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展覧会は誰のもの?

ついこの前、年が明けたと思ったら、気づけばもう2月も半ば。年度末が近づいてきましたね。早……。

年度末と言えば、異動や退職がありますね。
学芸員の場合は、専門職なので会社員のように色々な部署に異動するということはありません(例外的に、東京国立博物館クラスの大きいところだと、「○○室長」といったポストが多数あり、それを持ち回りで担当しながら上級職へ進んでいきます。これは異動と言えば異動かな)。

というわけで、学芸員に変化が訪れるとすれば、それは退職です。他の美術館に移る、大学の教員になる、などの理由でその職場を離れるわけです。

さて、1人の学芸員が職場を去る時、どんなことが起こるのか。

例えば会社員が退職するとなったら、引き継ぎを行いますよね。人が変わってもスムーズに仕事が続くように、自分が抱えていた仕事、業務の進捗、取引先の情報などを後任の人に伝えます。

これは学芸員も基本的には同じなのですが、会社員ほどそれが機械的にできるかと言われれば、そう上手くいきません。なぜなら学芸員の仕事は、個人の能力に因るところが非常に大きいからです。

学芸員の大きな仕事と言えば、展覧会の企画です。もし同じ展覧会テーマを与えられたとしても、学芸員によって実現する展覧会の内容は全く異なるものになるでしょう。
どのような作品を選定するか、出品交渉をどこまで成功させることができるか、テキストをどれぐらい書くか、学芸員の得意・不得意、長所・短所が反映されるのです。
だからこそ、展覧会が開幕した時に担当学芸員は誰よりも喜びを噛みしめる権利があると言えます。心情的に「この展覧会は自分のものだ」となるわけです。

さて、展覧会の準備には1年以上かかるのが普通である、とこのnoteでも書いてきました。では、その準備期間の最中に担当学芸員が退職することになったら、どうなるでしょう。切りの良い時期に退職できるとは限りませんからね。

美術館は組織である以上、人が変わって業務に支障が出るなんていうことがあってはいけません。
しかし繰り返しになりますが、自分のスキル、人脈、センス、労力すべてを注ぎ込んで、自分にしかできない展覧会を作り上げてきたのです。その半ばで美術館を離れなければいけなくなった時、そうすんなりと後任に展覧会を任せることができるかどうかという話です。

もっと言えば、その展覧会は自分の功績である、というエゴを捨てられるか否かです。

こういう悩みって、他の世界でもあるんですかね?
雑誌の編集長が変わったとしても、その雑誌がなくなることはないですよね。多少カラーが変わることはあるでしょうが。
映画監督が途中で降りることになったら、映画は頓挫する場合もあるし、ピンチヒッターの監督で何とかすることもあるでしょう。
うーん、まちまちだなぁ。

学芸員に話を戻すと、まぁ一般論というか普通はちゃんと引き継いで、担当していた展覧会を後任に託します。その場合、当然ながら展覧会が開幕した時には、すでにその職場にはいない元・学芸員の名前が表に出ることはありません。

そりゃそうだろ、としか思えないのですが、展覧会準備に全身全霊を注いだ人ほどそれに我慢できないようです(ということは、私のこだわりが薄いのか?)。

で、どうするかと言うと、展覧会図録に記名原稿を載せる(外部の人間という立場で)、または企画監修に自分の名前を出してもらう、といった形で何とか「この展覧会は本当は自分のものなんだ」と主張します。

「後のことは後の人に任せればいいのに」と思う反面、それぐらい譲れないものを持つ、自分の業績を何が何でも積んでいく気持ちは、ある意味立派だなとも思います。そうやって名を揚げていくのが大事なのもまた事実ですからね。

ただ、展覧会は学芸員1人で作り上げることなんて不可能で、チームプレーでしかないのですから、あまり自分を前面に押し出すのは違うんじゃないかなぁと思います。私の個人的感想ですけどね。

なんかごちゃごちゃ書いてしまいましたね。すいません。みなさんは、こういったいわゆる個と組織の問題ってどんな風に考えていますか。何かあればコメントで教えてください。