GAKUルーツ《田故知新》VOL.5
こんにちは!
急に雪が降ったり、かとおもえばポッカポカに暖かくなったりの三寒四温の日々、みなさまは体調崩したりしていませんか?さあ今月も参りましょう、GAKUルーツ!
1990年代に入った田楽座新聞からのトピックは…
第一回稽古場公演『よっておくんな田楽座』!!
現在も続く稽古場公演の、記念すべき第一回目が1991年10月19日。前回のGAKUルーツで出てきた、稽古場「建設ニュース」の理想を実現したのですね。
現在の田楽座メンバーにとっても、『稽古場公演』はちょっと特別でいつもドキドキ(笑)そして30年以上たっても変わらない熱い想いがあります。読んでいて座員として刺さる刺さる…!
長文ですがぜひ読んでみてください▽▽▽
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1991.11.1
【満員御礼!第一回稽古場公演「よっておくんな田楽座」が満開する日!】
10月19日土曜日、田楽座主催による、第一回稽古場公演「よっておくんな田楽座」が、夜七時半から約二時間にわたって行われました。座内で稽古場公演の話しが出てから、三年越しの実現です。
<3つの動機>
稽古場で公演する―そのことについては、私たちの様々な思いがありました。
第一に、現在の田楽座を地元の人たちにもっとよく知ってもらおうということです。
田楽座は28年間、様々な人々に支えられてやってきました。その数ははかり知れないものがありますが、座員の入退座が激しかったここ数年で公演部七名は、ほとんどが座歴10年未満のメンバーで占められ、支えてきてくれた人々と再度つながっていく必要がありました。
また、逆に、田楽座を支えてくれる新しい年代層の人々とのつながりを開拓していく必要もあった訳です。以前、公演で飛び回っていた時、よくこんな話題が出ました。
「俺たちはどうして伊那谷に暮らしているんだろう今のようすじゃ、ただ寝に帰ってくるだけだ。俺たちはもっと地元の人間として暮らすところから、芸能を作っていかなけりゃ、いけないんじゃないか・・・・・・」
今回、私たちは、とにかくありのままの今の田楽座を地元の皆さんに見てもらおう、特に、私たちの地域である富県の皆さんにはどうしても見てもらおうではないかということになったのです。
第二は、実験的な演目の発表の場を作り出すということです。
演技者の中で、現在舞台にのることはないが、こんな演目をやってみたい、民俗芸能でこんな試みができるのではないだろうかという企画を出し、それを舞台化して、実際に見てもらおう。こういう発表の場を作ることによって、演技者としての発想力や想像力を新鮮に保ち、また養っていこうというねらいです。そして、この場の全体の評価いかんでは、その演目を日常の舞台でもとり上げていけるのではないかということも加味しているのです。
第三は、田楽座の所在地、富県九〇〇〇番地の祭りの創造です。
九〇〇〇番地は、田楽座とたかずや保養園、そして高烏谷鉱泉の三つだけです。富県の各地域では、秋祭りが行われますが、九〇〇〇番地には、祭りがありません。日本の郷土芸能、祭り芸能を研究し舞台化している集団がいるその土地に、まつりがないというのもさみしいものです。舞台で、祭りを演じていくなら、なおさらのこと、私たちは、この地域に祭りがあってほしいと願うのです。
この稽古場公演がキッカケとなって、九〇〇〇番地の祭りおこしとなっていけば、嬉しいかぎりです。
<全座員売券に出る>
さて、夢はあっても、現実的にどのくらいの人々が集められるのか、公演部では、ほとんど見当がつきませんでした。私達たちの稽古場に一杯に入って、二百五十人だろうということで、最低でも百五十人は集めようということになりました。チケットを三百枚用意し、協力していただける人には配券をすませ、あとは座員一人一人が、チケットとチラシを持って富県を一軒一軒まわったのです。
驚いたことに、売れ行きは上々。新人の大山健治君は、二日連続完売記録を達成し、あまりの嬉しさに、道に迷い、座へ帰ってこれなくなったという一幕もあり、売券経験の少ない公演部は、一枚売れるたびに大変なさわぎでした。
ここ数年間、次々に座員が減り、全座員数10名という、座始まって以来の少ない人数の現在、ひとりひとりの、田楽座を見てもらいたい、応援してもらいたい、私達は、がんばっていますよという切実な気持ちが通じたのかもしれません。いや、28年という座の歴史を支えてくれた、地元富県の田楽座に対する深い愛情がまだ残っていた、生きつづけてくれたということなのでしょう。こうして、手元に残っていたチケットは三日間でなくなり、店舗に配券した分をあわてて回収に行くというありさまでした。
<すべてを観客にゆだねて>
さんさ踊りから始まった稽古場公演は、拍手につぐ拍手でした。お客さんの一人一人が、そのひとときを私達にまるきりゆだねて楽しんでくれているその心が、ズシンとこちらに伝わってきた時、私達も、すべてをお客さんにゆだねて、演じることができたのだと思います。
私は、上演中、何度も涙をこぼしそうになりました。
こんなにも富県の人々、伊那谷の人々は私達を見てくれている。私達と一つになってこのひとときを生きてくれている。いつもは、そこ、ここの畑や田んぼで見かけるお百姓さんであったのに、今はこんなにも私達と一緒に輝いてくれている。その一つ一つの表情に真正面から向き合ったときに、その純粋な人間の心の躍動に圧倒され、涙がこみあげてくるのです。
…
誰もが感じていたはずです。総勢三百人を越えた第一回稽古場公演の観客を見送りながら、自分たちには、ここ伊那の、富県の人々がいるのだと。
共に暮らし、共に輝ける人々が、この伊那谷にいるのだと。
…
これから、第二回、第三回の稽古場公演にむけて、また、そこから生まれてくるかもしれない、とんでもない可能性に向けて、今、田楽座はふつふつと静かに燃えているのです。
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さて今年の稽古場公演は第31回目、5月4.5.6日のGWに開催!
ぜひ遊びに来てくださいね!→詳細はこちら
おトク情報♪田楽座後援会員の方は無料ご招待です♪
と、ここで後援会の話…
1990年代前半は田楽座後援会の前身、
『田楽座ふぁん倶楽部』(愛称のびる)が発足した時期でもあります!
今で言う”ファンミーティング”がさまざまに企画された「のびる」を、2つ目のトピックとしてご紹介します。今も昔も田楽座は、『みんなで一緒に楽しむ』ことが大好きだし、とても大事にしてきたんですね!
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1993.8.1 No.220
<田楽座ふぁん倶楽部のページ>
5月30日にめでたく発足しましたこの田楽座ふぁん倶楽部(仮称)。
…愛称を付けよう!ということに決定。この愛称は皆さんからの応募にたよろうじゃないかということになり、呼びやすく、響がよい、田楽座らしい名前をぜひ考えて、ふぁん倶楽部事務局(田楽座内)まで送ってください。
会の決まり
〇この会は、田楽座を応援し、会員と座員、会員どうしのふれあいの輪を広げることを目的とし田楽座が好きな人はだれでも入会できます。
〇この会は、年一回の全員交流会(総会)のほか、各種行事を取組みます。
〇入会金は二千円とし、年会費は五千円です。(今年分については三千円。なおこの中には会報も兼ねる月刊田楽座の紙代も含まれます。)
…とにかく、かたくるしいきまりにせず(一度入ったらなかなかぬけられない…とか。)田楽座といっしょに楽しくやりましょう、という形で、会員どうしも、
「こんどそっちにいくから宿を紹介してよ。こっちの名産品おみやげに持っていくからサ」
なんてことになっていけたらという目的も含んでおります。
その他、各種行事も計画したいと考えています。年一回は会員交流会を開き、海水浴や、太鼓や踊りのサークル交流会、渓流つりツアー、(事務局長の山住さんは、名人です)など、などなど。皆さんのアイディアで。
**********************************1993.1.1 No.224 12-1月合併号
盛り上がったもみじの集い
11月6日から7日の朝にかけて、ふぁん俱楽部主催の最初の集いが開かれました。
…
一人一品もちよりの大なべ、五平餅、おでん、は参加者の手作り。飲めや唄えの大さわぎで、かくし芸、座員との太鼓や踊りのセッション、人生論、恋愛論、田楽座論などなど、夜のふけるのも気づかない程、充実した(?)時を過ごしました。
会場のセッティングも、他では見られないおもしろさで、稽古場のまん中にコタツを8つおき、その周りにはテントを8張。さわぎつかれたら、この中で寝るわけです。
最終組は朝四時ちかくまで、話し込んだよう。
朝食も皆で作り、朝から夕べの残りで焼き肉を始める人も。
少々寒い時期、そしていそがしい時期とも重なってしまいましたが、又、季節のいいころ、皆で集まれたらと思っています。
あんなことこんなことやってみたい!という企画を寄せてくださいね。
近年は、「ファンネーム」(特定のアーティスト等に対するファンの愛称)というのがSNSを中心に流行っているようですが、もし田楽座にファンネームがあったらなんて呼ぶでしょう?ガクラー?
呼びやすく、響がよい、田楽座らしい名前をぜひ考えて、お知らせください、なんて。