【GAKUDAI PARK STREET & STORIES】vol.3:古本遊戯 流浪堂
「あの古本屋が学大に戻ってきた」
今年の夏、学芸大学駅のエスカレーター横に、こんなコピーが書かれたポスターが掲示された。それを見ただけで「もしや......!?」と、ある古本屋が思い浮かんだあなたはもう、れっきとした学大民である。
ここ学大で22年営業したのち、老朽化した建物の取り壊しによって惜しまれながら休業となった「古本遊戯 流浪堂」。そこから約2年の時を経て、2024年7月17日に学大高架下で新たなスタートを切った。
「本当にね、このまちは優しくてあたたかい人たちばかりで。オープンと同時にたくさんの人から『おかえりなさい』と言ってもらえて、嬉しかったですね」
店主の二見彰さんは、そう笑った。実際、この店の復活を心待ちにしていた人は多い。再開に至るまでに、いったいどんな経緯があったのだろう。
「流浪堂」がオープンしたのは、ちょうど2000年のこと。元バンドマンで、とりわけ本の虫でもなかった二見さんが、先輩に誘われてアルバイトを始めた古書店でその面白さに目覚め、31歳のときに自ら始めたお店だ。
当時、約18坪のこぢんまりとした店内と軒先には、おびただしい数の雑誌やカルチャー本、写真集、マンガ、小説などが並び、本好きの心をくすぐるその多様なラインアップや、夜24時までやっている気軽さから、着実にファンを増やしていった。
気づけば20年以上流浪することなく、むしろこのまちにしっかりと根を張り、多くの人に愛されてきた「流浪堂」。そこからやむなく休業となり、建物が取り壊されたのを見たときは、自分の中の“柱”を失った気持ちになったと、二見さんは言う。
「自分の意思で辞めたならいいんだけど、やむを得ず撤退する形になってしまったから、やっぱり悔しくて。来てくれていたお客さんやまちの人たちともあんな形でお別れするのは嫌だったので、『必ず復活します』『まだスタンプカードは捨てずに持っていてください』とお伝えしていました」
それに応えるように、休業中はお客さんたちからも二見さんたちを気にかけるメッセージや、学大エリアの不動産や物件情報がたびたび届いた。
ちなみに二見さんはこの期間、人生で一番本を読んだらしい。
「お店をやってるときはなかなか読めなくて、新刊に触れる機会もあんまりなかったんです。でもこのときは時間があったから、しょっちゅう恭文堂さんに行っては、小説を買ったりして。小川哲さんの『地図と拳』とか、島田雅彦さんの『パンとサーカス』とか。新鮮だったし、こういう人生の空白期間に読む本というのはいいものだなと思いました」
以前の「流浪堂」を知る人からすれば、もしかしたら高架下の施設の中で再オープンするというのは、少し意外に感じるかもしれない。実際二見さん自身も、声が掛かった頃は「難しいのではないか」と考えていたという。
「うちは今まで、完全独立でやってきた店ですしね。そこから大きな企業と一緒にやっていくイメージができなくて、無理じゃないかなあと。でも東急の方々とお話をするうちに、学大の未来やまちの人たちのことを真剣に考えて取り組んでいるのがわかってきて。
考えてみれば、僕らもこのまちの人たちの応援に支えてもらってきたわけなので、再出発するなら地域に何か還元したいなと思うようになったんです」
「まちのためにできることがあるなら」と、高架下への移転を決めた二見さん。こうして「古本遊戯 流浪堂」は、装いを新たに再出発を果たした。
外観も内装も、以前と比べるとかなり雰囲気が違う。それに対して二見さんは、「前と同じにするつもりはなかった」ときっぱり。
「同じことをやろうとしたところで、場所が変われば、結局別のものになっちゃうんですよ。せっかくもう一度チャンスがあるんだったら、別のことやった方が楽しいかなと思って」
以前のお店は、膨大な数の本で埋め尽くされた洞窟のような印象だったが、今回は大きなガラス窓から自然光が入り込む、明るく解放的な空間に。
建物自体の、コンクリート打ちっぱなしのインダストリアルな雰囲気はそのまま活かしつつ、冷たい印象にならないように棚は木製で統一した。木の色味もやや明るめだ。
この本棚の設計にも、こだわりがある。
「今回はすべて“箱”のようなイメージでつくってもらいました。古本市とか棚貸している本屋さんみたいに、ひとつの箱の中にぎゅっと自分の世界を詰め込んで楽しむようなイメージでやれたらいいなと思って。ほら、よく本屋っていうとサイズによって棚が分かれているけれど、うちでは文庫も大判の本も雑誌も、ひとつの箱に全部ごちゃまぜで入れちゃうことにしたんです」
たしかに、なんとなく近いキーワードを持つ本たちが、サイズ関係なく同じ箱の中に集結し、ひとつの世界ができあがっているように見える。
さらに、平置きされているものもあれば、重なっていたり、立てかけられていたりと、無造作に見えてじつは繊細なバランスで並べられており、そこからも二見さんの経験と美学が伺える。こうして眺めていると、本の方から語りかけてくる気がしてきて不思議だ。
「うちとしては、何かに興味を持つ“とっかかり”であれたらいいなと思うんですよね。写真でもいいし、建築や風俗でもいい。もしそこからどっぷりハマっていく人が数人でもいれば僕としても楽しいし、どんどん掘り下げていけるのも古本の良いところですから。だからまずは、本のビジュアルを見て面白そうだなと感じてもらうことが大事なのかもしれないですね」
本のラインアップは、絵本からエログロまで、相変わらず幅広い。「ビジュアル的に目立つから、アート関係の本がメインだと思われがちなんですが、全然そうでもないんですよ」と二見さん。買取をメインにしつつ、たまに市場で仕入れることもあるという。(あまり知られていないが、店頭でも1冊から買い取ってくれる)
取材した8月末時点で、店頭に並んでいる本はまだ蔵書の1割程度と聞いて驚いた。前のお店のときの在庫も含め、大量の本が倉庫に残っているらしい。そのなかから選りすぐりの本たちが、今後店頭にどんどん並んでいく予定だ。
「前のお店の雰囲気を好きでいてくれた方も多いから、少し戸惑うかもしれないですけど。でもあれもね、はじめは棚はスカスカで、20年以上お店をやっていくなかで堆積してできあがっていったものだから。この新しいお店も、これからどんどん本が増えて、年月を積み重ねていくなかでまた違った様相になっていくと思うし。その変化をお客さんと一緒に楽しんでいけたらいいのかなと思っています」
移転したからこそできる新しい試みも、いくつか考えているという。そのひとつが店内でのイベントだ。
キャスターが付いた可動式の棚にしたことで、店内のスペースを広くあけられるようになった。映画の上映会や音楽ライブ、落語の寄席なんかもできそうだ。先日9月1日(日)には、さっそくお芝居の公演が行われていた。
「本屋はまちの人たちの拠り所になれるのではないか」。
以前、二見さんは別の取材で、まちにおける本屋の役割についてこう語っていた。高架下にやってきて、変わったこと、新しく始めたこともあるけれど、根底にある思いは今も変わっていない。
「誰でもふらっと寄り道できる場所でありたいという気持ちは、ずっと変わらないですね。夜22時まで営業しているのも、仕事や飲み会後の家に帰るまでの一呼吸とか、ちょっと孤独を感じたときとかに使ってほしいなと思うから。それに、帰り道に明かりが灯っているだけでもホッとするじゃないですか。
本屋は、買うかどうかもお客さんの自由。もちろん買ってくれたら嬉しいけれど、まずは眺めてみるだけでもいいんです。だから、本の知識がなくて不安という若い世代の方たちにも、ぜひふらっと寄ってもらえたら嬉しいですね」
夢中になって本を眺めていると、時折頭上から電車が通り過ぎていく音が聴こえてくる。それに対して二見さんは、「ちょっと旅先にいるような気分になるんですよね」と言った。
言われてみると本当にそんな気がしてきて、いつもは手に取らないジャンルにも冒険してみたくなった。さいわい、この店にはいくらでも本がある。ちなみに二見さん、今では音だけで急行か特急かの区別がつくらしい。
約2年間の流浪を経て、ふたたび学大の地に根を張った「流浪堂」。これから先、年月を重ねるごとにどんな変化を刻んでいくのか、いちファンとしてその過程を見守っていきたい。
取材・文 むらやまあき
写真 長島萌桃