§9.3 誰のための選挙か/ 尾崎行雄『民主政治読本』
誰のための選挙か
それほど大切な選挙権をどう使えばいいか.投票は誰のためにするのであるか.自分の不利益になるような法律をつくらせない代表者を選ぶために使わねばならぬ.自分自身のためにする投票でなければならぬことは,もう云わずして明らかなはずだが,わが国の有権者のうちには,今でも選挙は,候補者のためにするものと心得ている人がかなりたくさんあるようだ.
候補者のための選挙だと思えばこそ,たのまれたから,……金をくれたから,……義理があるから入れてやるという気にもなる.もし選挙は自分の生命財産その他の権利自由を守るための番人を選ぶことだとさとれば,どんなばかでもたのまれたから入れるのではない.こちらからたのんで出てもらうのだ,候補者から金をもらうどころか,選挙の入費は,たのむ側の有権者の方でもち寄るぐらいにせねば,信用のおける番人は出てくれないくらいのことは気がつきそうなものである.
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cf.
元来選挙に要する費用は、其性質上、候補者が負担するのが本当であろう乎《か》。将又《はたまた》有権者が持ち寄るべき筋合のものであろう乎《か》。これ実に普選の成敗・憲政の死活を決する重大問題である。しかも此の大問題は「選挙は誰の為に行うの乎《か》」ということが決まれば、多言を要ぜずして解決する。若《も》し選挙が候補者に名誉を与え、地位を与え、甚だしきは国家の利権を私する機会を与えるために行われるものなら、其費用は、勿論、候補者自身が受け持たなければならない。有権者は豪然として「叩頭百拝しなければ、投票してやらぬぞ」「相当の車賃日当等を払わなければ、仕事を休んで遠路投票に出てはやらないぞ」と威張っていてもよいわけである。之に反して、若《も》し選挙が一般人民に代って、其不利を除き、利益を与えるように、法律を作り、国費の用途を定める大切な総代を選む為めの一大行事であれば、之に要する費用は、世人が弁護士を頼む場合と同じく、当然人民側で負担せねばならない道理になる。而《しか》して選挙の目的が、前者にあらずして、後者にある事は、説明を要せずして明《あきら》かだ。果して然らば、選挙に要する費用は、之を候補者に負わせず、一般人民が分担すべき筋合のものであることも、亦《また》一目瞭然だ。
尾崎行雄『政治讀本』(日本評論社、1925年)の中の「一二 選挙の費用」の章。(国立国会図書館デジタルコレクション:https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/971535, 2021年3月3日閲覧)
底本
尾崎行雄『民主政治讀本』(日本評論社、1947年)(国立国会図書館デジタルコレクション:https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1438958, 2020年12月24日閲覧)
本文中には「おし」「つんぼ」「文盲」など、今日の人権意識に照らして不適切と思われる語句や表現がありますが、そのままの形で公開します。
2021年3月23日公開
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