顎関節症の社不日記-102日目【記念】
まさかキリのいい100日目に更新なしとは自分でも思わなかった。
というわけで気づいたら実家を出て100日以上が経った。100日といってもキリがよく見えるだけで、1年は365日の12か月、1ヶ月が30~31日くらいで1週間は7日。暦を基準にするとどこもキリがよくない。
まあせっかくなのでそんな100日をいつの間にか迎えていたということで、ささやかに祝うことにした。
祝いの席といえば酒な気もするが、まだ自分にはコーラの方が美味い。格好つけずに素直な気持ちのまま飲むことにした。
振り返ればいろんなことが……なんて言うほどものすごく色々あったわけでもなく、かといってもう1回やれと言われたら嫌なくらいにはそこそこあった。ハチャメチャに雨に打たれながら居候先へ向かったり、家を探すのに色々やってみたり、役所に届け出を出すのが結構面倒だったり。
まあやはり、一番の変化は社会へ労働という奉仕をしていることだろう。半年前の自分は労働意欲の『ろ』の字もなかったのだ。いまだって意欲の『い』の字もないが、労働の対価で生きている分、『労働』までは記載済みになった。
そういえば実家はどうなったのだろう。結局家を出てからは3か月ほど前に1度帰ったきりだ。
自分は父も母もそこまで嫌いではなかった。ただ特別好きというわけでもなく、他の家庭と比べれば親孝行にあたるものはほとんどしていなかったが、それでもまあ出ていくことになったからにはもうしょうがない。そういう仲だったと言えるだろう。
思い出すのは弟と飼っていた犬のことだ。弟はまあ仲が良かった方だろう。喧嘩も大して無く、お互い笑いあって過ごしていた。夕食はいつも母親が先、そのあとに自分と弟がニュース番組を見ながら談笑しつつ食べていた。
あの時間は楽しかった。今は何をしても家では1人。弟も1人で飯を食べているのだろうか。
飼い犬は2匹。詳しくは伏せるが、茶色の方と白い方。茶色い方も白い方も、学校から帰れば元気に自分を迎えてくれた。
特に茶色の方と自分は仲が良かった。夏はエアコンの下で共に休み、冬になれば一緒の布団で寝た。小学校の頃出会い、もう10年以上。あと数年すれば死んでしまうかもしれない。そう思うと一度は顔を見せてやりたい気持ちになる。まだ元気だろうか。元気でいてほしいものだ。
自分は今なんだかんだ総合的に見れば幸福な方だろう。仕事も面倒で辞めたいし、そりゃ大学生の時と比べれば趣味に没頭できる時間も減った。それでもこの生活の中でなんだかんだ満足を見出し、平穏に暮らしている。今だってこうしてコンビニの生ハムをつまみあげながら、ささやかな幸福を楽しんでいる。
そういえば先日年収200万でも幸福に~なんて内容がTwitterで話題になっていたのを思い出した。正直な話あれが何故そこまで話題になったのかはわからない。
自分の今年の年収は多分だが100万いくかいかないかくらいだろうか。10月には仕事を辞め、多分ある程度金銭も余りがあるだろうから、それで12月まで過ごす気がする。きっと自分も怒れるくらいは危機感を持った方がいいのだろう。確かに保険証もないし、なんなら友人へ借金がある。手持ちの金銭と照らし合わせると所持金はマイナス。徳政令カードを持っている人がいたら譲ってほしい。
生ハムをつまみ、少なくなったコーラをちびり。今YouTubeで音楽を聞きながらのんびりnoteを書いて、寝れば労働が待っている。本当に幸せなのか、幸せと思い込もうとしているのかは分からない。もしかすれば何かに耐え切れなくなる日が来るのかもしれないし、急な破綻があるのかもしれない。
そういえば今日、どこかの町がとんでもない洪水に襲われる夢を見た。逃げ場のないくらいの大波がうねり、次々建物を吞んでいく。自分はそんな現場の真っ只中に居て、倒れ行くビルをぼんやり見上げていた。
こう書くと悪夢のように聞こえるが、意外にも楽しい夢だった。一切自分に危機感がなく、むしろ「やった、うまくいけばこれで世界が崩壊するかもしれない」なんて、夢の中の自分は期待を抱いていたのだ。
生ハムがなくなった。コーラもあと一口だけ。夜も更けてきて数時間で今日も終わり。休みだったのもあっていい日だった。
明日がいい日になってくれればもっと良いが、労働の日にいい日なんてないですからね。疲れて終わりだ。
まあ死なないようまずは365日目まで生きよう。頑張る……のは嫌なので、頑張らない程度に、死なない程度そこそこでやってこう。
みんなも死なない程度そこそこでやろう。世の中キッチリしすぎじゃないか?もう少し適当でいいだろうによ。