減宗って感じ

造語です。いやもしかしてあるのかな?と思ってググったけど、やっぱりない。

入会と脱会
入信と退転
その間。。

徐々に宗教を減らしていく。

だから減宗。

勤行唱題はとっくにやめた(これはわりと早かった)

学会活動もやめた

聖教新聞はかなり時間がかかったけど最近やめた。

次は御本尊・・・これがハードルが高い。

もう信じる気持ちはないのだけど、さすがに気軽に扱えない。

その上、結構大きめの立派な仏壇を持ってるんだよね、私。

正直、狭い我が家でそのスペース使うなら他のことに使いたい。
もう仏壇を開けること自体、誰かのお葬式に参列することになった時に数珠を取り出す時くらいになっている。

今回、年末の掃除をしながらどんどん心が動いた。

断捨離しつつ仏壇が気になる。

いまやベッドをずらさないと開けることもできないところに追いやられてる。

それでも処分できないんだな〜〜。

それはなぜか?

やっぱり母親の存在。

私が学会活動をしてなくて、勤行をしていないことも、うっすら気づいてはいると思う。

でも母は今でも心底学会員なのだ。

もう90歳になろうとしているのに、毎日聖教新聞を隅から隅まで読み、切り抜きをして大切に保管している。

勤行をかかすことはまずなくて、毎日なが〜〜〜〜いご祈念をしている。

そのご祈念の中には私や家族のしあわせも含まれているのだ。

それが重くて仕方なかった。

相手が望んでいない「祈り」を飛ばされるのがすごく嫌だった。

それを去年のnoteにも書いた。


だけど、私の心境は変わってきたのだ。

害があるわけじゃないし、いいか。
気持ちはありがたく受け取ればいいし。

と思えるようになったのだ。

一回、大嫌いになってからの受容って感じ。

毛嫌いからの黙認って感じ。

でも自分自身はもう仏壇を処分することに気持ちは動いている。
仏壇を処分して、御本尊はどうする?

で、、、今回どうしたかというと。。。

壁掛けの小さな仏壇を買ったのだ。

お厨子サイズ。

プラスチック製。

御本尊を返せないにしても、なぜ巻いて保管しないのか?
(お巻きするっていうんよね)

それもやっぱり母の存在。

母が私の家に来ることは今やほとんどないけど、今後あるかもしれない。

その時にうちに仏壇がないのを知ったら、ものすごく傷つくのが明らかだから。

もちろんこんな簡易なプラスチックの厨子を見たって傷つくとは思う。

でも「無い」のとは雲泥の差。

高齢の母親をわざわざ悲しませることはしたくないのだ。


私の本心は「巻いて保管してしまいたい」

でも母の祈りは「厨子を買って安置する」という行動をさせた。

母親の念ってやっぱり強烈だな〜〜

でもnoteに色々吐き出してからどんどん私の気持ちは整理され、だいぶフラットになってきた。

もはや2世として生まれたことも隠したいことではなくなってきた。
今となってはもう全然創価学会員とは言えないけど、生まれはそうなんだよ〜〜って言えるくらいになった。

でも「創価大学出身」は別だな〜〜。出身大学どこにも書けない。

今でも他の大学に入り直したい。


余談。。。

購入した厨子。
創価学会用の仏具屋さんで通販で購入したんだけど、中をあけて一番最初に目に飛び込んできたのは「題目表」(って名前だったかな〜?)

広宣流布
とか
宿命転換
とか
勝利

などの言葉にマス目がつけられてて題目をあげたら塗りつぶしていくやつ。1マス大体3千遍。1万遍あげると3つ塗る。とかっていうシステム。

何十年ぶりに見ただろう。これ

「うわ!!!なつかしいわ〜〜〜」と思ったよ。

もちろんそのままゴミ箱でしたが


さ!新年早々の粗大ゴミ第一号は仏壇だ〜〜〜。
それを想像しただけですごく気持ちが楽になった!!!

まさに大きな減宗の一歩だ。

あ、そうか。巻いてしまっておいて、母が来ることがあればその時に出せばいいのか。

そうする!!!

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