ひとの心の動かし方をみてきた学会二世
地方の大幹部と言われる父をもっていた学会二世の私。
小さい頃から学会の庭で育ち、
本当の自分と
学会用の「良い子の仮面」
を使い分けることもごく自然にできるようになっていきました。
学会の庭(つまり各種会合や機関誌、新聞など)では、何が正義であるか、学会がどれだけすばらしい世界であるのか。その仲間でいる自分たちはどれだけ幸せなのか?そういうことが語られ続けます。
まさに洗脳。
だって、学会を批判する雑誌などは絶対に見てはいけないって言われるんです。
どっちが正しいか、というより自分の頭でどっちに進むか?を決めることすら否定されるわけです。
思考停止して、盲目的な学会員でいろ、ということです。
そうは言ってもうちの父は一般社会で営業職としてがんばってきた人です。
入信したのは結婚後だし、一般社会の中で育ち、働いていた人。
大幹部と呼ばれる位置にいましたが、時々、宗門に対してとか、他の幹部のことを言っているのを聞くことがありました。
それは愚痴とかではなく「批判」でした。
完全に盲信していたわけではなかったんだろうな。と今思います。
だから今の私を見たら父はどう思うだろう。と考えることがあります。
しっかり話したら学会員として生きていない私のこと、理解してくれたんじゃないかな?と思うんです。
だけど母は違う。
父に誘われて結婚後入信した母ですが、母は盲信的な人。
学会に対する疑いをもつ様子を一度も見たことがありません。
婦人部同士の愚痴はよく聞きましたが。
90歳になった今でも毎日新聞を隅から隅まで読み、切り抜いて保管することに喜びを感じている人です。
さもありなん・・・・・
と思ってしまいます。
私も見てきました。
学会の手法を。
会合での「幹部指導」「体験発表」
大きな会合、小さな会合、家庭訪問、新聞、機関誌、書籍
会合では映写機で動画も放映されます。
視覚、聴覚、会場の雰囲気などの五感をフルに活用して見事に洗脳していきます。
その語り方、熱量の高め方。会場の様子を見ながら反応を見ながら語っている様。
たくさん見てきました。
社会経験もそれほどなく、創価学会の前にはクリスチャンでもあった母。
コロっとやられちゃいますね。
今ね、私、しゃべることを仕事にしています。
会場の様子を見ながら語りの内容を変えたり、速度を調整したり、まるで呼吸するようにできちゃうんです。
それについてすごい能力だと言われることがあるのですが、なんてったって、小さい頃からそういうのを見て育ちましたし、幹部の娘として育成グループでの薫陶も受けてきましたからね。
中学生くらいからは前に出て「体験発表」みたいなこともはじまるんです。
経験値が違います。
反面、、、
私の語りで聴衆が引き込まれていく様子に「怖さ」も感じます。
私は絶対にカリスマにはなりたくない。
そこにトラウマがあるようです。
気づくとこれまでの人生、ひとがまわりに集まってコミュニティができていることが多いのですが、ひとが増えてくると逃げたくなります。
強烈なインフルエンサーの才能があるようなのですが、そこを忌み嫌っている自分がいます。
ネットワークビジネスに誘われることもものすごく多い。それも「買ってほしい」という人たちじゃなく、「この人を下につけたら相当いけそう」っていう人がそういう匂いをぷんぷん漂わせながら近づいてきます。
私は教祖になりたくないんです。
それがどれだけ小さなコミュニティだとしても。
そのインフルエンサーの才能を使って仕事をしたくないんです。
プリインストールのように刷り込まれた「聴衆の心を動かす語り方」。
嫌いながらも自分の仕事に活かす日々。活かしている自分を呪いながら、能力発揮を中途半端にしかできない自分。
なんとも呪われた能力ですね。