GAKUルーツ《田故知新》VOL.6
いよいよGAKUルーツ《田故知新》も6回目、60年間振り返りの折返し地点まできました!
1990年代後半の田楽座は、創立30周年記念作品の仕込みと上演、そして芸能取材に大忙しです。
2024年の今、60周年として作品仕込みに取材稽古にと、動き回る自分達と重なる部分がとっても多くて…
「先輩達もめっちゃ頑張ってた!さー頑張ろーーー!!」
と奮い立つ思いです。
それではどうぞ!
1995年2月1日 第224号より
ただいま! 座・満開むら祭 仕込み真っ最中!!
【昼は昼とてけいこの嵐!】
先月号でお伝えしたとおり、三十周年記念作品の台本も上がり、いよいよ具体的に作品を形にしていくけいこや作業、いわゆる「仕込み」に突入しました。初めて仕込みを体験する新人2人を交え、みなさんに良い作品を見てもらえるようにと、文字どおり、日夜けいこ、道具づくりにはげんでいます。
三十周年を迎えた田楽座が総力をあげてお送りする「座・満開・むら祭り」に乞うご期待‼
【夜は夜とて作業の山!!】
作業といってもむずかしいものから、竹に紙を巻くとか色をぬるといった、だれでもできるものまで様々です。そこで田楽座からお願い、一緒に記念作品を作りたいという方、手伝ってあげようという方がおられましたらどんな短時間でもかまいません。どうぞ座にご一報ください。あなたのやる気、やさしさをお待ちしています。
1995年3月1日 第226号より
新作仕込み たのもしき助っ人 たかずや保養園の女子中高生たち
一月から突入した新作仕込み。昼間は稽古、夜は道具、衣装などの制作仕込みで大いそがしの毎日です。夜の作り物は、時間が七時~十時までと短く、あっという間に時間が過ぎてゆき、なかなかたいへんです。「だれか手伝いに来てくれないかなあ」が皆の口ぐせとなっていたころ田楽座によく遊びに来る、すぐ上にある「たかずや保養園」の女の子が、
「手伝おうか」
と言ってくれました。その名はMちゃん(高一)。一月の末からバイトということで、毎晩かよってくれています。
衣装は公演部には女性二人しかいないので、二人して細々とやっていました。Mちゃんが来てくれて、仕事のはかどることはかどること。家庭科は全般的に得意の彼女、一回説明すればすぐ「意を得たり」とミシンに向かい、細かな作業も難なくこなしてくれます。ヘタな大人より役に立つ!と感心の毎日。
世間の流れにうとい私たちに、若者の情報もたくさん教えてくれるし、「今日作ったの」と言って、すばらしいおかしを作って来てくれたり、バレンタインのチョコもみんなに持ってきてくれました。
学校が休みの日や土曜の夜になると、保養園の他の女の子達も、(なぜか女の子だけ。)嵐のような賑やかさを持って手伝いに来てくれ、若い男性達に「女子校」の雰囲気を味わわせてくれています。
鹿踊りのササラの紙巻き、新しい獅子頭の紙張りなど、手間のかかる仕事をやってくれるので、本当にありがたいの一言につきます。
「伊那公演で自分の作ったのが出てきたら、なんかうれしいよねエー」と言いながら手伝ってくれる女の子たちを見てると、ほのぼのうれしくなってしまいます。
ずーっとお隣同志のたかずや保養園、子供たちも今3人お世話になっているし、いつまでもいい関係でいたいと思います。
若い女の子が、大笑いしながら、仕事しているのを見るにつけ、「若い女の子の座員がほしい」と思います。
フタをしても内からほとばしってやまないこの若さの華々しさは、ほんとにすばらしいものです。ね!
四月からは伊那をはなれ、他の場所で新しい生活をはじめる子も、
「伊那公演見に来るよ。夏はバイトも来るからね。」
と言ってくれています。
新作、「座・満開むら祭」をいいものに作りあげたい、という気持が増々、わきおこってきました。
そして、芸能取材。秋田県の『金浦神楽』の取材の様子は…?
1994年9月1日
30周年に向かって出発進行
…
「8/8,秋田県由利郡金浦町にて」
金浦町と書いて、コノウラマチと読みますが、金浦神楽と書いてキンポカグラと読みます。私はNTTの交換手の方に「キンポ町、キンポ町」と言って何度かさがしてもらったあげく、「コノウラ町」ですねと、冷たく言われました。
「テントを張る」
田楽座の取材ではよっぽどのことがない限り、取材はアウトドアライフとなります。なぜなら、地元の芸能に全員がふれるためです。芸能を伝えられ、そして伝えている人にじかに接するため、そしてそれが座員一人一人の舞台に立つ上で必要欠かざるものだからです。トラックを購入してバスを改造してしまった今、前より一段と経済的にきびしい……いや、恐ろしい状況にあるため、宿なんかとれないのです。
金浦町は海辺の町。小高い丘の上。下には波がゆったりと一定のテンポを保ちながら打ち寄せるという、絶好の場所にテントを張り、いざ公民館へと向かったのでした。
「ご対面」
取材へ行く前、田楽座の場合、地元の方にお願いしてVTRなど送っていただき、ある程度形にしてから教わりに行きます。ゼロからのスタートでは踏み込んだ取材が出来ないので、数年前からこの形をとるようになりました。今回もある程度やったつもりだたのですが……。
やはり毎度VTRと実物の違いには大きな隔たりがあり、金浦神楽も何々、こだわらなくてはならないところの多い神楽でありました。芸能にはなんでこんな無理をしなくてはきれいにならないという共通点があるのでしょうか。
「子供先生」
保存会員さんはほとんどが子供さん、小学6年までと決まっているとのことでした。中学になると勉強と部活があってダメなのだそうです。その子供会員さんたちのみごとな身体のさばき、バチさばき、さっそく弟子入りして習うことにしました。「ここはこうですか」と聞くとはにかみながら教えてくれて、「これでいいんですか?」と問うと、笑いながら友達と走っていってしまいました。ウーンまだまだ修行が足らんようだ。と先生のうしろ姿を追いつつ、太鼓へと向かいました。
「さしつさされつ」
最後にもう一度田楽座員の金浦神楽を見ていただき、水口囃子も見ていただきました。先生達の目がキラキラと輝いているのでとても緊張していました。皆いつもの目と違って光ってあつくなっていたのを覚えています。
大人の方だけが残り宴会となりました。これが有難い事なのです。私達は芸術をやるのではなく芸能をやっているので、祭をやっている人達の生の姿にふれ、又だんだんと自分もそこにとけ込んでいける気になるにはお酒はとてもよい中立ちになってくれるのです。皆さんがふだん何の仕事をしているとか、この前の祭りはどうだったかとか、それがとても大事な事なのです。そしてもう一つ、自分もその場では真剣によっぱらう事も大事にしている事の一つです。…
そして2年後にはさんさ踊り・金浦神楽・秩父屋台囃子の取材。
1997年10月1日
岩手県 三本柳さんさ踊り
秋田県 金浦神楽
埼玉県 秩父屋台ばやし
三つとも、今舞台に上げつつ向上に努力を重ねているものだけに、一人一人多くのものを得て帰座しました。地元があるものだからこその魅力がまた深まったような気がしています。根のある強さ、美しさ。
舞台に上げていくにはその芸能のにおいや味を知らずでは大変失礼なことになりかねません。地元の再現は無理としても、本物から感じたものを私たちの身体を通して表現していければと思っています。
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