内野安打
だれでも綺麗なヒットやホームランを打つことに憧れる。
きれいに結果を残す人は、やっぱりかっこよく見えるし美しく見えるから。
だから、自分もそうなりたいと思って努力する。
だけど、その反面、そんな努力しているところなんか誰にも見せたくないし、結果がきれいに残せるようにバカみたいにガムシャラに頑張っているところを見られるのは恥ずかしいと思っちゃう。
けっこうプライド高い人は、結果を出すやつはカッコいいけど、結果を出すために必死に努力して頑張ってるやつはカッコ悪いって思う節がある。
だから誰にも見られていないところで努力はするけど、みんなが見ているところではわざと中途半端にやるっていうことをしがちになる。
でも、そういうことをしていると、綺麗なヒットを打つまでにきっと相当な時間がかかるだろうな。
さて、日米通算で歴代トップの4367本の安打を放った野球の天才、イチロー選手は、そのすべてのヒットのうちの約20%は内野安打だった。
内野安打は、たいていの場合、綺麗なヒットではなく、打ち損じの内野ゴロで懸命に全速力でファーストベースまで駆け抜けていって、まさに気持ちで泥臭くセーフを勝ち取るといったイメージのヒットである。
あの、安打を打つ天才として有名なイチロー選手でしても毎回綺麗にジャストミートしてヒットを打てるわけではない。そしておそらく内野安打でヒットを稼ぐことができていなければ、間違いなく日米通算4000本安打という偉業を成し遂げることはできなかったであろう。
ここで言いたいのは何も「イチロー選手も人間だから失敗するんだよ」とか、ましてや「内野安打がなかったらイチロー選手は偉業を成し遂げてないんだよ」なんてことでも断じてない。
綺麗な結果や形ばかり気にしてたら、本当に思い描いていること以上の結果なんか絶対に出ないぞということが言いたいのである。
結果が出ないで、もがいている姿を見られたっていいじゃないか!
結果が出ない中で、一生懸命に汗かいて泥まみれでダサくて、カッコ悪くても別にいいじゃないか!
形が汚くても、小さな良い結果が積み重なっていけばそれでいいじゃないか!
その努力の積み重ねが、やがて大きな結果となって、そこで初めて周囲から「俺もあんな風にカッコいい結果を出せる人になりたい」って思われるようになるんだから。
懸命に全速力で走り続けて、とりあえず今は内野安打をたくさん積み重ねよう!!
そして、10年後の自分の偉大さに期待だ。