独善という思考停止
私が善悪のジャッジを嫌う一番の理由は
「これが正しい!と思ったその時点で勝ち負けに変わり、思考が停止するから」なのかもしれない。
あの、何を言っても無駄感はすごかった。
過去の自分もそうだったな〜。
まだまだ学会っこだった時は、ドヤ顔で信心の話しをしていたもんだ。
世界で創価学会のみが世界を救う正しいものだと信じて疑わなかったから。
そんな私が参加した最後の会合はヤングミセスの集まり。
ヤングミセスというのは、婦人部の中でも結婚した若い女性のグループのこと。
もうその頃は聖教新聞に目を通すこともほとんどなかったから創価学会のおかれる状況というのがあまり分かっていなかった
どうやら誰かが学会を激しく攻撃していたらしい。
興味もないのでもう名前も忘れた。
学会の会合には「幹部指導」が必ずあったから、指導にきていた幹部はそのことを鼻息荒く話す
あの流れもすごいな〜
最後は興奮状態にさせるんだよね。
その興奮状態は参加者だけじゃなくてその幹部もそう。
気持ちよく話してアドレナリン噴出!
あれは依存になるね。
で、その日、その女性幹部がね。とんでもないこといいはじめた
私たちの闘いは祈りでその人を「殺す」段階に入っています。
大変な闘いです。
耳を疑った・・・・・
殺すくらいの勢いで破折する
ではないのだ。
何度も言った。
「殺す」と。
「祈り殺す」と
いやいや、それ呪い殺すだわ。
その話しをしている幹部の顔は紅潮して
「私、今すご〜〜いこと話してる。皆さん私のすごさお分かりかしら」
って顔になってる。完全にトリップ状態。
めっちゃ引いた。
「オウムと何が違うんだ」
私はオウムが八王子らへんを動き回っていた頃の創価大学生だった。
下宿していたアパートにはよくオウムの勧誘チラシが入ってた。
実際勧誘され、破折してやろうと乗り込んだ友人が監禁状態までいったことも聞いた。
この「殺す」の言葉を聞いた時
「あ〜〜〜学会終わったかも」
って思っちゃったのよね。
その時は眉間にシワが寄ってたかもしれないけど、最後まで聞いたよ。
今なら途中で退出するか
「祈り殺すって本気ですか?」って質問したかもしれない。
いや、学会員を論破しようとするくらい不毛なこともないからしないな、きっと。
いや〜〜な気分で会館を出て近くに停めていた車を出して家に帰ろうとした時、人身事故起こした
私が左折しようとしたところで、もう道路から頭出るくらいだったところで、まさかのおばちゃんチャリがすごい勢いで車の前まで迂回までして通過しようとして接触。
まぁ確かに車も動いてた。止まればよかった。
でもぶつかった瞬間
「おばちゃん、こんな走り方してたら、本気でそのうち死ぬよ」って思ったような事故。
おばちゃんのチャリは転んだ。
そのおばちゃんは、私が参加したばかりの会合の会場だった会館の管理人さんだった。。。。
お互い顔を知らなかったけど、子供を連れていた私はその後、そのおばちゃんに折伏される・・・・
決定打だった・・・
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