5.帝国憲法の神髄/ 尾崎行雄『憲政の本義』
五 帝国憲法の神髄
帝国憲法は、七十六ヶ条の多きに及び、その規定する所、広く諸般の事項に渉っているが、要するに君民の権義を確定し、人民の生命、財産、その他の権利を保証するに外ならない。
帝国臣民は、奴隷に非ず、禽獣に非ず、かえって生命財産の権利を保有するところの人類である。故にいやしくもこれに関係する所の法律は、所有主の代表者たる衆議院議員の協賛を受けねばならぬ。特に租税の如きは、よってもってこれを徴収するところの法律制定に際して、人民総代の同意を得なければならぬ。のみでなく既に徴収した金額を使用するに方っては、毎年予算案を、議会に提出して、その協賛を求めねばならぬ。人民総代の承諾を得て、既にこれを使用した後は、決算書を作って、更に議会に承認を求めねばならぬ。帝国憲法が、人民の財産権を尊重することは、至れり尽せりと云うべきである。生命に比ぶれば、一層軽小なる財産ですら、なおかくの如し。いわんや生命においてをや。しかして代議士の最大職分は、人民に代って、その生命財産を保管するにある。一個人もしくは一会社の生命財産の一小部分を依託せらるべき弁護士を依頼するのにも、その人の当否を審慮し、その選択を慎むの必要を知る者は、代議士選挙にあたっては、最もこれを慎重にせなければならない道理を知らねばならぬ。何となれば三百八十一名(現在は四百六十三名)の代議士は、全国人民の生命財産の全部に対する保管人管理者であるからである。現在の国費は、毎年およそ六億円の多きに及ぶ。これを三百八十一人に均分すれば、一人一年の議定額、およそ百五十万円であって、任期四年間には、一人平均六百十万円の金額を議定する事になる。(昭和二年度の総予算は、およそ十七億五千万円だから、一人の議員が、四年の任期中に、平均千五百万円余り議定する計算になる。かなりの大食だ。いわんやこの外に、三十幾種の特別会計がある)然るに今日我が全国人民は、この大切な議員の選挙を見ること、僅々数千円若くは数万円の訴訟代理人の選択よりも軽い。否な弁護士は、これを選択するが、代議士に至ては、毫もこれを選択せず、ただ運動費の多少と、情実縁故の深浅とによって、これを取捨するもの滔々《とうとう》皆なこれである。我が同胞兄弟中には、未だ生命財産の貴重な次第すら解し得ないものが、なおはなはだ多い事を知らねばならぬ。然らずんば何故その保管人を、こんなに等閑視するだろうか。
帝国憲法は、主として人民の生命財産の安固を保証するが、我が同胞兄弟中には、未だその効用を解せず、したがってその恩沢に浴せないものが多い。卑諺にいわゆる「猫に小判」とは、この類の事態を嗤笑せるものであろう。
底本
尾崎行雄『普選談叢 貧者及弱者の福音』(育英會、1927年11月2日発行)(国立国会図書館デジタルコレクション:https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1452459, 2021年5月21日閲覧)
参考
1. 尾崎行雄『政戰餘業 第一輯』(大阪毎日新聞社、東京日日新聞社、1923年2月19日発行)(国立国会図書館デジタルコレクション:https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/968691/1, 2021年5月21日閲覧)
2. 尾崎行雄『愕堂叢書 第一編 憲政之本義』(國民書院、1917年7月27日発行)(国立国会図書館デジタルコレクション:https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/956325, 2021年5月21日閲覧)
2021年6月21日公開
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