GAKUルーツ《田故知新》VOL.2
こんばんは!今月もお届けしてまいります!GAKUルーツ《田故知新》VOL.2!
VOL.2からは創立から10年経った1974年以降の田楽座新聞からセレクトさせていただきます。
まぁ濃いコト濃いこと!座としても、座員としても、脂がめちゃめちゃのってきたこの時代。1977年の新春号掲載の集合写真には、なんと20人も写ってます。のってるな~
今回はその1977年から
1965年入座 このとき座歴12年目・35歳!
まっちゃんこと松田満夫の書いた記事をお届けします。
当時、公演部(主に公演・講習をメインにする部署)メンバーが(舞台と私)というテーマで掲載していたシリーズ。
今の私たちとおなじように日々葛藤し、お客様の生きるエネルギーになりたいと奮闘する当時のまっちゃんの言葉に勇気をもらいます。
田楽座新聞 第49号より(舞台と私)
私を奮い立たせる言葉
公演の終了したあとの交流会、それは主催者である若い青年団員と私たちとの、文字通り生きた交流ができるところだ。そして私たちにとっては、明日へのエネルギーを得ることのできる場でもある。とくに青年団が一丸となって全精力を注ぎこんだ公演、毎晩毎晩、仕事が追わってから、自分には一銭の得にもならないのに、一戸一戸券を売り歩く大変な苦労をし、仲間同志がケンカをし合い、話し合い、ああでもないこうでもないと言い合い、しかし創意をうみ工夫をうんでの取組みで、ようやく公演にこぎつけ、取組む前には信じられない程の大勢のお客さんを集めて、財政的にも黒字になったのだから、青年一人ひとりの感動も大きく、交流会の意気はあがるのも無理はない。
こうした取組みの中で、仲間をよりよく知り合い、故郷を見つめ直し、自分たちのやったこと、現にやっていることの意味を知り、これから何をしなければならないかをはっきりとつかんできている青年の姿に私自身も感動する。
しかし交流会で酒も廻ってくると、本当のことをはっきりと言ってくれる青年もいる。
「田楽座のきょうの舞台はなんだ」
「今度おれが見たとき、あんな舞台をやっていたら、みんなでぶんなぐってやるぞ」
ある交流会で、何度も田楽座の舞台を見た青年が泣いて言ってくれた言葉―この青年は自分の取り組んだ田楽座はこんなものではない、もっと感動の深いものものだと思い込んでいて、舞台はあんなことではいけないと力説する。私はもう何も言えず、ただ「申し訳ない。今度見て頂くときは、きょうのような舞台はやらない。見ていてくれ」と言訳けするのが精一杯だった。それ以来、公演が続き、体もつかれてきて、稽古するのもつらくなってくるといつも頭に浮ぶのはあの言葉「ぶんなぐってやる」である。これではいけない、もっと頑張らなくてはと、その言葉が私を振い立たせるのだ。
舞台とは真剣勝負だと言われる。一日一日、一回一回、その時その時しかできない舞台。お客様はその一回を楽しみにくる。そして田楽座とはこういう物かと見るのだ。いつも最善の舞台を創り出すことが必至なのだ。そのため体調を整え全精力注ぎ込んでの舞台でなくてはならない。どのような状態であろうと言訳はきかないのが舞台だ。今日は風邪だから具合が悪いと言ってみても、お客様には通用しないのだ。
狂言師の野村万蔵さんが七十八才の今でも「一番の狂言がうまくできたことというのはほとんどない。まあお陰様でどうにかできましたというときは、家へ帰って一杯飲むのもうまいが、またへんになっちゃったときは一応仏壇でおやじに詫びます」と言っておられる。四才のときから舞台をふみ、七十四年という芸歴をおもちの万蔵さんでさえ、満足な舞台はないと言われるのだから、私たちは計り知れない未熟者だということである。 私たちの舞台を見てくださる人びとの中に一人でも「ぶんなぐってやる」などを感じさせない舞台、うまい酒の飲める舞台を目指して、きょうも舞台に生きようと頑張っている。(まつだみちを=公演部)