GAKUルーツ《田故知新》VOL.1
さあ、はじまりました!田楽座のnote GAKUルーツ~田故知新~VOL.1
改めて読み返すと、当時のエネルギーがひしひしと伝わってきます。
田楽座新聞第のはじまりは、1972年。本部に電話がはいり、トラックやバンがそろい、よりよい舞台を届けよう!益々公演数を増やしていこう!と座員全員が熱い気持ちで10周年に向かっていた時代です。
第4号では当時の稽古風景がつづられていました。人も時代も変わっているけれど、稽古への姿勢や熱中する時間、役者だけでなくみんなでお客様の笑顔のために舞台づくりをしていくチーム力は、今の私たちにも繋がっているように思います。上半身裸になる男子はいませんが(笑)
時代は変われど、変わらない景色がうかぶ、そんな記事をご紹介。
田楽座新聞第4号より
【フレーフレー!ニューフェイス!】
九月十五日を期して、設立以来念願であった創演部確立と、「信濃民俗芸能研究所」建設推進、普及部強化のために、二名が舞台をおりた公演部は、大々的な新人の登用と、従来からの座員が、それぞれに自己の新分野の開拓をはかりながら、新人をバックアップするという課題を与えられて、八月下旬から九月中旬にかけて、猛暑の中を、烈しいけい古で過した。そのけい古風景をのぞいてみよう。
けい古場といっても一日いくらの使用料をはらって借りている公民館である。上半身裸で、夕立にあったような汗を流しながら大太鼓を打ち続ける遠藤君の合の手を、これまた上半身裸の森本君が打っている。そのかたわらで、伊藤君をかこんで、松田・上原の両先輩が笛を合わせてやっている。
二階からは下甚句の歌声が流れてくる。奥信濃秋山郷につたわる乙女たちの恋心を歌ったものだ。四人の女性が鎌を腰に踊っているのだ。
夜、男子寮の板土間いっぱいに器具をひろげて上原君が照明器具の補修に余念がない。彼が物事に熱中する時、舌をちょっぽりと出すあの癖がまた出ている。編集部も、★「負けうさぎ」のバックにかける月の制作を手伝う。直径二センチから六センチにおよぶ少しの歪みも許されない全円を、厚手のケント紙に切り抜くことは至難のわざである。
マー子が★「獅子」の雪子のかつらを頭にのせながら、台詞を必死に覚えているそばで、許江さんが兎の頭を作っている。まっちゃんが手がけている「鈴の舞」の冠は根気ある彼でなければとてもやれる仕事ではない。モギちゃんは自室で、自分の着る衣装に鶴のししゅうをしているのか姿が見えない。
女性の笛も早く音が出るようになってほしい。
とにかく新体制で出発した「田楽座」七十三年後半期に「幸あれ」である。
★負けうさぎ 1973年
小学校公演の演目として上演・子ども達の声援をたくさん受けた作品
★獅子 1972年
戦時下を生きた農民の生き様を描いた作品・高齢者から若者まで広い世代の支持を得た一般公演作品
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