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運動会は秋から春へ ~実施時期の歴史~【教育学】

 5月末、運動会シーズン真っ只中です。「運動会って秋じゃないの?」と思われる方もいるでしょうが、5月6月に多く行われています。
 近年、秋から春に切り替える学校も増えていますが、昔から春だった学校も多くあります。運動会の実施時期について、現状と歴史を見ていきます。


1.春か秋か、今や五分五分

 全国の小学校約半数10620校を対象とした調査では、2015年地点で春開催(~7月)が54.3%、秋開催(8月~)が45.7%でした(※1)。今や五分五分、むしろ春の方が多くなっています。また、各都道府県の最頻日の平均を取ると、春は5月24日、秋は9月23日でした(文献①)。
 近年、秋から春へ移行する学校が増えています。1985年の全国1143校への調査では、秋48.1%・年2回19.7%・春32.2%でした(文献②)。年2回開催校の多くが秋を大運動会にしていることを考慮すると、かつて運動会の主流は秋だったことがわかります。一方で、スポーツの秋という印象の割には、昔から春開催の学校も少なくないとも言えます。
 春開催が増えた要因は、熱中症を避けるため、受験対策のため等が指摘されています。1990年代、中学受験に備えるため運動会を早く終わらせてほしいと要望が出されるようになり、10月11月開催だった学校が9月にするなど前倒すことが増えました(文献③※2)。しかし、2000年代に熱中症の危険性が浸透しました(※3)。夏休みから近いと熱中症リスクが高い、でも後ろ倒しは受験の関係もあり難しい、こうした事情などから新たに春を選ぶ学校が増えているようです。
 以上、運動会は秋が多かったのが近年春が多くなっています。ここからはどういった経緯で秋に開催されてきたのか、運動会の歴史を見ていきます。

2.一大行事運動会の始まり 

 明治初期、学校制度が始まった頃はまだ多くの学校で校庭・グラウンドが未整備でした。この頃の運動会では、近隣の数校合同で河原や神社の境内に集まって競技を行いました(文献④p.128)。
 運動会は当初「遠足」とほぼ同義でしたが、次第に体育の側面が強くなります。1885年初代文部大臣に森有礼が就任すると、集団訓練による規律獲得や体力向上などを目的として運動会が奨励されました(同p.127・文献⑤p.33)。以下、民族学者の柳田國男は、「運動会」の意味が遊山(ゆさん:野山に遊びに出る)から運動競技に変わっていったことを記しています。

 春秋の遊山は運動会と改まって、非常に賑わしくまた活気のある、殊に少年たちの悦ぶものになった。酒や三味線という小人数の楽しみは家に隠れて、跳ねたり飛んだりの無邪気な遊びが多く加わった。運動という語はもとは出遊(しゅつゆう)という意味にも使われて居たから、是もそういう所から普及した名称かもしれぬ。兎に角最初は誰も彼も、此日ばかり出て競技に携わるようであったのが、晴という感じが強くなって、ほどなくその道の修行が盛んになり、 選手というものを用意するに至った。

 出典:柳田國男『明治大正史 第4巻 世相篇』1931年、pp.363-364

3.秋と春、祭りとしての運動会

 当時から運動会は、主に秋または春に行われました。文部省が組織した体操遊戯取調委員会の『普通教育に於ける体操遊戯取調報告書』では、以下のように各学校で春秋の適切な時期を選び運動会を行うことが推奨されています。

凡そ学校に於ては毎年春秋二期の中適宜の日時を選び校内若は校外に於て成るべく全校生徒の運動會を行ふべし。

出典:『改正普通体操一覧:附・普通教育に於ける体操遊戯取調報告書』1906年、p.40

 秋か春に行われる理由は、単純に運動に適した季節ということもありますが(※4)、加えて運動会が祭りとして学校を越えた地域行事だった点もあるとされます。日本の年中行事は、夏冬(盆と正月)に祖先を祀る儀式を行い、春秋(田植と収穫)に生産を祝う祭りを行う傾向があります(文献④p.135)。主要作物である米の収穫時期となる秋は特に祭りが多く、現代でも神社の例祭は秋に行われることが多いです(※5)。以下のように、運動会は祭のようだという記述も見られます。

皆伝へ聞き老幼男女夥しく(おびただしく)四方より蠣集し(いしゅう:群がり集まる)恰も(あたかも)祭礼の思をなせり

出典:『埼玉教育雑誌』40、1887年、p.37。括弧は筆者。

 明治後期には、神社統廃合政策により神社とそこでの祭りが消失した地域で、運動会が祭りに代わる機能を果たしたとされます(文献④p.134)。大正期には校庭が普及し、次第に保護者や地域住民の参加する種目も登場して、村の老若男女が参加する大イベントとなりました。 大人は酒を飲んで楽しみ、個人・団体競技とともに、遊戯種目や仮装行列、舞踏や武芸などの見て楽しめる出し物が人気を博しました(文献⑥p.110)。

4.体育の日だけじゃない、時代ごとの秋の運動会定番日

 運動会の定番日といえば、1964年の東京五輪開会日10月10日に設定された体育の日が有名です(※6)。しかし、大体それくらいの時期に多かっただけで、開催がその日ばかりだったわけではありません。また、体育の日以前にも様々な定番日は存在しました。
 1891年の「小学校祝日大祭日儀式規程」では、祝祭日において運動を行うことが推奨されました。明治期は天長節(11月3日)、大正期は天長節祝日(10月31日)に合わせての開催が多くなります(文献⑦p.61※7)。

生徒ヲ率ヰテ体操場ニ臨ミ若クハ野外ニ出テ遊戲体操ヲ行フ等生徒ノ心情ヲシテ快活ナラシメンコトヲ務ムヘシ

出典:「小学校祝日大祭日儀式規程」 明治24年文部省令第4号、1891年

 1924年(大正13)には、文部省が11月3日を「全国体育デー」と定めて教育機関に体育活動を推奨しました(32年まで、文献⑧)。
 また、春に運動の日が設定されたこともあります。1958年には将来の祝日化も見据えた「国民体育デー」が5月4日に実施されました。5月4日は1988年に祝日と祝日の間も祝日となるまで平日になることが多く、間の祝日化もねらいにあったようです。しかし、定着することなく翌年から5月第3日曜日になり61年に終了しました(文献⑨)。
 以上のように推奨される日はありましたが、実際には現在と同じように各学校の事情に合わせて日が設定され、毎年若干の調整が入ることが多かったようです(※8)。また定番日は秋が中心でしたが、戦前から運動会が春に開催される学校も多数ありました(※9)。

おわりに.これからも柔軟に

 2012年の同一市内の小学校81校を対象とした調査(文献⑩)では、「PTA・地域住民の参加競技」が52%の小学校で実施されているほか、学校によっては地域に伝承される踊り等を参加する全員で踊るなど、現代も運動会が地域の重要なイベントとなっている所もあります。しかし、元々縮小傾向だった運動会は、2020年感染症流行以降、全校児童生徒が集まらず学年別に実施する学校も増えています。
 本文では運動会の意義は追求せず、開催する季節に注目して歴史を見ていきました。開催時期に深い意味があるわけではなく、自然な流れで各学校で形づくられてきました。運動会の開催時期や中身が子どもの頃と違うと、大人は違和感があるかもしれません。しかし、今までに固執せず子どもの事を考えて時期や形を変えていくのは悪いことではないと思います。

【注釈】

※1 当調査では春秋どちらかに集計されている。年2回開催の場合は、小運動会と大運動会になることが多く、大規模な方を集計していると推測される。
 ただし、上述した授業時間確保などの観点から年2回開催の学校は減少していると考えられる。1992年からの週休2日制(当初は月1、95年から月2、2002年から全面実施)による授業時間確保のための学校行事縮小が、年2回をやめる要因になったとの指摘もある(文献⑪)。
 なお、年2回開催の例は明治時代からある。例えば、愛知県第一中学校では1894年から春に小規模、秋に大規模な運動会を開催していた(文献⑫)。

※2 歴史の部でも10月11月が開催の中心であったことを述べたように、夏休み明け直ぐの開催は珍しかった。1959年の岡山県の小学校320校に対する運動会実施状況調査では、9 月下旬 7%、10月上旬が62%・下旬が28%、11月が3%であった(文献⑬)。

※3 例えば、2003年に文科省からリーフレット「熱中症を予防しようー知って防ごう熱中症ー」(文献⑭)が出され、周知が呼びかけられた。

※4 当時の文献でも、秋は「時正に天高く気爽やかに、最も郊外の作業運動に可なり」と記されている(「活動の秋」『台湾教育』137、1913年、p.1)。

※5 例えば、2018年に鈴鹿明神社が相模中央地域110社の例祭日を調べたところ、3月:2社、4月:39社、7月:9社、8月:9社、9月:30社、10月:19社、11月:2社であり、秋9月10月次いで春4月が多かった。(文献⑮)
 また、2006年大和地域の御県(みあがた)・山口・水分(みくまり)の神をまつる神社25社への調査では、2月:1社、4月:5社、7月:2社、8月:1社、
9月:4社、10月:15社、11月:3社、12月:2社で何らかの祭りが行われていた。こちらも秋中心で、次いで春が多い。(文献⑯p.35)

※6 1966年制定。なお、体育の日は2000年に10月第2月曜日となり、2020年にスポーツの日と改称された。

※7 祝日大祭日儀式規程以前から天長節に運動会を行う例も存在する。例えば、山口中学校では1885年11月3日に初の運動会である「天長節祝賀運動会」が行われている(文献⑰)。

※8 例えば、香川大学教育学部附属坂出学園の1913年から57年の運動会開催日程を見ると、10月後半から11月前半にかけて毎年若干変動しており曜日も一定ではない。(文献⑱pp.68-69)

※9 例えば、昭和10年代に北海道の小学校で毎年6月に実施していた証言が残っている(文献⑲)。なお、北海道は現在も運動会の春実施がほとんどである(文献①で99.4%)。北海道の運動会黎明期については、文献⑳に詳しい。

【参考文献】

①渡邊慎一・石井仁「全国の公立小学校の運動会開催時期と熱中症の危険度評価」『日本生気象学会雑誌』54(2)、pp. 75–86、2017年
②福武書店教育研究所編『モノグラフ・小学生ナウ』6(6)、1986年
③大橋正也「東京五輪で定着『秋の運動会』今は昔 春開催が主流に」『NIKKEI STYLE』2017年5月6日付: https://style.nikkei.com/article/DGXKZO16004620S7A500C1W11301 (参照 2022年5月21日)
④今泉隆裕「祭礼としての運動会:運動会の宗教学序説」『桐蔭論叢』36、pp. 127–138、2017年
⑤箕輪潤子「戦前の幼稚園における運動会の教育的意義に関する一考察:保育雑誌 『幼児の教育』 の 1930 年代の記事から」『武蔵野教育学論集』3、pp. 33–41、2017年
⑥佐々木正昭「学校の祝祭についての考察」『人文論究』551、pp. 101–117、2005年
⑦顔杏如「『帝国の時間』と植民地台湾:天長節と紀元節を例として」『日本台湾学会報』13、pp. 51–75、2011年
⑧野口穂高「1924 年の第一回全国体育デーの活動状況に関する一考察」『玉川大学教育学部紀要』2013、pp. 47–80、2014年
⑨門脇正俊「『体育の日』50 年とその前史:実施過程、意義や課題を各紙社説・報道等から振り返る」『北海道教育大学紀要 教育科学編』61(1)、pp. 1–16、2016年
⑩赤田信一「小学校における運動会に関する調査研究∼ A 市小学校の運動会の種目調査を中心に∼」『静岡大学教育学部研究報告. 教科教育学篇』45、pp. 201–213、2014年
⑪木村吉次・高橋春子・勝亦紘一・川端昭夫「日本の学校における運動会の発達に関する研究」『中京大学体育学論叢』36(2)、pp. 9–17、1995年
⑫秦真人「明治期の旧制中学における運動会の研究(3):愛知県第一中学校の事例から (その 1)」『愛知学泉大学・短期大学紀要』49、pp. 85–93、2014年
⑬安田正二「運動会の実態と問題点:岡山県を中心とした」『体育学研究』61、p. 25、1961年
⑭文部科学省・日本スポーツ振興センター『熱中症を予防しよう ー知って防ごう熱中症ー』2003年
⑮「例大祭はいつが多いのか 座間郷総鎮守鈴鹿明神社ブログ『社務日記』」https://blog.goo.ne.jp/suzukajinja/e/d3ead8579bf1d5ea6cb2986e4f29eccb (参照 2022年5月25日)
⑯大石泰夫「水分神社の祭祀と信仰:万葉集の成立基盤としてのヤマトの信仰的世界観」『万葉古代学研究所年報』7、pp. 33–45、2009年
⑰山本明史「山口県のスポーツ『いま』『むかし』」第16回中国四国地区アーカイブズウィーク歴史探究講座、2021年
⑱松村雅文「附属坂出学園における合同運動会の歴史」『香川大学教育学部研究報告 第Ⅰ部』144、pp. 65–87、2015年
⑲座談会参加者一同(上富良野町郷土をさぐる会)「戦中・戦後の学校と生活の記憶(座談会の記録から)」『郷土をさぐる』35、pp. 92–116、2018年⑳鈴木敏夫「北海道における小学校運動会の起源」『北海道大学大学院教育学研究科紀要』89、pp. 31–52、2003年

◆小田歩, 眞嶋宣明と尾崎真理「文化の成り立ちと政治権力の関係:18∼19世紀の近代国家形成期を中心に」『大阪大学歴史教育研究会 成果報告書シリーズ』9、pp. 1–19、2013年
◆吉見俊哉「ネーションの儀式としての運動会」『運動会と日本近代』pp. 7–54、青弓社、1999年
◆御園生金太郎編『改正普通体操一覧:附・普通教育に於ける体操遊戯取調報告書』地方学務研究会、1906年
◆柳田國男『明治大正史 第4巻 世相篇』朝日新聞社、1931年

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