顎関節症の社不日記 -16日目
今日は、というか最近はNetflixを見ながら飯を食う事がある。ただそこまで色々作品を見ているわけではない。主には少し前、人に勧められて見ていた全裸監督のシーズン2が気づけばやっていたので、それをゆっくり見進めている。
この作品自体はノンフィクション作品であり、村西とおるという人物の破天荒で波乱万丈な人生が描かれている。凄腕のセールスマンだった彼、やくざ者の仲間、偶然出会った天才的なAV女優……どれもこれも本当に現実にあったものかと言われると、思わずその人生そのものに感嘆してしまう。ある程度彩られているにしろ、これが本当にあったものなのかと。
そう、ノンフィクションだからこそ、より面白いのだ。
フィクションとノンフィクションではどうも後者の方が話に『厚み』や『説得力』が出てしまう。
映画・ドラマ・小説に限らず、どんなお話にも現代では『ご都合主義』なんて言われる展開がある。フィクションの上では偶然によって命が助かったり、理由がないまま何かが起これば「そんな適当な展開でいいわけあるか」みたいな声がどこかしらで出てくるのが必定である。
ただノンフィクションではどんなにあり得ない話であれ「でも、実際にあったわけだからなあ」が全てを解決してしまう。ノンフィクションはそうあるだけでフィクションの一歩先を行っていると言えるだろう。
「事実は小説よりも奇なり」というが、ただ奇である小説は人に知られることなく、失敗作としてどこかへ消える。空想は現実からの逃げ場であるが、結局現実の方が、空想より強いのである。
別にこれがおかしいと言いたいわけではない。ただ、幼い頃から空想に明け暮れそのまま育った自分からすれば、そこに少し虚しさを感じるという話である。
まあ空想でいくら飯を食おうとも腹は減るし、いつかは餓死する。
それでも餓死するまでの間、空想でならいくらでも好きな飯を食えるのだ。
全裸監督、Netflixでみんなも見よう