ディレードスチール
「ごめん、ごめん、ちょっと遅くなってな。じゃあ会議始めようか」
潔く爽やかな表情で、課長が会議室に少し遅れて入ってきて会議を取り仕切る。
かっこいい。
会議は流れるように進み、重要な決定が課長の取り仕切りで次々に決まっていく。
課長が遅刻したことはまるでなかったかのようにして、会議はわずか15分のうちに終了した。
なんなんだろう?このやられた感。潔い。
俺らが遅刻したらどうなっていただろう?
間違いなく空気は重い。遅刻した者の周りには気まずい空気が流れる。申し訳なさが残る。会議中に発言なんてしようものなら間違いなく気が引ける。
それは「遅刻」というものが社会通念上、恥ずべきものと認識されているからである。
しかし、それにも関わらず、あの課長の爽やかさといい潔さといいカッコ良さはなんだろう?むしろ「遅刻」が美徳に感じてしまうのはなぜだろう??
「ディレードスチール」
走者がわざとスタートを遅らせて盗塁を試みる行為である。
しかし、これは非常にリスクの高い作戦である。遅らせてスタートするということは、当然守備側が通常の盗塁の場面と同じようにプレーしたとすれば間違いなくアウトになる。アウトにならないようにいつもよりリードを多くとってスタートを切ろうとすると、今度は牽制でアウトになってしまう危険性が高い。こうしてアウトになると、その走者に対する評価は「暴走だ」「怠慢走塁だ」ということになって、今後二度と試合出場させてもらう機会が減ってしまうかもしれない、
大袈裟かもしれないが、それほど大きな危険性の伴うプレーである。
「遅刻」
これも非常にリスクの高い行為である。遅刻をすれば社会的信用が失われる可能性が高く、ダラシがない奴・時間にルーズ奴という評価になる可能性が非常に高い。だから平生ではあまりやるべき行為ではない。
しかし、「ディレードスチール」も「遅刻」も、それを行うタイミングによっては絶大な利益をもたらすことがある。
「ディレードスチール」はこれを成功させると、相手がスキをつかれてやられたことに対して動揺し、自チームが心理的優位を獲得することができる場合がある。
「遅刻」も、ある程度地位を築き上げた人がタイミングよくあえてそれをやると、「リーダーシップ」や「権威」を相手に示すことができる場合がある。
ただ、何度も言うがこれらはリスクは非常に高すぎる!!だから平生ではやるべきでない。
しかし、ここは勝負どころだ!ここは力を示す場面だ!と感じたところで出す人生の一つの武器として、
「あえて遅らせる」
という武器を持っておくのも、おもしろいかもしれない。