未科学とは
前回は縁起について書いた。
この世界は因果関係でできているわけではない、
今と未来の因果関係なんてなかったんじゃないか。
だから種をたくさん蒔いて、たくさん芽を出そう。
そう思えたということを書いた。
文章を書いているときは実は色々な感情が出てくることに最近気がついた。
涙が出やすい私は、文章を書いたり歌を歌ったりすると涙が出ることがある。なんなんだろうか。
前回の文章も後半に行くにつれ感情がやや高ぶってきて、その時は熱意や幸福感を感じなくもないんだが、その中に1箇所だけ印象深いワンセンテンス(※1)が生成された。
※1日本語でなんて言えばいいか分からなかった。
暴力的な励ましは、私を散々傷つけてきたけど
これが私の中の傷のひとつなのだろうか。
確かに、こういうのは嫌だなと思えるけど、"暴力"と"励まし"をくっつけてて面白いなとか、"私を散々傷つけてきたけど"というなんか
なんか、急に暗くてめっちゃ傷ついていそうな感じ。
文章を書いているとこういう私独自っぽい言葉の扱いができるようになるのだろうか。
めっちゃとか使わなくても日本語で表現できるときが来るのだろうか。
30記事とかnote書けたらそういうのがもっと出てくるのだろうか。
今日は未科学について書いて行こうかな。
エビデンスとデマの間の科学だ。
科学と非科学の間には未科学がある。
いつもただのニュースコラムみたいなものを引用としていて申し訳ない。
みなさんが安心できるのは論文のpdfなんだろうと思うのだが、それを読み込むのは時間がかかる。論文なんて素人が読んで正確に読める代物ではないのだ。
最近ではコロナのお陰で、論文やエビデンスという言葉が広まり、日常的に聞かれるようになった。これはとても良いことだと思う。
でも、大学等で体系的に医学を学んでいるならまだしも、そうでない人がコロナの論文やマスクの論文を読んでも正確に読めるはずないんじゃないかと思う。でもこの話はまた今度。。。
この記事には科学を4つの区分で判定して、情報の立ち位置を整理することで、人々の混乱を解消することを目指しているようなことが書いてあった。以下に記すのは科学を除いた残り3つの区分だ。
未科学以外に発展途上の科学というものがあるのは知らなかった。字面では未科学よりも科学的に感じられるが、意味合いは逆の印象のようだ。
話しを戻すが、未科学が何か伝えられただろうか。一般人が常識と認識しているものには、この4つが混在していると考えられる。
おばあちゃんの知恵袋は何科学だろうか。
お母さんのしつけは何科学だろうか。
陰謀論とは何だろうか。
MMTとは何だろうか。
れいわ新撰組とは何だろうか。
国民民主党とは何だろうか。
鍼灸院なんて怪しいものがなぜずっと存在しているのだろうか。
鯉のぼりはなんのため?
桃の節句は何のため?
風水は陰謀論?
縁起を担ぐのは何のため?
相変わらず下手な書き方だとは思うが、色々なものに4つの科学が入り込んでいると仮定したとき、この世の中は本当に信じて良いものなんてあるんだろうか?
これはうざい論法だ。
じゃあどうすりゃ良いんだよと言いたくなる。
ソクラテスのように"私は知らないよ"とみんなに言い回っても仕方ない。
金を稼がなきゃいけないんだから、あれもこれも考えたり調べたりする時間なんてないんだ。
じゃあどうすりゃいい
じゃあどうすりゃいい
こう思った人の処方箋は、そんなこと言ってる奴は無視すればいいと言いたい。
どうすればいいかなんて自分で決めて仕舞えばいいんだ。
今日は伝えたいことが弱くて、文章を書いた満足感がなかったな!
完
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?