学会二世

学会二世

最近の記事

恐怖で人心コントロール、、の側面の方が大きいよね

宗教って「罰が当たる」とか、「恐怖」を煽る場合がとても多いですよね。そうするとお気楽にはじめた場合でも 「やめると罰があたる」 「やめると不幸になる」 って言われた言葉が頭に残ってやめられない。 やめた後も恐怖が残る。。。 結果やめるのがなかなか難しい。 世の中の神社とか仏閣とか何か霊的なものがあると言われるところも1回そう言われると、そこを蔑ろにすることに恐怖を覚えてします。 本当はただの石とか滝とかなのに、人に埋め込まれた恐怖のせいで、長年続いてきたっていうこともあるん

    • 母の夢

      熱烈創価学会として何十年も過ごし、今でもゆるぐことのない信仰心を保つ母 そんな母が先日言った 「私にはまだまだ叶えたい夢があるのよ。孫たちがね、信心ちゃんとしてないでしょ。ちゃんと信心できるよう毎日祈ってるのよ」 出たよ 孫たちはもう勘弁してあげて😰 と心のなかで思いながら 「私に題目上げろとか、祈ってる?とか前ほど言わなくなったな」って思った。 そして私の口から出た言葉に自分で驚いた。 「もう今、時代が大きく変わったからね。お母さんたちが信心必死にやってたときの

      • 大田区大森北、、怖いわ〜

        今日、車で都内を走ってて、結構渋滞にハマり、進まない車の中で先日観た長井秀和のYou Tubeが頭をよぎった。 いけちゃん、 ちゃんいけ、 油だぬき とか言いたい放題。 正直ちょっと引くレベルのさげすみ方。 実は彼と私、創価大学で同じ時期を過ごしている。知り合いではないけど、会ったことくらいはあるだろうね。 同じ時代に創価の庭で育ったということで、いろんなことが重なる。 でも当然ながらすべてが同じ感覚というわけではない。 彼は創価学会自体をぶっつぶしたいと思ってるのかな

        • ひとの心の動かし方をみてきた学会二世

          地方の大幹部と言われる父をもっていた学会二世の私。 小さい頃から学会の庭で育ち、 本当の自分と 学会用の「良い子の仮面」 を使い分けることもごく自然にできるようになっていきました。 学会の庭(つまり各種会合や機関誌、新聞など)では、何が正義であるか、学会がどれだけすばらしい世界であるのか。その仲間でいる自分たちはどれだけ幸せなのか?そういうことが語られ続けます。 まさに洗脳。 だって、学会を批判する雑誌などは絶対に見てはいけないって言われるんです。 どっちが正しいか、

        恐怖で人心コントロール、、の側面の方が大きいよね

          創価大学は広宣流布された世界のはず

          創価大学は創価学会員だらけ。 それも二世だらけ。でした。 今は三世や四世も多いんだろうね。 私のイメージだと9割以上は学会員 ということはだよ。 創価学会が目指す三分の一のひとが信心しているという「広宣流布された世界」がそこにはあるわけだ。 私なんて寮に一年いたから大学でも帰宅後も学会員だらけの世界で暮らしていたわけだ。 そこはユートピアだったのか? う〜〜〜ん。。。 黙ってしまう 安心、安全なカゴの中 っていう感じだったな〜 私たちは正しいことをしてい

          創価大学は広宣流布された世界のはず

          実家に帰省する、、、勤行、、、

          老いた母が住んでいる実家に帰省します。 母のことは嫌いではない。 価値観が違うので長期間一緒にはいられないだけ。 そして私が帰省すると、、、、 「ゴンキョウシタノ?ハヤクゴンギヨウシナサイ」 が始まるのだ。。 私は今更、自分が学会から離れで仏壇も処分したこと(ご本尊は巻いて片付けてあるけど)母に分かってもらおうとは1ミリも思わなくなっている。 もう無理なのだ。 そして高齢の母をわざわざ悲しませたくないのだ。 だから実家に帰ったとき、母からの 「ゴンギョウシタノ?

          実家に帰省する、、、勤行、、、

          結局のところ信頼されてないんだな

          私の家族が病気、、とか 何かしら「起こる」と私の両親はあわてふためいていた 「心配」が増大する 「不安」が増大する そして 「祈り」を飛ばしてくる 実は今、まさにそれ 私の家族が結構大変な病気になってしまい入院中 高齢の母にそれを少しだけ話してしまった。 大丈夫なんだけどね。ってかなりオブラートに包みながら そしたらもう「不安」が暴走。 大丈夫だよって言って電話を切ったのに その日何度も電話がかかってきた 私は病院にいたので出なかった。 そしたら勝手に不安が増

          結局のところ信頼されてないんだな

          やっぱり何かにすがりたくなるのかな〜

          50代にさしかかった昨今、時代の流れもあるということだけど、とにかくスピリチュアルなものが私の周りであふれている。 ◯◯ヒーリング的なの。 パッケージになったスピリチュアルな講座を受講して講師になり、友人知人に声かけて受講してもらうっていうやつが大半 私は原則「目に見える技術」を身につけるのが好きなので、こういうものには全く興味がないのだけど、ひとってやっぱり「特別な存在」「特別なパワー」「見えないものへの憧れ」みたいなものが強い人が多いんだろうな〜。 何かを言い当て

          やっぱり何かにすがりたくなるのかな〜

          創価学会の家に生まれて楽しかった活動は

          意外かもしれない。 元旦の0時に行われるお寺での勤行会。 これがなかなかに楽しかった。 いつもは寝ている時間にちょっとだけおしゃれして家族みんなでお寺に行き、0時と同時にお坊さんと勤行。 その後、創価学会の幹部があいさつ。 そこで大体うちの父もあいさつに立ってたっけ。 普段、仕事や学会活動で忙しくて一緒にいられる時間がほとんどない父と一緒に家族そろってお寺に行き、勤行。会が終わったあとは幹部のひとたちに声かけてもらったり。お屠蘇もらったり。わちゃわちゃ。 なんか非日

          創価学会の家に生まれて楽しかった活動は

          減宗って感じ

          造語です。いやもしかしてあるのかな?と思ってググったけど、やっぱりない。 入会と脱会 入信と退転 その間。。 徐々に宗教を減らしていく。 だから減宗。 勤行唱題はとっくにやめた(これはわりと早かった) 学会活動もやめた 聖教新聞はかなり時間がかかったけど最近やめた。 次は御本尊・・・これがハードルが高い。 もう信じる気持ちはないのだけど、さすがに気軽に扱えない。 その上、結構大きめの立派な仏壇を持ってるんだよね、私。 正直、狭い我が家でそのスペース使うなら

          減宗って感じ

          自分の力で生きている

          学会から離れて早20年。 勤行することも題目をあげることも 学会活動をすることもなくなった今の暮らし 大きな不幸がおとずれたか? そんなことはない 苦難続きの日々か? そんなこともない もちろん、これから苦難はおとずれるかもしれない その時に祈りたくなったらまた御本尊に向かいたくなることもあるかもしれない。 でも、毎日楽しく自分らしく生きている 「学会から離れたら大変なことになる」 そう刷り込まれて育った子供時代だったけど、自分の中での違和感を拭えず、学会員では

          自分の力で生きている

          学会二世で良かったと思うことはあるのか?

          批判する気はない といいながら ここまでの投稿は、批判的になってしまうことも多かったように思います。 あらためて。。。 学会を批判したいわけではない 今の私は 「何が正しくて何が正しくないか」の「ジャッジ」をしたくないのです。 私は 「二世として生まれ選択の自由がなかった」 ことを一番残念に思っているのかも。 では、ひどいトラウマを抱えるほどのことをされてきたのか? 全くそんなことはないです。 学会二世として生まれてからの人生、良かったこと?ってなんだろう。

          学会二世で良かったと思うことはあるのか?

          まぢでないわ。。。

          勝手に私が創価学会員だと話しちゃった友人。 私が創価大学出身であること 父親が地方の大幹部だったこと 学会の書籍に載ったこともあること ぜ〜〜んぶ話してたらしい。 私にひとことの断りもなく。 本当に反面教師にさせてもらう。 独善ってこういうことまでしちゃうんだと。 やっぱり仏壇、整理しようかな。 そんな気分になってきた

          まぢでないわ。。。

          独善という思考停止

          私が善悪のジャッジを嫌う一番の理由は 「これが正しい!と思ったその時点で勝ち負けに変わり、思考が停止するから」なのかもしれない。 あの、何を言っても無駄感はすごかった。 過去の自分もそうだったな〜。 まだまだ学会っこだった時は、ドヤ顔で信心の話しをしていたもんだ。 世界で創価学会のみが世界を救う正しいものだと信じて疑わなかったから。 そんな私が参加した最後の会合はヤングミセスの集まり。 ヤングミセスというのは、婦人部の中でも結婚した若い女性のグループのこと。 もう

          独善という思考停止

          めっちゃ嫌な気分。なんでだよ〜〜〜

          友人から連絡。 その人と私の共通の友人ふたりで会ったとのこと。 それは共通の友人から聞いていたので 「楽しんできてね〜」なんてのんきに言っていた。 そしたら共通の友人を誘った友人Aさん(仮)からさっき連絡。 「実はね〜。彼女のこと折伏しようと思って誘ったの。でね、話しの流れであなたも学会員だって話しちゃった。ごめ〜〜〜ん」 な。。。。な。。。。。な。。。。。。(言葉にならない) そうなんです。そのAさんはバリバリの学会員。 私が一番苦手とする、まるでネットワーク

          めっちゃ嫌な気分。なんでだよ〜〜〜

          仏壇を処分する勇気

          その勇気はまだ出ない。。。 聖教新聞の購読をやめたのが今の精一杯。 ある元幹部の方がブログで書いていた。 「御本尊を下ろしても罰は当たらないよ」 「捨ててもいいし、それができないなら返せばいい」 理由についての歴史などを通して丁寧に書かれていて納得した。 でも。。。 もうね、これはきっとかな〜〜〜りまだまだ遠いです。 だって、御本尊は絶対だったのだもの。 今、Amazonのプライムビデオで新興宗教のことを取り上げたアメリカの連続ドキュメンタリー観てるんだけどすんご

          仏壇を処分する勇気