見出し画像

オンライン授業で学力は二極化する

仕事だけでなく、学校教育の現場もオンラインが増えてきたことにより、様々な問題が懸念されている。

その大半を占めるのが、各家庭の経済的な格差だと思う。良い環境で教育を受けるには、性能の良い回線や機材を選ぶ必要があるし、家庭内の環境も整える必要がある。その結果、ある程度の経済的な負担が伴ってしまう。

しかし、ある意味それ以上に格差を広げると考えられるのは、子どもたち自身のモチベーションにあると考えられる。モチベーションというと、やる気とか気合みたいな精神論のようなイメージをもつかもしれない。

ここでは子どもたちの「やりたい」「好き」「もっと知りたい」といった好奇心について分解し、学校という社会のシステムと対比していこうと思う。

好奇心は生モノ

子どもの「これはどうなっているんだろう」「ここについてもっと深く知りたい」といった感情は、その場ですぐに満たす必要がある。

大人になるにつれ、「気になるから調べたい!」「こんなものを作ってみたい!」と思いたっても、その場の流れで行動を制限された経験があると思う。

その後になってまた取り掛かってみても、
思っていたほどワクワクしない…
なんでこんなことしようとしたんだっけ…
となっていたはず。

自分で考え、何かしらを生産した、という成功体験を蓄積させていくことで、次の学びにつなげたり、より高度な好奇心を満たすために思考を巡らせる。

大人であるぼくらがすべきことは、そのチャンスをできるかぎり奪わないことではないだろうか。

公平さと効率を追求せざるを得ない学校教育

子どものチャンスを奪うのは一体何かと考えると、ぼくが真っ先に思い浮かぶのは、学校教育だと思う。

ここで誤解しないでほしい。ぼくは学校教育を否定しているわけではない。ただ、子どもの意欲や好奇心を伸ばしていくには、不向きな点が多いと考えている。

多くの日本の学校は、30~40人の生徒を1人の先生で教育しなければいけない。そうなると、授業は全員共通でなければ上手く回すことは至難の業だろうし、生徒たちが好き勝手動けないような状況をつくる必要がある。

授業と関係のないことを話してはいけない、授業時間内は大人しく自分の席に座ること、といったルールに始まり、茶髪禁止、ポニーテール禁止といった訳のわからないルールも多数存在する。

学校教育に関する問題は、理不尽な校則以外にも多数あるが、その根本にある問題のひとつが、1人の先生が大人数の生徒を見なければいけないという状況なのだ。

それと同時に、生徒一人ひとりの意思が尊重されなくなるため、意欲や好奇心を伸ばすには適さない、と言えるだろう。

加速する受け身体制

 オンラインで授業をすると、先生の目が届く範囲がより狭まる。別のブラウザでゲームをしたり、スマホで友達にLINEを送りながら片手間で授業を受けるということも可能になってしまう。

ある程度は自己責任を身に付ける上で必要かも知れない。しかし、もともと勉強が不得意である場合、「見つかったら怒られる」という危機感で保たれていた集中が緩んでしまうので、より集中が分散された状態での学習になってしまう。

 特に学年の低い生徒ほど、自分で勉強における自己管理をするというのは難しくなる。親御さんのサポートだったり、オンラインの学習コンテンツを充実させることにより力を注ぐべきだと思っている。

まとめ

結局のところ、勉強をするかしないかは、ある程度は個人の自由だと思う。やりたければどんどんやるべきだし、やりたくなければやりたいことにもっと時間と労力を注ぐべきだと思う。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?