小説「これで終わりの向こう側」
戦地に駆り出され早20日。遂にこんな日が来てしまった……。
俺は恐る恐る重心を移動させずにゆっくりと、右足の下を見る。靴底の下、地面に埋まっているそれを。そこには直径30㎝程度の丸い鉄製の物体が地面に埋まっており、俺の右足と密着していた。もう、離れたくても離れられない金属の塊。
俺は、地雷を踏んでいた。
右足を前に出した途端、足の裏に金属の何かが触れ、カチッという音が耳に聞こえた時にはもう遅かった。足を離せば即爆発。右足を失うだけですむのか、身体そのものを失うのかはなってみないとわからない。正直、わかりたくもなかった。
持っていた銃とリュックをゆっくり下に降ろす。周囲は何処までも果てしなく続く荒野だ、味方の救助はとてもじゃないが見込めそうにない。もっとも、味方が来た所でどうにかなりそうもないのだが……。
俺の所属していた隊は3日前に下された指令により敵地へ偵察に向かい、そこで敵部隊と戦闘になった。隊のメンバーの殆どが20日前まで普通の暮らしをしていた一般人だ、銃撃戦など満足に出来るわけがなく、隊は俺以外あっけなく全滅。幸運にも生き延びた俺は味方のいる基地へ、歩いて帰る途中だった。
なのに、こんな何も無い荒野のど真ん中で地雷を踏んでしまうなんて……最後の生き残りも死ねという事なのだろうか……。頬を伝う汗を手の甲で取り、舌で舐めとった。この炎天下の下では、いずれ脱水症状で倒れるだろう。そしたら地雷でサヨナラだ。
戦争など行われていないかのように、空はどこまでも青く、長閑だった。どこか遠くで奇声をあげて鳥が鳴いている。俺も泣きたい。
その時、
遠く地平の彼方から何かがこちらに向かってやって来るのが見えた。味方の車両か? いや、それにしては動きが変だ。バイクか?……まさか敵の偵察兵なのか? 俺は銃を再び手にし、身構えた。
が、それが車でもなくバイクでもなく、歩く人間のだとわかったのは、それから5分ほど経った時だった。銃を持たない、丸腰の男。
頭皮の薄い太った男で、汗で透けたランニングのシャツを身体にぴったりとくっつけ、ふぅふぅ……と粗い息をしながら俺の方に走ってきている。乳首が透けて丸見えだ。「あ~良かった、良かった」男は、俺の側までやってくると、首にかけたタオルで顔の汗を拭いた。
「救援の……? 軍がよこした救援の兵士、か?」
男は汗を拭きながら「あ、違います」と早口に答え、俺の右の足元に近づき跪く。
「あ~これですね」
「民間人か。なら、救援を呼んでくれ、地雷を踏んだんだ!」
「わかってますわかってます」
私の目を見ずに、男が右膝へ両手をあて突然「ぐっと、押し込んで下さい!」と叫んだ。
「お、押し込むって、何を?」
「ですから地雷ですね」
「地雷押し込むわけないだろう!?」
「足を上げない限り爆発しませんから、さぁ、押し込みなさい!」
俺はワケも分からず足で地雷を力強く踏み込んだ。やけになった俺は、せめてこの得体の知れない民間人を道連れにしてやろうと思ったのだ。
渾身の力を込めて地雷を地中に向かって押し込んだ。時折男の言う「大丈夫、爆発なんてしませんよ」の言葉通り、爆発するような事は無かった。
爆発はしなかったが、何か音が聞こえてきた。
しゅうしゅうしゅうしゅうと。
足の下。まさに地雷からだ。
押し込んだ足の裏から、黒いドロドロとした液体がびゅしゅりぶしゅりと気泡をあげながら流れ始めている事に気付いた。石油の様な、真っ黒な粘度のある液体だ。男は、更に体制を地面スレスレまでさげると、その右足の下から湧き出る黒い液体に、顔面をくっ付けた。
「ちょ、ちょっとアンタ! なにしてんだよ!?」
男は何も答えない。その代わり、液体に接しているであろう男の口元辺りからすぴすぴすぴっじゅるじゅるぴという不可解な音が聞こえ始めた。そして時折「……うっめ……うっまい……くっせ……くっせぇ……うっまい」とくぐもった声も聞こえる。男があの黒い液体を飲んでいる様な予感が、俺の脳裏を過った。
「飲んでるのか……?」
ぴすぴすぴっじゅるじゅるぴ
「なにしてんだよ!」
「……くっせ……くっせぇ……うっまい……うっまい」
「何してるか言わないと、足、持ち上げるぞ!」
男がすっと顔を上げた。鼻の頭と唇が真っ黒に染まっている。
「飲んでおりました」
予想はついていた。
「なにを……?」
「地雷汁です」
「地雷……じる? なにそれ? あんのか、そんなもん……」
「地雷の連中は、踏まれると足を離されるものだとタカをくくっているんですよ。そこを逆にグッ! と踏み込んでやるんです。吃驚して奴ら、汁を吹き出すんですなぁ」
男はさも得意げに地雷汁の出し方を教えてくれた。だが、そもそも無機物であるはずの地雷が、吃驚して汁を吹きだすというメカニズムが、俺には全く理解する事が出来なかった。
「飲んで大丈夫なのかよ?」
「は?」
「地雷汁」
「問題ございません」
男は俺の両膝を強く握り「もっと強く押し込んで!」と、地雷を更に押し込ませた。その度に足元からは断続的に地雷汁が噴き出し、男はそれを飲み干した。「うまい…うまい…」そして地雷汁が無くなる度、俺の足を握りしめ「さぁ、もっと! もっと強く!!」と俺に地雷を踏み込ませる。
もうどうにでもなれ!
思い切り地雷を踏み込んだ時、俺の右足がスポン! と地雷の中に入ってしまった。
「えぇ!?」
地雷の中に右足の爪先・甲・踝までがスッポリ入りってしまった。まるで地雷と足首が合体してしまったかのような感じになっている。
「わ、わ、入った! 足、入っちゃったよ!」
「地雷もまさかこんなに強く押してくると夢にも思ってませんから、奥に逃げ込んでしまうんですよ」
「……なにが!?」
男はふぁふぁふぁと笑いながらそんな事も知らないのかと言いたげに「地雷の中身ですよ」と言った。
「地雷の中身……?」
「中身が逃げたぶん、そこにスペースが開きますから。そこへ、スッと入り込むんです」
「俺が? 俺が入り込んだってことか?」
「そうですな」
「いや、俺入りたかねぇんだって!」
俺の言葉も聞かず、男は俺の両肩を掴み「そ~れ!」と身体を下へ下へと押し込み続ける。両手両足を用いなんとか踏ん張っては見たものの、地雷の中はとても滑りが良く、あっという間に俺の身体は下半身がスッポリ地雷に収まってしまった。まるで、地雷から上半身が生えているかのようだった。
「どうしてくれんだ、下半身入っちまったじゃねぇか!」
男は笑うでもなくすまなそうにするでもなく、ただ俺を見つめている。
地雷に入ってしまった下半身には、ちゃんと感覚がある。動かしている実感はキチンとあった。深い泥の中に埋まってしまったかのような不可思議な感覚が、背骨を通じ下から脳へと伝わってくる。
中はきっと液体が入っているんだ……。
恐らく先程男が飲んでいた地雷汁というモノはこれなのだろうか……生暖かな粘度の高い液体が、地雷の中に満たされている。本当に俺はこの小さな地雷の中に押し込まれているのか? 中はとてつもなく広く感じる。どんなに脚をバタつかせても、何処かに触れるという事は一切なかった。
不意に右足に何かが刺さったかのような痛みが走った。
「いってぇ!」
「どうしました?」
「なんか……刺さったぞ……」
「あ~噛まれたんでしょう」
「噛まれた?……何に?」
「地雷の中身です。まさか中にまで入って来るとは夢にまで思っておりませんから、警戒して噛みついてくるんですなぁ」
「中、何が入ってんだよ!? おい、上げろ! 俺を引っ張り上げろ!!」
なおも男は俺をグイグイと押し続ける。なんとか両腕を使って抵抗をしようと試みるも、ずぶずぶずぶずぶと下に沈むことを止めることは出来ず、遂に首まで中に押し込められてしまった。もう、地雷から直接生首が生えているかのようだ。
と、何かが、俺の身体に触れた。始めは気のせいかと思ったが確かに、何かが俺の尻を撫でている。そして尻の次に胸を撫で、手の指を触り、そして今股間の辺りを丹念に触られている。
「おい……おい!」
「なんでございましょう?」
「なんかが俺の身体撫でまわしてるぞ!」
「あ~求愛を、しとるんですなぁ」
「地雷の中身がか!? なんで!?」
「初めは警戒するんですが、次第に心を開き求愛するんです」
「え、なんで!?」男は俺の質問に答える事なく、俺の身体をグイと押し込んだ。ぎゅるん!と音を立て、首……そして頭部は地雷の中へと沈んでいく。俺は、地雷の中に完全に入ってしまった。
中に光はない。地雷汁で満たされた完全に真っ暗な空間。ただ、この空間が何処までも広がっている事は何故かわかる。中は汁で満たされているはずなのに、不思議と呼吸を続ける事が出来た。
すぐ近くで、地雷汁を揺らめきを感じる。それは俺以外の何かが存在しているという事実。奴が側にいる。地雷の中身だ。
揺らめきと共に、地雷の中身が俺の身体全体を触る。そして地雷の中身の何かが口に触れ、何かが、俺の口から体内へと侵入してくる。それが地雷の中身の舌なのか、それとも地雷の中身そのモノなのかは判別できない。ただ、生暖かい何かがどゅるりどゅるりと俺の中へと入り、俺は満たされていく。不思議と嫌な気持ちはない。不快感は無かった。真っ暗なこの地雷の中で、俺はきっと溶かされ、地雷汁になっていくのだろう。そしていつの日か、地上にいるさっきの男によって搾り取られ飲まれるのだ。
それはそれでいいか。
地雷の中身はまだ、俺の体内を満たし続けている。時折、俺の手を触り指も絡めて来る。どうしよう……こういう場合、俺も絡めた方が良いだろうか。何となく、この状況に適応し始めた自分に、ちょっと笑ってしまった。せめてこの地雷の中身がメスでいてくれたらいいなぁと思いつつ、俺も奴に指を絡ませた。
老若男女問わず笑顔で楽しむ事が出来る惨劇をモットーに、短編小説を書いています。