顎関節症の社不日記-136日目

 こんにちは。暑いですね。 

 7月が終わりに近づき、もう気づけば夏も中盤を過ぎた、といったところ。ここに引っ越した時はまだ少し冬の寒さが残るくらいだった。それがもはや見る影もないくらいどこか遠くにいるのだから、まさに光陰矢の如しだ。

 通常日々が早く感じる要因となるものはいくらかあるわ。代表的なところだと、『毎日が楽しい』『同じような日々が続いている』あたりだろう。
 自分の場合はもちろん『同じような日々が続いている』からだ。週4でしか働いていないのにこう言うのは少し憚られるが、働いて、疲れて寝て、休みになったら堕落でその日を食いつぶす。そういう日がずっと続いている。
 
  いまはまだ耐えられるが、もしこのままならいつか時間の流れに耐えられなくなる日が来るのだろう。今、自分は22だ。誕生日が来れば23。来年に24。自分と同い年の人間がスターになっていったと思えば、瞬きの間にずっと年下が偉業を成していって。
 普通に生きる上で他人はその事実にどう耐えているのだろう。今ただの会社員になった人は、いつか部長だとか役員だとかになったとする。いつかふと立ち止まったときに見渡した世間で、自分とそう違わぬ年齢の科学者が新物質を生成していた時、ミュージシャンが観客を熱狂させていた時、宇宙飛行士がどこか惑星に着地した時、惨めだとかまで行かずとも少しも何かを思わずにいられるのだろうか。

 今自分はまだ若いのもあってこれからを思えば多少は耐えられる。しかし老いて不惑なんて言われる歳になった時、普通の人間でいられる自信がない。少しでいいから偉大でなければ耐えられないに違いない。今だって周りの人間が自分に真っ当な指図をするだけで不服なのに。椎名林檎が19歳でメジャーデビューしてるのだって嫌なのに。
 こうした羨望の自分が心に潜み、自己を食い破る日を成長しながら待っている。

 じゃあ、かといって何かになるために毎日弛まず努力し続けているのかといえばそういうわけじゃない。働いた日は帰っても何もせずぼーっとしている日が大半だし、何日も休みが続いたとしても、気づけばその何日もを何もせず過ごしているなんてこともザラだ。
 今の自分にある『偉大な道』は文字を書いて小説家になるだとかがそれにあたる。しかしそれもそれで疲れるのだ。面倒だからといって遊びでペンタブを取り出して、絵を描こうとして、絵なんて描かずそのままゲームをして、気づけば日が暮れる。そんな日を食らって大きくなった『羨望の自分』が心に爪を立てる。

 こうした自己にある大きな怠惰と、前述の膨らんでいく羨望(嫉妬と呼んだ方がいい)は、これだけとは言わないが今の自分の大きな構成要素になる。矛盾した2つが同時にあるのは人間らしさだといえるだろう。

 破滅が先か、怠惰を破るのが先か。はたまた怠惰なままでも『偉大』になれるほどの才能が自分にあるのか。
 今日も寝る前に苦痛を飲み込んで、忘れるように眠る。
 働けば無能扱いで苦しみ、休めば自己に気づき苦しむ。真に満ちる時がこの人生に来ることを願っていたら、今日の終わりを迎えた。

 もし熱心な宗教家ででもあれば神に救いを求めたかもしれないが、残念ながら無宗教だ。神は自己の内にしかいない。

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