。このままでは生活できないという声が出始めています。飢餓、そこまでいかなくても雇用を失う、あるいは給料が下がりみじめな生活を送るかもしれないことへの恐怖が強くなっています。これらは「自殺者が増える」といった別の意味での「死への恐怖」として主張されることが多いですが、私は実際には全く異なる動機からくる感情だと思っています。それは「少しでもいい暮らしがしたい、お金が欲しい」「あらゆる意味で生活の質を安定・維持させたい、下降させたくない」という人間の欲であり本能です。欲と書くと悪いことのように見えますが、一言でいえば向上心の源泉であり、現状より悪化する状況を否定し受け入れない本能が、社会の発展を促したのではないかと個人的には思っています。
そのため「みじめな生活を送り続けるかもしれない」というのは、本能の抑えつけであり否定であるため受け入れ難いのです。これが経済再開の話に直結するのだと考えています。重要な点は、この結論が社会全体の恩恵の最大化の観点で必ずしも正しい政策・措置とは限らない、ということです。そうではなく、多数がこの瞬間において納得可能かどうか、という点が重要であります。
歴史は繰り返す、という言葉があります。政策の話をしてきましたが、結局のところ人間の(集団としての)意思決定の源泉は感情と本能の要素が非常に強いため、繰り返し同じことが起きるのだと考えています。投資をする上で歴史は非常に参考になるので、論理性とともに感情や本能についても重視したほうがいいと思います。
3.新型コロナウイルスに対する今後の政策
視点の話が長くなりましたが、いよいよここからが私が考えていることとなります。結論から言うと「緊急事態宣言(あるいは外出自粛)の継続と(段階的)停止が繰り返し起きる。1年くらいは覚悟したほうがいい。」をメインシナリオとして考えています。
新規感染者が0になる、あるいはそれに近づく(定義によりますが)のは短期間では難しいと見ている一方、そうなるまで経済活動を止めることもできないだろうと考えています。だから経済活動は開始するでしょうし、開始すれば感染者数が再拡大してもなんら不思議はなく、そちらの影響が大きくなればまた自粛への流れになるでしょう。もちろん、新型コロナウイルスへの治療薬の転用やワクチンの開発に目途がたつ、あるいは気温や湿度が上がりウイルスが勝手に消える、致死率が大きく変わる等ウイルスへの認識が変わる、といった事が起きるなら話は別です。
この政策が正しいかどうかは極論無意味です。(あなたがどうかではなく)多数が各局面において受け入れやすい方法であり、だからこそそうなるんだろうなと考えています。まさにシーソーゲーム。感染拡大に最大限恐怖するときは経済を止めます。止めていくうちに新規感染者数が落ち着いたり、時間とともにその恐怖心が薄れる一方、収入やお金の問題への恐怖心(あるいは欲の抑えつけへの不満)が高まればシーソーの傾きが変わります。そうなると今度は経済活動再開となりますが、再開後はまた感染拡大が生じる可能性は高いと考えます。このサイクルの期間は、社会全体がどれだけ自粛という我慢を許容でき、またそれを可能とする経済的余裕があるか、に尽きます。この1か月の動きをみると、資金面でのさらに充実した追加援助がない限りおそらくあと1か月ほどが感情的にも限界ではないでしょうか。
理由は後述しますが、今のままでコロナウイルスによる感染者が短期間(例えばあと1か月)でいなくなる可能性は非常に低そうです。同時にお金の問題や欲は根源的な本能に関わるので、医療崩壊や大切な人の命の話を全面に出したところで、長期間許容できる話だとは全く思えません。
そして時間の経過と共に確実に慣れによる受け入れが起きます。医療崩壊や命のリスク、対して経済的な不安や困窮、どちらを慣れとして受け入れるか難しいところですが、個人的にはおそらく前者が慣れてしまう可能性が高いんだろうなと考えています。これは感染=死でない限り、どれだけ取り繕っても、現実差し迫った他の危機や本能が最後は優先されるのではないか?と考えているからですが、この辺りはもう少し先に進まないとはっきりしてこないでしょう。
「短期間でウイルスが根絶されることはない」と「慣れる(社会的許容)ための期間」という観点で、このシーソーゲームが終わるのに1年くらいはかかると思っています。場合によってはもっと短いのかもしれません。単純に慣れるというのもありますが、致死率が想定より大幅に低いなど、人々の恐怖心の要因の1つが大きく変わったり、あるいは給与の減少や雇用喪失、他にも私権の制限等を目の前にしてその恐怖心がさらに増幅される場合、シーソーゲーム期間は結果的に短くなると考えています。
今回あえて省いてますが、時間が経つにつれ国家間の競争という視点もあります。日本が自粛中だから日本から産業やマネーを奪うことを自粛しよう、という国は皆無でしょう。国家間で同調圧力など存在しません。すでに経済活動再開している中国、初動の違いにより感染の抑え込みに成功した韓国や台湾、これらの国が日本が長期間経済活動にもたつくのであれば、あらゆる産業でその地位を狙いにきて何ら不思議はありません。ウイルスの根絶がその前に起きれば解決ですが、そうでなかったとしても、感情の慣れや欲や競争心といった本能が呼び起こされた時も、このシーソーゲームは終わるでしょう。せいぜいバランスの中で生活すると考えています。ウイルスとの共生という言葉かもしれませんが、いずれにせよ他が追いつめられると生産活動を制限するような政策は取れなくなるでしょう。
ご紹介したメインシナリオは「必ずそうなる」と断言はしませんし、また投資を行う上でそのような考えはご法度であるのですが、正しいかどうかではなく何がもっともらしいシナリオであるか、を意識して皆さんもぜひ予想してみてください。
さて具体的にどういったポジションを考えるのか、4で説明しますが、コロナウイルスが日本では短期間で根絶される可能性が低そうだと私が考える理由を以下説明します。本題から外れるので興味なければ4まで読み飛ばして下さい。実のところあまり投資には関係なく、短期間に根絶されるのであればむしろプラス、くらいに留めておけばいいかと思います。
私が日本では緊急事態宣言を続けてもウイルスが根絶、あるいは新規感染者数がすぐに0にはならない、と考えている主な理由は以下の3つです。
・感染者全てを追いかける検査を最初から行っていない
・強制的かつ徹底的な外出禁止が事実上不可能であり自粛に委ねざるを得ない
・根絶ではなく集団免疫に視点を移すと、一層短期間では不可能
日本では2月初旬にいわゆる水際で食い止めることが難しくなった時点で、感染拡大を受け入れつつ医療崩壊を防ぐための施策、つまり検査数を絞って医療行為が必要な人のみに医療へのアクセスを行う方針にしています。要するに最初からウイルスの根絶は目指していないんですね。だから実際の感染者数に焦点はあてておらず、それから3カ月近く経過したことで無症状感染者を考慮すると最早実態をつかむことはほぼ不可能と言えると思います。
そもそもウイルスの根絶を目指すのであれば、実際の感染者を全て把握、とまでいかなくても大部分を把握して遅滞なく隔離すること、それができないのであれば国民全員に1-2カ月間外出を完全に禁止(スーパーもダメ)しながら発生する新規感染者を遅滞なく隔離すること、が求められます。
前者に関してはすでにpoint of no returnを超えていて、今更実際の感染者は全て把握することは不可能でしょう。無症状感染者は自覚がないのですから、結局これをやるには国民全員に検査を行う必要があり、かつそれを例えば2週間起きに行う必要があります。検査体制からいって不可能です。
後者についても、理由の2番目に掲げている通り、現実的に取れないし取れていない施策です。だからこそ自粛を促しているわけですが、結局個人の判断に委ねると最後は個人の価値観によってしまうので、完璧に統一された行動は起きえないと思います。
「医療崩壊を防ぐため、大切な人の命のために外出を自粛すべき」というと誰も異論がないように思えるかもしれませんが、あくまで価値観の1つに過ぎません。生活のために仕事をする、もそうでしょうし、自身の人生における自由行動が何よりも大切に感じる人もいます。極端な話、余命1か月の人にとっては、残りの人生1か月を自由に過ごすことこそ他のあらゆることに勝る、としても何ら不思議ではありません。最後は価値観の差なのです。それらを自分勝手だと非難するのは容易ですが、説得できなければ意味はありません。
実のところ外出自粛すべきというのも1つの価値観に過ぎない以上、それを他人に求める時点で自分勝手な話でもあります。自粛しない人、自粛を他人に求める人、いずれも自分の価値観を他人に押し付けたり、又は相手の人生に(相手にとって)負の影響を与えていて、個人レベルではどっちもどっちなのです。そのため説得もできないでしょうし、個人に委ねられた自粛で感染が短期間で収束し根絶に向かうとは考えにくいと思います。
ウイルス根絶を目指した様々な提案や意見が引き続きあるのは認識していますが、(ほぼ)全員検査可能かどうかという視点で、それらは全て2月初旬までに議論・実行されるべきだったテーマで、今からでは非現実的な提案、少なくとも自粛継続可能な短期間(つまり別の問題への恐怖心や本能を抑え込める期間)で達成できるようなものではないと感じています。そのため、無症状感染者が外出したり仕事をしたりすることで、緊急事態宣言中でも感染はだらだらと続いていくと思います。
集団免疫はもっと時間がかかるでしょう。抗体検査によると想定以上に感染していたことがわかってきたとの報道もありますが、それでも60-70%の集団免疫を前提にすると、さらに10倍くらいの期間が最低でも必要です。ウイルスそのものが何らかの要因で消滅するか薬でもできない限り短期間では収束しそうにない以上、収束する前にコロナ以外の問題への恐怖心が勝り、上記で触れたシーソーゲームが一番受け入れやすい政策になると思います。それが正しいかどうかではありません。
4.コロナ時代における株式投資戦略
3に記載した通り、「緊急事態宣言や自粛要請の期間」と「経済活動再開の期間」が状況によって1年くらいは繰り返されると考えています。こうした中での投資戦略は、バーベル戦略を基本としつつ、そこに少し味付けしたようなものを私は考えています。バーベル戦略とはハイリスク・ハイリターンとローリスク・ローリターンを組み合わせたものなのですが、コロナにおいては「コロナ時代においても安定した収益が見込める銘柄」と「コロナが落ち着くと業績の急回復が起こり得る銘柄」のカテゴリーの組み合わせで私は考えています。
「コロナ時代においても安定した収益が見込める銘柄」とは、当然内需中心となりますが、小売、食品、消費財、物流といった銘柄は全体として堅調な需要が見込めますし、内需向けの化学製品なども入ると思います。巣籠として、ゲームやネットワーク関係、ITサービスもカテゴリーに入るでしょう。
しかし3で触れた通り、自粛と経済再開の揺れ動きが繰り返されるため、どちらかのみにベットしたポジションは非常に危険です。上記の銘柄を基本としつつも、それらはすでにパフォーマンスが良いか、少なくとも悪くはないため、本格的に経済再開が始まったりあるいはそのニュースが出ると反動で大きく売られる可能性があります。私は、コロナ以前の株価より上がっている銘柄については、そういった理由で最初からポートフォリオに組み入れないようにしています。さらに上がるかもしれませんが、リスクリターンで魅力的には思えないためです。そして「コロナ時代においても安定した収益が見込める」と同時に「コロナとは関係なく成長できる地力のある銘柄」と自分が思えるものを中心に組み立てています。
「コロナが落ち着くと業績の急回復が起こり得る銘柄」は、わかりやすいものでいえば航空、観光業、ホテル、外食といった業界です。現時点では非常にリスクの高い銘柄ですが、だからこそ正常化に向けての政策がとられると期待で一気に戻す可能性があるためです。そもそも突然ワクチンができたり有効な治療薬が見つかると、この問題は一気に解決されてしまいます。その時は薬やワクチンを生産する製薬会社以上に、これまで大幅に下落していた銘柄が上がる可能性が高そうです。多額の資金を投入することは難しいですが、全体の一部はこういった銘柄に投下して、いわゆる「コロナ早期収束リスク」に備えておく必要があると私は考えています。
ここで上げているのは実のところ、コロナだから特別にこうする、といった話ではありません。ある1つのシナリオにベットして投資をするというのは、自身の描く未来予想によほどの自信でもない限りあまりいい方法ではありません。私も3で述べたようなシーソーゲームを予想していると言いましたが、投資においてはそれを基本としつつも予想が外れることも前提として組み立てています。投資において重要なのは、「勝ち続けることではなく、負けを抑えること」です。バッターボックスに立ち続けられるようにすることが重要で、ホームランを打つことではありません。
バーベル戦略に少し味付けをしたものと言いました。この味付けの意味は、コロナとは良くも悪くも関係が薄く同時に成長テーマのある銘柄群であったり、原油相場を意識したものとしています。コロナとは関係が薄い成長テーマというのは、1例を挙げると5G需要となります。すでに経済再開を開始している中国の国策でもあり年後半にはiphoneも5Gを出すという話もあります。こういった5G部品は日本企業しか作れないものも多く、コロナと関係なく日本の部品メーカーへの需要は堅調であろうと考えています。
部品メーカーといってもイメージできない方も多いと思うので、具体名を例示すると、村田製作所や太陽誘電、TDK、半導体テスタとしてアドバンテストやSPEで東京エレクトロンといった辺りが考えられます。CMOS需要でソニーもあるでしょうか。あくまで例示であり、これらの銘柄をオススメしているわけでは決してありません。しかしこういう需要はコロナばかり見て目を曇らせることなく、しっかり見据えておいた方がいいと思います。リスクとしては、中国と欧米の軋轢により、中国向けの部品輸出に対して何らかの制限をアメリカ等が西側諸国に求めてくる可能性でしょうか。すでにそういった報道もありますね。そうなるといくら日本企業に恩恵があっても、需要通りに中国に輸出できない可能性も出てきます。
原油に関しては、原油をテーマにバーベル戦略を組むのが面白いと考えています。原油下落が多大な恩恵となり、コロナに関わらず安定成長できそうな銘柄、が中心でしょうか。例えば、内需向けのウェイトの高い化学企業、ガス等エネルギー会社といったところです。同時に原油が上がると大きく業績を戻すような資源銘柄のうち、長期契約も多くすぐの倒産リスクは考えにくい銘柄、がハイリスク・ハイリターン側の中心に据えたい銘柄になります。
全ての戦略は当然株価の位置によりますが、基本的なポートフォリオは「どちらに転んでも悪くはない」であり、コロナ時代だからこそこういった視点が重要になると思います。「ホームランか三振か」を狙っていると一発退場リスクが大きい時代かと思います。ヘッジを付けるとしたら、100のロングに対して日経先物を50以下の量でショートするか、日経ダブルインバースを25以下の量で購入するかでしょうか。ヘッジの量は感覚的なものですが、日経平均が2万円近い現状では、何かしらヘッジを入れたい場合は日経平均の指数でヘッジするのは個人的には悪くはないと思います。
最後に
今回は新型コロナウイルスの影響においての株式投資の考え方について執筆しました。コロナを題材にしながらも、基本的な考え方はどのような局面でも使えるものだと思っています。あくまで私の経験上の視点となるので、そのまま鵜呑みにせず、皆さん自身の視点や基準を身に着けて頂ければと思います。宣伝となりますが、今月公開の当社の新サービス「アイデアブック」上で私が考える投資内容なども今後公開していく予定ですので、ぜひご登録して頂ければと思います。
「アイデアブック」イメージ画面
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