過去があるから戦える「The first concerto」イベスト感想【プロセカ】
時系列はおそらくワールドリンクイベント前、冬弥が辛い過去に対して「冬弥らしく」自分なりに1つのけりを付けた物語でした。
冬弥に与えられた課題は重要なイベントの曲を全て作ること。冬弥はメンバー全員の想いを込めるため、各人から音楽に出会ってからの出来事や気持ちを丹念に聞き取りノートに整理します。実(まめ)な冬弥らしい音楽との、そしてみんなとの向き合い方だと思いました。
しかし、どうも曲に納得のいく熱量が生まれません。様々な手を尽くし、かつての師であり袂を分かった父にも尋ねてみますが、曲から「誇りを感じない」と一蹴。根詰めてフラフラのところをメイコさんに発見されます。
そして、みんなの想いを綴った冬弥のノートを見たメイコさんが、冬弥自身の想いがほとんど書かれていないことに気づきました。これ色々な意味で冬弥らしいなあと思いました。自分の想いを表現するために音楽を作る人も少なくないでしょうが、冬弥はそのタイプではないこと。仲間想いで自分の優先順位がとても低いこと。周りの期待に応えたいという想い。自分の中に向き合いたくない過去があること…。等々、色々な要因で無意識的に自身のことは避けていたように見えました。しかし、メイコさんの言うように「話すことが難しい想い」も含めて自身のことを考えてみることは、根幹として必要でしょう。
幼少期からあらゆることを制限されクラシックに全てを捧げた日々。周りの期待に応えたいと思いつつも、ついに応えられず自分は「逃げた」と捉えていることに気づきます(外から見れば、奏に近いくらい責任を感じる必要のないものですが、本人がそう意味づけてしまっています)。自身の負い目が原因なのではと父に話し、曲の助言を求めたところからの冬弥父との会話が今回の山場ですが、読んでいて複雑な気持ち(決して悪いものではない)になりました。
確かに「逃げたことばかりに目を向けて卑屈になる」必要はありません。毎日音楽と向き合ってきた日々は、確実に冬弥の力になります。その向き合い方は尋常じゃないものであり、それだけの過去を持っていれば「どんな相手でも戦える」というのも過言ではありません。
ただ、音楽以外の色々な経験を犠牲にした日々に対して、耐えられなくなった中学生の冬弥が放った言葉はとても真っ当なものです。その日々を飛び出して得た経験、そして得た感情が沢山あります。クラシックに捧げた日々を「美しく、誇らしいものだと思っている」としても、音楽づけの日々で得られなかったものに対する言及が一つもないままなのは、音楽のプロとしてはともかく保護者・教育者の姿勢として肯定することはできません(そこを全く悔いない親というのもまたリアルではあります)。もちろん、それによって冬弥父なりに息子を勇気づけて誇りを与えたことの価値が消えるわけではありませんが。
「この仲間と一緒なら戦える」だけではなく、自分の中に「この過去があるから戦える」と内にも芯を得た冬弥。得た誇りは、持ち前の真っ直ぐ仲間を想う力をさらに輝かせるでしょう。最後の場面「すべての過去を糧として、ただまっすぐに進もう」冬弥にピッタリの台詞だと思います。
画像出典:『プロジェクトセカイ カラフルステージ! feat. 初音ミク』イベントストーリー「The first concerto」2024年、
SEGA・Colorful Palette・Crypton Future Media
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