ごみの削減は、あくまで自分のため

最近、SDGsやらなんやらで、ゴミを減らすような動きが各所で見られる。Youtubeでも1ヶ月プラなし生活という企画があったり、SDGsを推進するクリエイターさんが増えたりと、社会が少しずつ環境への意識が高まってきている(ような気がする)。

かくいうぼく自身もそれに感化されて、最近は家庭ゴミを減らす工夫をしたりだとか、環境への負荷が低いプロダクトを好んで買ったり環境保全に繋がる活動にも参画している。

そんないわゆる意識の高そうな行動をしているわけなのだが、ぼくにはなにかを守りたいとか、誰かを救いたいとか、そんな崇高な思想があるわけではない。

ゴミを減らす、ということはあくまで部屋の美化時短のためであって、慈善活動だとか環境保全とかは二の次である。

ぼくの部屋は狭い。ゴミを溜めておく場所などほとんどない。そもそも狭い部屋を有効におしゃれに使いたいからゴミを見えるような場所に置きたくない。そうなれば、ゴミをやすやすと生み出すわけにはいかないのだ。

ゴミがなくなればまず見た目が良くなるし、在宅勤務の多いぼくとしてはオフィスの清掃であり、生産性の維持でもある。ゴミだらけで何がどこにあるかわからないなんて私生活でも業務でも妨げにしかならない。

それに、プラスチック製品のパッケージよりも、ガラスの瓶とか木や竹でできた製品のほうが個人的に好みだ。部屋のフローリングや壁とも調和するし、パッケージの文字列が鬱陶しいと思う質なので、シャンプーやハンドソープなどは別売りのボトルに詰め替えている。

なんというか、こんなどうでもいいぼくの嗜好を書き連ねてみると、一種のツンデレに似たものを感じる。

「別に誰かのためとか思ってないから!部屋が汚くなるのが嫌なだけだし…」

と。まあ平たく言えばそのとおりなのだが。

世間的にいわゆる”意識の高い”行いをすると、ぼくはその行為を恥じる傾向にある。なんというか、そういう行いをする人の一部には、意識の高い行いによって自己陶酔する人もいて、自分はその同族ではないとよくわからない意地を張ってしまう。

そんなねじれたぼくの思想はおいておくとして、このゴミを減らすという行いは今後も続けていこうと思う。無駄なものは生み出したくないし、何より1週間の8割以上を過ごす部屋を汚したくはない。

ただ、それだけなのだ。

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