6.人畜の相異は選挙権の有無に在り/ 尾崎行雄『憲政の本義』

六 人畜の相異は選挙権の有無に在り

 立憲国民は、生命財産の権利ある人類であるが、専制国人民は、これを持たない禽獣的動物であることは、前にもしばしばこれを説明した。しかして法律上に於ける二者の相違は、一はその生命財産の保管人則ち代議士を選挙するの権利を持ち、他はこれを持たないと云う一点に外ならない。故に政治上に於ける人類と禽獣の差異を煎じ詰めれば、選挙権を持つと持たぬとに帰着する。然るに人類唯一の政治的資格とも云うべき、この選挙権を売買するに至ては、その無智不徳、少しも禽獣と異なる所がないではないか。金銭の為に、その貞節を汚す所の女子は、これを賎むことを知りながら、金銭の為めに、人類の資格(選挙権)を売買するものがあっても、かつてこれを社交外に唾棄排斥することを知らない。これれ畢竟立憲的教育がない為ではあるが、その愚実に驚かずには居れない。しかのみならず、我が帝国に在ては、選挙権所有者は、これを持たない者の、四十分の一に過ぎない。故に一人の有権者は、同胞四十余人に代り、代表的にこれを行使する心得がなければならぬ。然らざれば、衆議院は、全国一百四五十万人の代表機関であって、六千万人の代表機関では無い事となる。これ豈に憲法制定の本旨ならんや。果して然らば、一票の投票を売るのは、四十余人の共有物を売るのに均しい。タトエ法律上の横領罪を構成せなくても、道徳上に於ては、たしかに横領罪を犯せる者である。(普選法の為人民五名に付一名の選挙人がある割合になった)
 同じ帝国人民でも、そのハワイ及び北米に居るものは、選挙権を視て、生命に次ぐ所の貴重物と思っている。故に北米聯邦の国法が、もし彼等の帰化を許すなれば、彼等の内には、選挙権を獲得せんが為め、日本の国籍を脱して、米国人と為るものが、必ず少なくないであろう。現にハワイ及び北米に於て産れた子弟を、米国の国籍に入れて、選挙権を得ようと欲する者があるのはその証拠である。けだし日本の国籍を脱しても、尚お人類たる事を失わないが、選挙権なければ、未だ完全なる人類であることを得ないからである。彼等は日本臣民である事を以て、無上の誇りとする。然しながら人類である事を、より以上の誇りとする。
 国籍を棄てる様な極端な手段を施してまでも、なお選挙権を得ようとする者は、決してこれを売買するようなことはない。我が労働者出稼人といえども、ハワイ北米等に在住して、立憲的空気に囲繞せられると、かくの如く選挙権を尊重する。本国在住の選挙人中、その権利の尊重なる所以を解せず、動もすればこれを抛擲もしくは売買する者の多いのは、専制の余習がなお島帝国に充満するが為めである。今日の急務は、立憲的空気を養成し、以て専制の余習を掃蕩するより急なるはない。その方法如何。

(一)各政党本部は、政治教育を以て、その最も大切なる職務とする事。

(二)各政党本部は、全国の各支部を勧誘して、政治的読書を奨励し、又絶えず講演会討論会の類を開かせる事。

(三)内務省は、地方官に訓令して、全国各地の青年会に、穏健なる政治知識及び道徳の開発に力めさせる事。

(四)文部省は、挙国の官公立学校長に訓令して、毎年憲法発布節を祝せしめ、又憲法発布の詔勅を朗読せしめ、中小学校に在ては、校長に憲法の大意を説明せしめる事。

(五)全国の市町村、その他の団体は、 明治天皇陛下が、始めて人類の権利を、この民に許与し玉うたに対し、毎年二月十一日を以て謝恩会を開く事。

(六)中小学校教員に、選挙権の侮蔑濫用は、ただに法律上の罪悪であるばかりではなく、道徳上に於ても、また重大の罪悪であることを、生徒に教えさせる事。

(七)全国の検事警察官は、一層選挙の取締を厳重にし、又その罰則を励行する事。

 これを要するに憲法を軽視し、議員選挙を腐敗せしめるのは、明治天皇陛下の最大偉蹟を汚蔑する所以であって、その不忠不義、実にこれより大なるはない。故にいやしくも陛下忠良の臣民となろうと云う心掛けある者は、各々立憲思想を鼓吹して、封建専制の余習を掃清せなければならぬ。

前章:5.帝国憲法の神髄

次章:7.選挙人の腐敗は立憲政体の最大併毒

「憲政の本義」目次


底本
尾崎行雄『普選談叢 貧者及弱者の福音』(育英會、1927年11月2日発行)(国立国会図書館デジタルコレクション:https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1452459, 2021年5月21日閲覧)

参考
1. 尾崎行雄『政戰餘業 第一輯』(大阪毎日新聞社、東京日日新聞社、1923年2月19日発行)(国立国会図書館デジタルコレクション:https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/968691/1, 2021年5月21日閲覧)
2. 尾崎行雄『愕堂叢書 第一編 憲政之本義』(國民書院、1917年7月27日発行)(国立国会図書館デジタルコレクション:https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/956325, 2021年5月21日閲覧)

2021年6月22日公開

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