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一生に一度のマジ「本気」
「本気」という言葉はどんな時に使うべき言葉なのだろうか?
高校野球を経験してきた私にとっては、この先の人生でその言葉の使い道はないんじゃないかと思っている。
あれほど本気で「本気」になっていた時期は、これまでの私の人生を振り返って、高校3年間のあの一時期しかなかった。
たとえ今一生懸命に頑張っていることがあったとしても、あの頃と比べれば、それをどんなに必死にやっていたとしても、簡単に軽々しく「本気」などと口に出してはいけないような気がしてならない。
高校球児というのは、それほど熱い思いをかけて戦っているのである!
「甲子園出場」という狭き門のために。
「全国制覇」という全国の約4000校の頂点に立つために!
私の出身校は、夏の甲子園出場をかけた地方大会では東東京ブロックに属していた。このブロックはいうまでもなくかなりの激戦で、約140校の中から最後まで負けることのなかったたった1校しか、甲子園の切符を手にすることができない。
さらにそこから全国制覇をかけた甲子園大会では全国の各地方のトップ49校がぶつかり、当然その中で最後まで負けることなく甲子園のグラウンドに立ち続ける資格を持つ高校はたった1校のみ。
このたった1枠をかけて、全国の高校球児たちは3年間の厳しい練習を日々積み重ねているわけである。
高校球児であれるのは、人生80年の中でわずか3年間しかない。「甲子園出場」という夢も、わずか18年間という短い期間にだけ持つことが許され、高校生の間にのみその夢を叶えるチャンスが与えられる、貴重な貴重な青春の贈り物である。
それが今まさに、今年の高校球児たちの手から失われる危機に立たされている。
新型コロナウィルスという魔の手によって。
一つも負けることが許されない戦いのために、彼らがどれくらいの鍛錬をしてきているか、みなさんは想像つくだろうか?
一日中頭の中は常に野球モード。3年間の中で野球のことを考えない瞬間は1分たりとも存在しない。いつも「どうやったらもっとうまくなるか」「どうやったらチームが強くなるか」「今日はどんな課題をもって練習に取り組もうか」毎日そんなことばかり考えている。
学校の授業中を除けば、毎日、朝練・放課後の練習・帰宅後の自主練・体づくりのための食事・野球ノートを書いて睡眠・また起きて朝練…
24時間365日この繰り返しである。
毎日ハードに動き続けているから、身体の多少の痛みは当たり前。それでもグラウンドに出れば、全力で声を張り上げ、常に全力疾走・全力プレー・全力投球。少しでも気の緩んだ動きやプレーをしようものならチームメイトからの怒号が飛ぶ。
毎週土日は練習試合を行い、実戦感覚を掴みながら、試合後は毎回反省とミーティング。その後試合の課題を踏まえて再度夜遅くまでチーム練習や自主練習で徹底的に修正をはかる。
夏はどんなに暑かろうが、一日最低10時間は大量の汗と泥にまみれながらグラウンド中を動き回り、
冬は毎日20㎞以上のランニングと何百本にも及ぶ平地ダッシュと坂ダッシュ。さらには、1日1000本以上の素振りと2時間みっちりのウェイトトレーニングおよび体幹トレーニングで追い込みをかける。
これが365日ずっとである。
私もこれを高校3年間やってきたわけだが、今考えるだけでもゲロを吐きそうである。
これほど命をかけて高校球児たちが目指している「甲子園」を、奪ってもよいものだろうか。
私は断じてあってはならないと思う。
高校球児の「本気」は、我々の想像をはるかに超える「本気」だ。
私たちはその高校球児たちの「本気」の熱いプレーや熱い戦いから、
「勇気」をもらっている。
「感動」をもらっている。
「本気」の意味を教えてもらっている。
高校球児たちのたった一度の「夢」の挑戦のためにも、また彼らの「本気」のためにも、さらには彼らから勇気と感動を毎年もらっている高校野球ファンの「熱い思い」のためにも、
今年の「甲子園大会」もなんとしても開催されなければならない。
今、不安の中で、それでも夏の甲子園大会開催を強く信じて、グランドも満足に使えない状況で懸命に努力を続けている高校球児たちを、私は心から応援している。