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Mrs.GREEN APPLE The White Lounge 行ってきたよ

こんにちわ。
タイトル通りで、感想を日記として残そうかな。

ちなみに私がミセスを知ったのは「インフェルノ」から。「炎炎ノ消防隊」をみていたので、かっこいいし歌詞が刺さるな、とYoutubeをヘビロテしてたなあ。でも彼ら自身に興味を持ったことは、ごめんなさい、なかったかも。数多あるバンドのうちの一つ。

大衆化を図ってるのかどうなのか、何かとその音楽が耳に届くようになってきて、私のプレイリストの中に彼らの曲が増えてきました。特にその歌詞世界は特筆するものがあり、ただただ『すごい』と感嘆します。

でもやっぱり彼ら自身についてはほとんど無知という状態で、この映画にいってきたのですが。

劇場の明かりがついた瞬間、「もう一度みておこう」と瞬間的に思いました。それほどまでに『大森元貴』という人物の内面を曝け出してしまっていて、「これ、大丈夫なんだろうか」と母心にも似た感情が込み上げたんですよね。

いわゆる天才と言われる人々がどのように作品を生み出しているのか、私は天才じゃないのでわからないんですけど、想像するに多少は「自分の感情を消耗する」んじゃないかと思うんですよね。彼から生まれる言葉は、ただの現実世界の模倣や遺伝子的な器用さからではないと感じるので。

ここからネタバレありで行きますね。私は事前に何の知識も入れずに行きましたので、公式がなんと言ってるのかは全く知りません。だから「的外れ」なことを言っていても、寛容でいてくれると助かります。

『The White Lounge』はいくつかのチャプターに分かれていました。

正直最初は「なんのことやら」という感じでした。圧巻の歌唱とダンス、そして小芝居、みたいなね。「一体何を見せられてるのか」と首を捻りました。でも後半チャプター『虚構と虚無』のタイトルを見て、「あ、そうか」となったんです。

この全てが真っ白なThe White Loungeは、大森さんの真ん中ってことなんだろうな、と。

身体の真ん中、規則正しく動くその場所を見せている。

途中で藤澤さんが「この限られた場所で、同じ空気を吸って、体験する」というようなセリフを言うんです。一見なんでもないこのセリフは、大きな意味を持っていたのだと思います。

彼らの曲を聴きながら、飛び跳ねて、絶望にへたりこんで、嗚咽を殺して、でも笑ってまた立ち上がる、そんな時に早くなる私たちの鼓動は、大森さんの鼓動でもあるということなんだろうな、と。

大切な人たちに、僕の心臓を分けるよ。

そんな感じかな。

そうやって最後に『フロリジナル』を聞いて、その歌詞を読むと、母心が沸いてしまうんですよね。

わたしたちは、感情を隠す。いつまでも赤ちゃんみたいに喚いたりできないでしょ? だってたくさんの汚れた感情、たとえば虚栄心、承認欲求、妬み、嫉みを見せたら、社会的に終わってしまうのだから。

でも大森さんは、
「僕ってこんなに汚いんだ」と彼の中央を開いちゃってて、それは辛くありませんか?と聞きたくなってしまうんですよね。しかも曲を発表するたびに、歌うたびに、浮かんでくる感情をほとんど全部見せちゃう。

ただ救いとして、最後にスーツケースを舞台に残して去るという演出があるんです。開けるそぶりを見せて、でも開けない。机の上に置いて、そのまま去るんです。White Loungeが、彼の中心部と考えるなら、一番大切なものはちゃんとしまってるよ、ということなのか、とも思ってほっとしました。もう完全に保護者気分ですよね、見てる私は。

最後のチャプターは『終わりの始まり』。
これはどう捉えたら? と考えました。うーん、「フェーズ2」の終わりがもう見えてるのかな、もしくはこのミセスの活動の終わりか。あれだけ自分を酷使して、さまざま感情を絞りとって、終わりを考えないこともないだろうなと思ったり。

とりあえず感想は以上です。
変な話、やっと彼ら自身に興味が湧いてきたから、もう一度見に行こうっと。


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