顎関節症の社不日記-500日目

 どうもこんにちは。
 焼けつくような暑さという表現がありますが、年々この一文から「ような」という助動詞の必要性が無くなってきてますね。目玉焼き作り放題の季節。

 半年間無職のままでお金が尽きた5月の終わりから、短期で時給の良いバイトをし始めて2ヶ月弱。気づけばまた無職になった。
 特に労働に対して言うことは無い。そりゃ疲れるよな。働いてるヤツらはみんな偉い。自分にはどうもそういう真っ当なことは向いていないな、とかくらいだろうか。やってやろうと思えばいくらでもちゃんとは生きられるが、その「やってやろう」が来ないのだから、結局やれないのだ。

 最近はちょっと色々あって、その一部に最近、ラジオみたいなのをやろうという話がある。
 1人だと寂しいので何人か友人を集め、話し相手だとか技術的に自分がやれないことだとかを手伝ったりしてもらい、第1回も無事撮り終わった。のちにYouTubeにも上げるつもりである。
 基本的には話すだけ。大体雑談そのままで、15~20分ほどの動画にするつもりだ。集めた友人らも協力的で、こうするならこうしたい、というような話し合いやそれに必要な音源などの用意を手伝ってくれたりする。ありがたいかぎり。

 現状問題があるとすれば自分にある。
 動画にする以上ある程度は画面を凝っておこうと色々考えてみたりしているのだが、画面を作ったりするのに凄く時間がかかっている。
 これはクオリティを高くしようとして悪戦苦闘しているからこそ……というわけではない。もしそうなら「現状問題がある」という風には書かないだろう。

 つまるところ、自分は今『世界樹の迷宮』シリーズにハマっている。
 知らない人に向けて説明すると、世界樹の迷宮シリーズとはいわゆる『RPG』のジャンルに分類される名作ゲームを括りにして言ったものだ。ドラゴンクエストやファイナルファンタジーほどではないものの、RPG好きなら1度は必ず耳にするビッグタイトルである。
 最近steamでHDリマスターと称し過去作が一気に3作もDL販売でPCからプレイできる場所に放出され、耳にすることはあれど未プレイだった自分はまんまと財布から札を出してしまった。昔からRPGの好きだった自分にとって、誘蛾灯にも等しい存在だったのだ。

 結果として自分の期待を裏切ることない体験を提供され、そこに割を食って他のことがおざなりになったというわけだ。面目ないね。アハハ。

 もし制作側に回った友人2人のどちらか、この文章を見ているようなら、そして自分が言った「月末までにはいったん作った動画共有するわ」という約束が守られなかった場合に言っておく。

 悲しいことにお金が無いので、ロクにご飯を食べない生活が続いた結果、以前より明らかに痩せてしまいました。
 少し体を逸らしてみれば、2年ほど前と比べたら明らかに胸骨が
 現状で言えば別にそこまで貧しているわけではないですが、出来るだけ労働から遠ざかりたい一心で出来るだけお金を使いたくないという思いが強く、不必要なものは買わず、食わず、飲まず、そんな日々でもう1年以上。
 一応1日3食は食べているのであまり不健康な生活をしているとは思いませんが、思えばそりゃ痩せるよな、というくらいの生活です。

 食事に対して強い関心やこだわりがあるわけでないので、この1年食事も大体いつも同じです。朝ごはんはバナナかおにぎり。昼ごはんはカップ麺か菓子パン。夜ご飯は白飯に納豆キムチか塩辛か明太子(とその時一番安い野菜を生でかじる)。カロリーで言えば毎日1600㎉くらい。成人にしてはちょっと足りないですね。
 ごはんを奢ってくれる人がいるなら、もしくはご飯でなくても、いつでも自分に何かを恵んでください。待ってます。

 食事の話から続きにはなるが、元々いろんな欲求が比較的人より無く、ああしたい、こうしたいというのがそこまで無い。
 それが何というか『人でない』ようで嫌なので、本当は別にしたくなくても色々やってみてはやめる、みたいなのが人生の常だ。続いているのは小説を書くことくらい。

 幸い自分はかなり色々出来る側のようで、大抵のことはちゃんとやれば出来るようになる。出来ないことと言えば肉体を使ってどうこうすることくらいで、それ以外であればどれでも最低限が人並、大抵は人並より上くらいは出来る。
 もちろん自分からやろうとしたこと限定であり、労働のようなあまりやりたくないことは含まれない。そこにやる気や根気といったものが生まれないからだ。むしろ興味のないものほど反比例するかのように出来ないのはどうにかならないだろうか。

 こうしたことは少し前まで自惚れや覬覦の類だろうと思っていたのだが、どうやらそうでないようだというのが分かってきた。証明する手段は無いが、少なくとも自分の中ではそうだと思えるのだ。
 このくらいの期間があればどのくらい出来るようになる、という目測を現実の自分が下回ったことが無い。全く、良い人間に生まれたものだ。

 やりたくないこと、やろうと思ったこと以外のことに関してはそもそも興味がなく、普段は考えもしない。
 洒落ること、将来のこと、明日のこと……全部、望まず、思わないからこそ平穏でいられるのは幸運なことだ。
 諦めや切り捨てというと聞こえが悪いが、無というのは不幸を齎さない。「有る」ことは須らく幸福を招くかもしれないが、ふと気づいた時、張り付いた蛭のように、もしくはそれ以上に、膨れた不幸が澎湃として振るものだとも思う。
 平穏が幸福なら、無いことが幸福になる。どこでそうなったかは知らないが、そうなったのはいつなのだろう。ゴミ箱の中身は有象無象だが、積み上がった等しい幸福になったのだ。

 そんな中、捨てずにいるのが小説を書くことだ。
 いつか知人や友人に見せようと思いつつ、見せることが出来ないでいるのはこれが「自分の底の部分」であるからだと思う。
 透明な液体に垂らされた数少ない有色。これを語った時にもし「取るに足らないもの」だと判断された時を恐れているに違いない。他人事のようだが、だからこそ秘密主義的に扱うことにしている、というところなのだろう。 捉え方によっては知人友人を信頼していないともとれるが、そう言われてしえばその観点には間違いが無い。他人より、人への信頼は薄いのだろうと感じることがある。
 しかし少なくとも「見せようと思っている」以上、その思いは表れることが無いだけで、自分が出来る限りの親愛そのものであることだけは言っておきたい。

 表れることのない親愛。いくらでもある。もう遠い違えた約束も、直近のあなた方のことも、遠くない友人の友人へ知り合いたいという思いも。
 けれど言わず、言えずいる。捨てられず隅に置いたまま。


 

最近流行りの曲に『貴方の恋人になりたい』という曲があります。歌詞はこう。

互いに惹かれあって
僕達は出会ってしまう
僕はいつか貴方の恋人になりたい

貴方は何も知らない
知らなくても大丈夫
すれ違いの始まりはささくれみたい

恋に落ちている 恋に落ちている
恋に落ちている こっちを見てよ!

恋に落ちている 恋に落ちている
チョコより甘い温度で溶ける

貴方の好きな人
僕はまだ名前も知らない
貴方のせいです
素敵な横顔のせいで
話しかけることが出来ない
でも
僕はいつか貴方の恋人になりたい

あのね 今
恋に落ちている 恋に落ちている
チョコより甘い温度で溶ける

恋に落ちている 恋に落ちている
恋に落ちている こっちを見てよ!

恋に落ちている 恋に落ちている
チョコより甘い温度で溶ける

恋に落ちている 恋に落ちている
チョコより甘い温度で溶ける

互いに惹かれあって
僕達は出会ってしまう
僕はいつか貴方の恋人になりたい

 自分のことを知っている人間からするとイメージとは全くかけ離れているとは思いますが、自分はよくこういった恋の歌を聞くことが多いです。
 というのも24年近く生きて来た自分は恋という経験をしたことがなく、だからこそこういった歌がいつも新鮮なまま。

 知らないのだから仕方ないとはいえ、恋愛小説だとどうしても心の底から共感出来ない部分があります。だからこそこういった歌くらいの距離がちょうどいい。凄くいい。

 ただ、いつか恋ということはしてみたいと思っていて、自らしに行くべきなのか、それとも受動的に叶うのを待つべきなのかもわからず24年近く経ちました。
 自分は男性なので恋愛対象はまあ女性か……とは思うのですが、美醜は分かっても特段何があるわけでも無く、強いて言うならステータスでくらいしか人を判断できません。
 知り合いに全く女性が居ないというわけでもなくなので、異性と話すのが苦手というわけでも無いのですが、交友があれどみな良い友人という以上になる気はしません。男女に優劣なし。

 だからこそいつか何か、24年の乾地に喜雨が降らないかとぼんやり恋に憧れを持ちつつ生きているのですが、どうも何もない。
 産めよ増やせよ地に満ちよ。これは確か聖書の言葉ですが、それより以前、太古から生き物は繁殖を至上の原理として活動しているはずです。
 なら自分は生き物であるところの閾値を超えたのか?とも思うのですが、もちろんそんなことないはず。なら恋とはいったい何なのか。したことないのは何故なのか、自分は……


 学生時代という恋愛に絶好な期間を逃がし、何も持たないまま社会の隅にいる自分に何があるのか。自分でも気になるところです。
 あまり自分のキャラで無いので言いたくはありませんが、「恋に恋している」というのが多分正しいところだと思います。
 人を好きになる。それがどれだけ素敵なのかを待ちわびているのですから。

 家を追い出されて1年以上。今の家に引っ越す前、友人から貰った電気ケトルが壊れてしまった。
 スイッチを押しても何の反応も無く、水を入れること以外何も出来ない。仕方なく新品のものを購入した。手を合わせて壊れた電気ケトルのコンセントを外し、玄関のそば、すぐ捨てに行ける場所に安置した。
 それをきっかけに大掃除でもしようとしたが、いかんせん自分の部屋は今荒れに荒れている。そりゃそうだ。1年以上ロクに掃除もしたことがない。

 燃えるゴミの日以外にゴミを出したことがなく、段ボールなんて引っ越した直後からずっと置いたままのものがある。
 色々やることはあるが、8月になったら絶対掃除をするぞ。そう思ってはいるが、本当に8月の自分はそんなことをしてくれるのだろうか。不安だ。

* 

 最初の方に書いた通り、自分はラジオ的なのの編集をやらねばいけないはずなのにそこそこ書いてしまいましたね。
 いややりたいんだけどさ、今やりたいことが色々あって、そのうちの1つに今書くnoteがあってさ……
 偶にお酒を飲む日を作っているのですが、今日はたまたまその日で、タダで貰ったMonsterにお酒を混ぜてちびちび飲みながらこの文を書いてました。
 酒なんていつ何を飲んでも美味くない。けど酔うことと酒を飲むことでの堕落の雰囲気は悪くない。

 というわけで500日目でした。数字のキリが良くても別に記念とかやらないです。この日記はほどほどの気力のままでいきたいので。

 じゃ。
 
 

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