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「なぜ日本絵画には水平線が無いのか」を考える(その6)
その5(↓)からの続きです。
薄々予感していましたが、長編シリーズになってきてしまいました……。
もうとっくにこのシリーズから脱落している人が多いことは重々承知していますが、ここまできたら最後までやらせてください。
というわけで、今回も日本絵画の水平線を時代順に追っていきます。
■室町時代の山水図の場合
鎌倉時代から室町時代にかけて、日本絵画には大きな変化が訪れます。それは本格的な水墨画の伝来です。
鎌倉時代に禅宗という新しい宗教が中国から日本に伝わる中で、様々な最新の中国文化が日本にやってくるのですが、その一つが水墨画でした。
また、室町時代になると足利義満が中国(明)との貿易を始め、唐物(からもの)と呼ばれる文物が数多く輸入されるようになります。「その3」で中国絵画の水平線について語った時に、馬遠、夏珪に代表される南宋絵画(↓)が日本の室町時代以降の水墨画に大きな影響を与えたと述べましたが、それはこの貿易を中心に宋時代、元時代の中国絵画(宋元画)が室町幕府のもとにもたらされたためです。
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日本では、禅宗寺院の画僧を中心に、宋元画(とくに南宋絵画)を手本とした水墨山水図が描かれるようになります。これが狩野派の誕生へとつながるので、室町時代は日本絵画のターニングポイントと言えるでしょう。
この時から漢画とやまと絵という、はっきりとした2つのメインストリームが生まれ、それが時に交わり合いながら、日本絵画を育んでいくことになります。
さて、南宋絵画では「辺角の景」と呼ばれる対角線構図が多用されたこと、そして俯瞰構図とあいまいな水平線という中国絵画の伝統が受け継がれていたことも前に述べた通りです。
これが日本の水墨山水図にもそっくりそのまま伝わりました。
室町幕府に近いポジションで絵を描いた相国寺の画僧・如拙や周文の絵を見てみましょう(↓)。さぁ、水平線を探してみてください。
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前景は俯瞰で描きつつ、後景へのつながりはあいまいなままにする、という画面構成は中国絵画と同じですね。はっきりとした水平線を設定してしまうと空間が破綻してしまうため、前景と後景の間は空白として残されているのです。
「その4」で、日本絵画では霞を描くことで空間のゆがみを処理することを確認しましたが、中国絵画由来の水墨山水図はそれとは違うということです。何も描かないことで空間を処理しているのだと言えます。この違いは面白いですね。
日本の画家は、図様の模写、かたちのコピーによって中国絵画を吸収しました。表面的な描き方や構図などはそれで十分学ぶことができるでしょう。現に皴(しゅん)という岩や山を描く描法は、日本でも室町時代から一気に普及します。
しかし、三遠法と呼ばれる複数の視点を自在にあやつる画面の作り方や、ひいては中国絵画で何百年もかけて紡がれてきた「胸中の山水」をイメージとして具現化するという概念を理解できたとは思えません。
中国絵画が「あえて」水平線を描かなかった理由を考えることも当然なかったでしょう。
すると、何が起こるか。
輸入された掛け軸や画巻とは異なる、屏風のような大画面で水墨山水図を描こうとした時に、日本特有の視点が顔をのぞかせるのです。
次の六曲一双屏風2点を見てください(↓)。
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水平線を明示しないという描法は、掛け軸の山水図と変わらないのですが、右隻と左隻をあわせて1つの横長の画面として見てみると、「だいたいこのあたりが水平線だよね」というラインがほぼ動くこと無く、両隻を通して固定されていることがわかります。
元末四大家の黄公望が見せたような、水平線が自在に上下するような表現(↓)は日本絵画ではほぼ見られません。
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つまり、日本絵画には中国絵画から吸収できたものと、できなかったもの(またはしなかったもの)があるというわけです。
ちなみに、同時代のやまと絵系の屏風はこんな感じです(↓)。
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俯瞰する視点で描き、ほとんど空は描かないという点や、太陽や月を描く時には、霞で空間を省略してしまうという手法を見ると、平安・鎌倉絵巻からの感覚的なつながりがうかがえます。
このように、宋元画の画面構成法を取り入れた漢画系山水図と、平安時代からの流れをくむやまと絵系山水図では、やや異なる視点で絵が描かれていたのです。しかしいずれにしても、まだ明確な水平線と呼べるようなものは登場しませんね。
これが次の時代、桃山〜江戸時代となると、いよいよ水平線が登場するのですが、それはまた次回にしましょう。