乙女、下校、地獄変
夏休みが終わり休みボケした生徒達が、校門からたくさん出て来る。私、節田節子17歳は校門から少し離れた電信柱の陰に隠れて、校門から出てくるそんな生徒達の顔を、じっと見つめていた。まだ目当ての田辺君は出て来ていない。彼はクラスの人気者でいつも皆に囲まれてるから、直接話しかけるならチャンスは下校の時しかないのだ。
キチンと話せるかな、イキナリ話しかけて変に思われないかな……。いやいやいやいや。なに弱気になっているんだ節子。少しでも田辺君との距離を縮たいって、昨日決意したばかりじゃないか。
「やれるやれる、節子ならやれる! ファイトだよ!」
不意に背後から野太い声がして、分厚いグローブの様な手が私の左肩を掴んだ。肩に爪が食い込んで痛い。左肩に乗っている手を見ると、手も指も真っ青で、手の甲と指先にはもじゃもじゃと針金の様な毛が生えてて、爪は真っ黒で鋭く長い。この爪が肩に食い込んだのだからたまんない。でも、私は文句を今は言わなかった。
だって田辺君が今この瞬間に出てくるかも知れないから、見逃すわけにはいかないのだ。
「言っちゃえばいいのよ。こういうのはね、言わないで後悔するより、言って後悔した方が良いってみんな言ってるよ。ただ、もしかすると田辺君、もう好きな子とかいるかも知れない。その時は、気を落とさずにね」
野太い声が荒い息遣いと共に、私の髪を揺らす。
その時、歩いて来る1人の男子生徒が見えた。田辺君だ! 心臓の鼓動がドンドン早くなってきた。落ち着け……落ち着け、私!
「大丈夫! 絶対大丈夫よ!」
背後から真っ青な左足が、私の左斜め前にせり出して来た。ムキムキで、裸足で、足の爪も黒くて長くて毛深い。でも、私は振り向かない。田辺君だけをじっと見続けていたいから。
「言うでしょ女は度胸だって! さ、尾行開始しましょ!」
右足も私の前に出て、その巨体が完全に私の目の前に現れ出た。大きすぎる真っ青な背中。背中も毛むくじゃらで、そいつは黄色と黒の縞模様が入ったパンツしか身に付けていない。
「節子、行くよ!」
振り向いたその顔は、勿論真っ青。下から上へ突き出た2本の太い牙と、もじゃもじゃの黄色い天然パーマに生えた2本の角が、否が応でも目に入った。
「尾行して、田辺君に話しかけましょうよ!」
「う、うん……」
「やだ、びびってんの!? 行くわよ!」
「ねぇ、鬼子」
「なに、節子?」
「ううん、なんでもない」
私は今、デカくて青い鬼と話している。
話すと少し長くなるけど、今年の夏、海で溺れて死にかけた。正確には、死んだ。死んで三途の川を渡って、まさかの、地獄に堕ちた。悪い事してないのに、なんで地獄!? とか思っている間に、鬼に周りを取り囲まれて。んでその中の鬼の1人が、私を針山地獄に連れて行こうとした瞬間……私はライフセーバーに奇跡的に救助されて、こっちの世界に戻って来たんだ。
あのまま針山地獄に行かなくてホント良かった……でも、地獄から現世に戻って来た時、私を針山地獄へ連れて行こうとしてた鬼もこっちに連れて来ちゃったみたい。青鬼の、鬼子を。鬼子は見た目は男なんだけど、心は女性で、本人はLGBTだって言ってる。
私に引っ張られて人間界に連れて来られた鬼子は、どうやったら地獄に帰れるかわからないらしくて、私に憑りつく形で日々を過ごしてる。「も~こっちに適応しちゃう!」って、鬼子はポジティブだ。
鬼子は私にしか見えない。でも、ちゃんと存在しているから物に触れるし、ご飯も食べる。私の部屋で鬼子は暮らし、色々話す内に恋の相談なんかも乗ってもらうようになって、田辺君に告白した方が良いと強固に主張したのも鬼子だった。「あの男子、アタシも妙に気になるのよね」鬼子も田辺君が気になるみたい。
「ほら、行くよ!」
鬼子に急かされ、私は田辺君の後を付ける。早く話しかけたい気持ちと、話しかけずに帰ってしまいたい気持ちが私の身体をぐわんぐわんと激しく揺さぶる。
「節子、チャンスだよ。行っといで!」
私は小走りになる。彼との距離が少しづつ詰まって行く。もう少し、もう少しだ。この道は私と田辺君しかいない。何て理想的なシチュエーションだろう!
後は、声をかけるだけ。
「た……田辺君?」
田辺君は歩みを止め、ゆっくり私に振り向いた。
「節田?」
振り向いた田辺君は、今まで見た事も無いくらい満面の笑みで私を見た。その動きは物凄くスローで、正直ちょっと気味が悪いくらい。田辺君って、こんな感じだったっけ?
「節田、やっと話しかけてくれたなぁ。待ってた待ってた」
「え?」
「やっとだなぁ」
その時、田辺君の背中にモヤの様な物が見えた。赤い、霧状のもの。背中から赤い霧が機関車みたいにモクモク湧き出てる。田辺君は、赤い霧の事なんて全く見えていないみたいだ。でも、霧はどんどん量と濃さを増していく。背中にドライアイス隠してるの?って言いたくなるくらい出て来てる……。
「節子も、大変だよなぁ」
「な、何が……?」
田辺君の背中の赤霧が濃くなって、穴みたいのがぶわって開いた。穴の中は、真っ暗で何かがメラメラ燃えてる音がしてる。
「節子……あん中、地獄よ」
鬼子が、呟いた。
刹那、穴の中から大きな真っ赤な手がじゅにゅりと生え出た。まず五本の指が。次に手の甲、手首とゆっくり穴から出て来る。あれは……鬼だ。鬼子よりも遥かに大きな、ショベルカーみたいな真っ赤な毛むくじゃらの鬼の左手が田辺君の背中から生えて来きてる。田辺君はそれに全く動じる事なくポケットに手を入れたままニヤニヤしてて、あっという間に背中から肘・肩って感じで、一本の巨大な手が生え出る。
「節子! 離れて!」
鬼子が私を無理矢理、田辺君から引き離す。彼の背中の赤い霧穴の中から、私を見つめる目が見えた。巨大な汚く濁った黄色い目がギロリと私を睨む。穴から出て来たのは手だけで、それ以上は何も出て来ない。穴が小さくて、左手以外はこっちに出て来られないみたいだった。
「田辺君、何それ、」
「はは、何って鬼ヨ」
巨大な左手を右に左にぶるんぶるんと振り回し、地面をバンバン叩き始める。鬼も彼も可笑しくて嗤ってるみたいだった。その後、空を飛んでるカラスを左手で素早く掴んではぐっしゃり握り潰し始めた。一羽潰しちゃ、手を開いてポイ。一羽潰しちゃ、手を開いてポイ。
「なにしてるん」
「娯楽っしょ」
田辺君の足元に4羽の黒い塊が転がった。夕焼けの赤い空が、血の色に見えて膝が震え出す。鬼子が、そんな私の肩をそっと支えてくれる。
「節田は、何地獄行ったん?」
「は、針山……」
「あ~そう、俺は灼熱。夏休みに山のさ、谷底落ちてさ。でも死なないで助かって。赤鬼操れるようになって。節子も青鬼操んだろ?」
「……別に操ってはないけど……」
「お前の青鬼、良い色だなってずっと思ってた」
「え、見えてたの? 私、全然田辺君の気付かなかった……」
「俺、赤鬼ずっと隠しておけるから。お前と違って、出しっぱなしとかしないし。ずっと話しかけてくるの待ってた。うちの学校で鬼連れてるのなんて、俺とお前くらいだもんな。地獄トークで盛り上がろう。鬼トークしようぜ」
何そのトーク……。そう言ってる間も、田辺君は気色悪いけぴけぴ笑顔でカラスを殺し、ブロック塀を破壊し続ける。
私の恋、完全に終わった。
ってかこんな奴と付き合わないで、むしろ良かった……。
「私、バイトだから、帰るね……」
「何、もう終わり?」
一刻も早く帰りたい。
「はぁ~~~そう」
田辺君の気の抜けた言葉と同時に、背中の一本腕が頭上から私の脳天に振り下ろされた。
「危ない!!」
鬼子がそれを間一髪両手で受け止めた。あまりの衝撃に、鬼子の両足が地面に沈み込む。
「鬼子!」
「ちょっと男子! 節子に何すんのよ!」
鬼子が赤い腕を掴んだまま、野太い声で吠える。
「他の鬼とか人間、殺してみたいんヨ」
えへらえへらしながら、赤鬼の腕で鬼子を押し込む田辺君。鬼子よりもきっと赤鬼の方が強い。膝の震えが止まんない。きっと鬼子は負ける。だからって、今ここで逃げてもどうなるだろう? きっとこの背中から腕生やした変態は、逃げても私を殺しにやって来る。どの道ダメなんだ。
「節子!ちょっとパンツの中から道具出して!アタシ今両手塞がってっから!」
「ぱ、パンツ……?」
「そう!」
「道具……?」
左手を押さえてる鬼子に代わって、私は鬼子のパンツの上から中に手を突っ込んだ。広い。鬼子のパンツの中はドラえもんの四次元ポケットばりに広大だった。私は中で細長い棒状の物を掴んだので、勢いよく一気に引き出す。
「あったよ!!」
表に出すとそれは禍々しいイボイボの付いた黒くて電池で動くまるで大人の玩具のような、「ちょっとやだ違う!それ彼氏に貰ったやつ!他に包丁、あんでしょ!?」私は黙って玩具を戻し、鬼子の言う血濡れた肉切包丁を引っ張り出した。
「あんがと。じゃ~ちゃちゃっと終わらせましょ」
私が手渡した包丁を受け取ると、鬼子は目にも止まらぬ速さで赤鬼の腕を手首からぶった切った。切られた手首がぽーんと宙を舞う。私も田辺君も呆気にとられてそれを見ていた。
田辺君の背中の霧の中から「あひ~」と気の抜けた声が聞こえて来る。鬼子は休む事無く肉切り包丁で、鬼の左手を金太郎飴切るみたいにすっぱすぱ輪切りにしていく。
その度に田辺君は
「あ、ちょ、ちょっと……」
赤鬼は
「あひあひ~」
って繰り返した。私はずっと「いけいけ~」って声援を送り、興が乗った鬼子は包丁で赤鬼だけでなく、田辺君まで縦に一刀両断、真っ二つにした。田辺君、二つに裂けて絶命しちゃう。
血飛沫で道が茜色に染まって、私はさすがに止まった。
「ちょっと鬼子、人殺さないでよ!」
って文句を言ったけど、鬼子は「だってコイツカスじゃん」だって。
「ま、そうかもね~」
私と鬼子はしばらく2人で笑って、死体片付けて。
んで、とりあえずタピオカ飲みに行く。
老若男女問わず笑顔で楽しむ事が出来る惨劇をモットーに、短編小説を書いています。