顎関節症の社不日記-551日目
秋というには聊か暑いが、夏が跼るのを目に見えて感じられる時期になった。
万物に盈虧がある。夏の終わりを思い、厳寒を通り、また夏が過ぎる。何度と、何度と。
重なった年月を見れば、もう自分も立派な人間でなければならない気がしてならない。ふいに、軽佻な思惑にて『若いから』と許される喫水線は超えてしまったとのではないだろうかとも思う。どうモラトリアムな人間であろうと、それが外側に表れるわけでない。外面の薄い部分、それを纏おうとする自らの一部分に「お前はこの後どうなるべきのか」と