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そもそも「展覧会」とは何ぞや

今さらなんだ、と言われそうですが、ここらでひとつ美術館で行われる展覧会について一緒に考えてみませんか(過去記事と重複する箇所もあります)。たぶん連載になります。

芸術作品をずらりと陳列して、それを不特定多数の人がまじまじと鑑賞する。
この制度はいつどこで発祥し、日本に根付いたのはいつなのか、そして展覧会はどんな役割を果たしてきたのか。

それを知ることは、今私たちが美術館に行く意味を考えるヒントになるはずです。

芸術鑑賞が許された特権階級

芸術作品を愛でる。最先端の文化を享受する。こうした行為は、古くからごく限られた階層の人にのみ許された娯楽でした。

中世ヨーロッパでは、パトロンとしてアーティストを支え、作品を発注していたのは教会や国王であり、ルネサンス以降はこれにメディチ家のような大富豪も加わりました。

中国では皇帝や士大夫と呼ばれる支配階級が長らく文化の牽引役でした。士大夫自らが絵を描く、いわゆる文人画が画壇のメインストリームになっていく点は他国と少し異なっていますが。

そして日本では、平安時代までは天皇、上皇や貴族たちが美術を優雅に鑑賞する権利を持ち、その後武士、僧侶、富裕商人などが少しずつその輪に加わっていきました。

まず、ここで押さえておきたいのは、もともとアーティストの創作はつねに受注方式だったということです。
ミケランジェロでも、ラファエロでも誰でもいいのですが、いま、私たちが名画として鑑賞している作品のほとんどは、アーティストが「あー、芸術が爆発しそうだー」とか言っていきなり自発的に生み出したものではなく、パトロンから「ここに飾りたいから、こういう絵を描いてね」と依頼を受け「了解です!」と言って制作したものなのです。

つまり、アーティストは常に誰か(教皇、君主、資産家)のためか、何か(礼拝堂の壁画、祭壇画、彫像)のために創作をしたのです。当時のアーティストは職人であり、工房を構えて集団で制作することが当たり前でした。今のアーティスト像とはだいぶ異なりますよね。

この構造を崩すきっかけとなったのが、そう、展覧会の登場です。

フランスでは、1648年、ルイ14世の治世に王立絵画・彫刻アカデミーが創設されました。18世紀に入ると、このアカデミー会員たちの作品発表の場として、展覧会が定期開催されるようになります。
アカデミーの展覧会は、1725年からルーブル宮殿の一室サロン・カレ(方形の間)で開かれるようになったことから、「サロン」と呼ばれるようになります。

官展であるサロンは、入場無料で一般の人たちに公開されました。一部の特権階級だけでなく一般大衆も美術を楽しむことができるようになったのです。その後は時代とともに、在野の展覧会も開催されるようになっていくのですが、こうした展覧会の誕生によって大きな変化が生まれました。

続く>>