見出し画像

アート空間という、人間の発明

死んだ自分の母は生前、油彩画家として生きていました。
彼女の生き様死に様は本当にアーティストそのもので、母の最後、自分は子としてではなく、アーティストとして彼女のことを心から尊敬し、あの世に送りました。

そんな母が、生前よく個展など開いてお世話になっていた銀座・青木画廊というアートギャラリーが2022年に閉館した、という知らせを母の知人のfacebookの投稿を見て、先ほど知りました次第で。

青木画廊は1961年に国内外のアーティストによる幻想画家、シュールレアリズム絵画一筋に企画・紹介してきた日本では大変稀有な存在として親しまれた伝統と歴史ある画廊でした。
聞けば、青木画廊のオーナーの青木さんが、お年を随分召されたこと、ビル自体の老朽化と再開発、何よりも若い画家を育てる気力がなくなってしまったことが最大の原因だとのこと。

生前母から、絵画の師である川口起美雄氏と、そのご紹介でご縁のあったこの青木画廊の話はよく聞かされていて、というよりほぼ酔っ払いの愚痴のはけ口になっていたという感じでしたが
アートの受け入れられ方、アーティストのあり方、画廊の方向性など、まぁ時代と絵画というものについて、昭和の人ですから、それはそれはぶつかりまくったと聞いています。(そういう同じムジナの船首たちとぶつかりまくる部分などは完全に血を引いてしまったなと思ったりもするわけですが、まぁそれはさておき)
とにかくアートに対しての熱い情熱を持った者たちが、ああでもないこうでもないと激論を交わしながら、時代の中で画廊という空間を織り成していたのだろうと想像します。
逆を返すと、そういう情熱の交換が時代と共に減っていき、先の若い画家を育てる気力の幻滅につながってしまったのだろうな、と。

僕個人は普段銀座に赴くことはほとんどありませんが、それでも銀座に立ち寄った際は、かつては楽しみだったPRADAやapple storeは中国人だらけな昨今に辟易し、素通りするようになってしまったのにも関わらず、この画廊の方にはついつい幼少期の思い出などに釣られ足を運んでしまうこともありました。

この投稿をしておられる方の文を借りると、
“無くなってみて思うのは画廊をはじめ書店、ライヴハウス、飲食店等といったお店というものは、閉めてしまえば物理的には何もなかったかのようになってしまう。ただ、その場所に通っていた人たちが作っていた空間なんだなと…。あとは、ヒトと同じくそこに関わった人たちの心の中に生き続けるのだな、と。”

久々にハッとさせられた内容で、大学時代に好きだった教授が、「文化装置機能としてのアート空間」という論説をよく発信していたなと思い返すと同時に、自分らが今置かれている状況や関わっている環境はまさにここの渦中にあるのだな、と再認識した次第でした。

我々の場合は音楽、そしてナイトクラブですが、空間を作り支える人、そこで表現をする人、そこに通う人、そういう生態系のものに、アート空間は存在し得るなと。そこに関わる人たちが絶え間なく情熱をぶつけ合っているからこそ逆に無くならない。
無くなったものを想うことでまた今あるありがたみを感じざるを得ない。

人も建物も老いるし、環境も時代も目まぐるしく変わりますので、「無くす」「離れる」という現象はとても簡潔で本当に刹那的なのですが、大切なものってそうたくさん人生で手にすることはない、ということも先人の遺言ですので
正直この事なかれ主義偏重の世の中で、敢えて生み出すこと、敢えてぶつかることって本当にエネルギーを消耗しますが
アーティストとして体内外の宇宙を表現することは素より、自分たちが何よりも大切にしたい空間を人の想いと共に継いでいくことが何より大事だなと。

そして、情熱の交換が無くなれば衰退、という事象が、この青木画廊からの教訓な気がしたので、
自分の身に置き換えて、クラブ・フェス関係者、他アーティスト、コミュニティなど、良い悪い二の次で、ガンガンぶつかるべきだなと感じた週明けの朝でした。

というわけで、シーンが衰退したいためにも、ムカつく関係者に超長文の意見書でも出すか。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?