聖教新聞は神聖なもの

これはもうね。。
すごいんですよ。

踏んだりしたらめっちゃ怒られるし
世に言われる「古新聞」とは扱いが違う。

そして、聖教新聞には学会の魂が注がれているので、購読するのが当たり前だし、毎日欠かさず読むのが当たり前

子どもたちには子ども用の新聞もあり、それを読む

それ以外にも「グラフ」というマガジン的なのもあり(マガジンとかいうと軽い印象なので多分怒られる)

そして「大百蓮華」

毎月発行される冊子

他にも日曜版があったり

公明新聞があったり・・・

まだ他にもあった気がする

それ以外にもちろん書籍の出版も続々

小冊子的なものから「人間革命」のような大掛かりなものまで。

その数はかなりのもの

我が家ではもちろんコンプリートしてました。

そしてね、、、

私、実家を離れてからこの聖教新聞とさようならするまでに
30年かかりました。

「聖教新聞やめます。止めてください」

って地域の学会の新聞担当の人に言うのが勇気がいるんですよ。

そのあと、色々指導入りそうでね。

なので、地域の聖教新聞の販売店に直接ファックスしました。
電話でもなく。

話したくなかった

この「話したくなかった」という私の気持ちにも
学会に対する「怒られそう」「学会やめたいんです」って口が裂けても言えない

みたいな感情がうずまいてるんだろうなと思った

私、怖いものないと思ってた

学会が怖いんだ

いや、ちょっと違うな

学会で「本当はもうずっと前から学会から気持ちが離れてる。やめたい」って言えないのは
私自身が、学会の中で「良い子」を演じ続けてきたから。

宗教ってある意味そうなんだろうけどね。

今、日本でも牧師の性的虐待のことがよく取り上げられてるよね。

聖職者の裏の顔。

私は幹部でもなんでもなかったけど
学会の庭で洗脳されて育ち、
学会に背を向けるなんて考えられないレールを歩んでいた

だから今でも、そこはくすぶっている
地域の婦人部のおばさまたちに会うと
「私、大丈夫よ、学会活動してないけど元気に暮らしています」
っていう顔であいさつする

少しでも弱みを見せると「指導」が入るから。

私が学会育ちだということを知った学会員の友人が
「え~~~それならあなたもしっかり題目あげればいいのに」
って言われたとき、心底吐き気がした

もう嫌なんだそれが。

なのにそれをすぱっと手放すことさえ難しくしてしまうので学会二世のツラさ。

他の二世はどうなのかな~~

私の一番の分岐点になったのは
「北朝鮮の映像をテレビで観た時」
だった。

次回はそれについて書こうと思う



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