公共の福祉をおれがやらなきゃいけないのか
資本主義社会は競争が必須だ、情報が速いやつ、リスクを率先してとったやつ、商品やサービスをパクッたやつ、
競争なので相手が怒るぎりぎりまでそういうことをやる必要が出てくる。
言ってみればモラル競争なのだ。
誰が一番モラルなく、空気を読まないか、
モラルがないやつほど強い、手数料をより上乗せして、嘘でないぎりぎりの情報を提供して、、、
敵より自分を優先して、優先して、そういうことをすれば儲けられる。
そういう仕組みだ。
そんな社会ではおれは弱い
モラルにびびってるからだ
モラルにびびっていては競争に勝つことはできない
そればかりか、個別性を尊重して、個別対応をしてしまう
これでは儲からない
オーダーメイドで儲かる方法を私は知らない
しまいには、公共の福祉のようなことを率先してやろうとしてしまう
だってみんなお金がないからだ、それでも必要なことはあって
誰かがやらなきゃいけない
だからといって、なんで自分がやるのか
答えは分かっている
私の価値観と遺伝的性質だ。
私の価値観は、公共の福祉を欲している
私の遺伝的性質は、公共の福祉こそ必要だと叫んでいる
また、やりきれずに終わるのか
今までに何度のこの風呂敷を捨ててきたか
それでも繰り返す
風呂敷を広げては、繰り返す
そんな自分に絶望しつつも
もしかしたら誰かが褒めてくれるかもしれないと
自分の身体が求めてしまうので、その自分を押し殺すことができず
昨日はまた風呂敷を広げてしまった
嫌だ、やりたくない
なんでおれが公共の福祉をやらなきゃいけないの
誰が褒めてくれるのか
それは
自分だけ
繰り返される自分の過ちに、ストレスで吐きそうだ
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