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小説「彼らは、青椒肉絲をよく食べる」

食事中、妙な視線を感じる事があった。何かにじっと見つめられているかのような、そんな違和感を半年前から時折感じる事があった。室内をよく見回しても、我が家の食卓には僕と父と母の三人しかいない。他には誰もいないはずなのに、なぜだか誰かに見られている気がする……。そう思う事が、たまにだけどあった。
 食事中辺りをキョロキョロ見回す僕を、両親は不思議そうに見る。その度僕は「虫がいるのかなぁ」と言って両親を誤魔化した。「誰かに見られているかも」なんて言ったら不安にさせかねないからだし、両親も、中学になると子供ってナイーブになるからね、とさして心配もしなかった。

実際繊細な僕は何者かに見られていると感じたら、その日時とどんな料理だったかをメモする事にした。人か、幽霊か。何かは知らないが、その正体を突き止めようと思ったのだ。

メモをつけ始めてから三ヶ月経った時、見られているのは『夕食の時のみ』だということがわかった。朝昼は全く感じることはなかった。夜のみ、視線を感じるのだ。そして見られていると感じた夕食の時に食べていたメニューに、共通の料理がある事も発見した。

その料理は、青椒肉絲(チンジャオロース)だ。

細く切った牛肉とピーマン、タケノコを甘辛く炒めた中華料理の定番。そして、母さんの得意料理だ。これを食べる時のみ、僕は誰かの視線を強く感じていた。何者かは、青椒肉絲が余程好きなようだった。そこで僕は、小遣いを握り締めクックドゥーの青椒肉絲のタレと牛肉・ピーマン・タケノコをスーパーで購入し、日曜日の昼、両親が留守な時を狙って青椒肉絲を作った。今まで夕食しか見られなかったのは、青椒肉絲が夕食にしか出なかったからだ。今、お昼に青椒肉絲を作ってそれでも視線を感じたら……間違いない。何者かは青椒肉絲にぞっこんだという事になる。

 僕は震える手で、出来上がった青椒肉絲を食卓にのせる。けどこれだけじゃ十分じゃない、箸で牛肉を一つまみし、口元に持って行く……。
 と、首筋に突き刺さるような視線を感じた! キタキタキタ! 間違いない青椒肉絲だ!! 何者かが青椒肉絲を見つめている! 

 箸でチンジャオロースをつまみ、口元に持って行ったまま、僕は部屋中をゆっくりと歩き回った。盗聴器を捜すそれ専門の業者みたいな動きで、食卓周辺を歩き回る。どこで一番強く視線を感じるのか、どこで食事をじっと見ているのか、その場所を特定したかった。半開きの口のまま、僕はテレビ前からキッチンへと動き回った。特に変化はない。食器棚……座椅子……。だけど、熱帯魚の水槽の前で、今まで味わった事の無い強烈な視線を感じた。……ここか、ここなのか……? よく見れば父さんの飼っているグッピー35匹が、全て僕の口元をじっと見ているじゃないか。

「君たちが、ずっと見てたのかい……?」

試しに牛肉をつまんだ箸のみを、水槽の前で動かしてみると、グッピー達はまるでイルカのショーみたいに箸の動きに連れられて移動を始めた。今日、これでハッキリした。我が家のグッピーは、青椒肉絲が大好きらしい。

と、僕の脳裏に次の疑問が浮かぶ。

グッピーは、青椒肉絲を食べるのだろうか。

これだけ熱視線を送り続けるのだから、食べられそうな気がしてならない。熱帯魚が甘辛く炒めた中華を食べるなんて聞いたことが無かったけど、僕は我が家のグッピー達に青椒肉絲を与えてみたくなってたまらなくなってしまった。もし、万が一、死んでしまったら父に死ぬほど怒られるだろうが、今はそれよりも好奇心の方が勝り、僕は牛肉を一欠片、水槽に落としてみた。ポチャン、と水面に落ちる肉の欠片。

小さな熱帯魚達は、それはそれは嬉しそうに落ちた青椒肉絲の周囲を舞い踊る。イワシの群れの様に、美しく舞う。その中心はもちろん牛肉だ。彼らは物の数秒で跡形も無く食べきってしまった。そして食べ終わると、僕の方をじっと見つめるではないか。「おかわりを要求しているんだ……」僕はそう判断した。僕だって、自分の作った青椒肉絲をこんなに喜んで食べてくれるのは心底嬉しい。皿ごと水槽に持って行くと、一つ、また一つと箸でつまみ、中へ放り入れ始めた。

日が傾き気付けば夕方になり、皿は、空になっていた。夢中になり、ついつい青椒肉絲を一皿まるまるグッピーに与えてしまった……。途端に、僕は不安になる。突然中華を食べたせいで、全匹死んでしまったらどうしよう、と。急にやってしまった事に対する、後悔の念が僕を襲ったのだ。

その時、どこからか僕の心に、何かが囁きかけてきた。

(少年……少年よ……)

「だ、誰……?」

(私だ……いや、私達だ……)

僕を見つめる小さな瞳の群れ。グッピーだった。

(青椒肉絲を食べさせてくれて、本当に有難う。一度で良いから、食べてみたい、食べたい食べたい、そう思っていた我々の願いを、君が叶えてくれた。本当に感謝している)

誰か一匹が代表して話しているんだろうか、とても落ち着いた深みのある大人の男性の声だった。

「青椒肉絲食べちゃって、死にませんか……?」

(死なない死なない。我らは死なないよ。……それよりも、君に一つ、お願いがあるんだ。今度から夕食に青椒肉絲が出されたら、ほんの少しで良いからこっそり分けてもらえないだろうか? 母上の青椒肉絲も是非頂いてみたいのだよ)

僕は彼らの要求を聞き入れた。そんな無理なことでもなかったし、嫌いなピーマンをこっそり食べてくれるのは、むしろ僕としても有難かったからだった。

その日から、青椒肉絲が夕食に出ると僕はそれを残し、こっそりグッピー達にあげる事になった。

(いつも本当に申し訳ない……)

そう言って、彼らはいつも美味しそうに青椒肉絲を食べてくれる。たまにピーマンが多い事に不満を言う事もあるけれど、僕らは良好な関係を気付いた。いつもあげながら学校のこと等、他愛もない話を結構話した。

親密さがある程度築けたと思って、僕はグッピー達に質問をした。

「あのさ……」

(なんだね少年)

「……なんで喋れんの?」

核心に触れる質問だった。今まで恐ろしくて、ちょっと聞き辛い質問だったのだけれども、このままスルーは出来ないと思って意を決したのだった。怖かったから、ちょっと砕けた若者言葉で軽く威圧しながら聞いた。

(我らは意外と長生きなんだよ、平均年齢は、大体89歳だ。長く生きたグッピーは喋れるものだ。そして長く生きたグッピーは中華が好きなのだ)

「そうなんだ」

何一つ納得できなかったが、僕は頷いた。彼らも嬉しそうだった。

そんなある日、僕の大好きな、クラスメイトの秋田さんが自転車に追突されて怪我をして入院する事になってしまった。秋田さんは走るのがとても速くて、陸上部で期待されていたのに「もう走れなくなっちゃうかもしれないって、お医者さんに言われた……」と、見舞いに行った病室のベッドで泣きながら僕に教えてくれた。

僕はこのモヤモヤした気持ちを誰に話して良いかわからず、自分で青椒肉絲を作ってグッピーにあげながら、彼らに話を聞いてもらった。

(その子が、好きなんだね……?)

「うん……まぁ……」

素直な気持ちが言い辛くて、僕は渋谷の若者みたいに顎をちょっと突き出すような感じで返答をした。

(その子の怪我を、完全に治す方法があるのだがね)

グッピー達はくるりと水槽を回遊した後、いつものような落ち着いた声で僕にそう語りかけた。

「え? どうすれば良いの?」

もし秋田さんの怪我を治す事が出来るなら、是非教えて欲しかった。

(青椒肉絲を作れ)

斬新な答えだった。

(青椒肉絲を作って、その子に食べさせてあげればいい。そうすれば治る)

「普通に作ればいいの?」

僕は渋谷の若者言葉を止めていた。結構純朴に聞いた。

(普通では駄目だよ。牛肉ではなく、我々を炒めるんだ)

「え……?」

(力を持ったグッピーで料理を作ると、それは万病の薬となる。君には散々恩義があるしな、炒めなさい。さぁ)

「でも、それって、皆が死んじゃうって事なんじゃないの……?」

(もう十分生きたよ。89だよ。それだけ生きれば本望さ)

そういうと、水槽のグッピー達はゆらゆらとその姿を変えていった。あっという間に、水槽の中には一人前を作るのに十分な牛肉が浮いているのみになっていた。

僕は、泣きながら水槽から牛肉を取り出すと、キレイに洗ってから、ピーマンとタケノコ、そして、グッピー達が姿を変えた牛肉を切った。鍋に油をひき、まず牛肉を炒めた。そして無心に、鍋を振るった。今は何も、考えたくなかった。

僕の青椒肉絲は完成し、秋田さんのいる病室に持って行った。本当は病院で指定された食事じゃなきゃダメだったんだけど、僕の行動を喜んでくれた秋田さんはこっそり食べてくれた。美味しい美味しいと、食べてくれた。

家に帰ると、水槽が空になっている事に父は驚き、当然僕が疑われ死ぬほど怒られたけど、ホントのことは何も言わなかった。その晩、夕食は青椒肉絲だった。僕は、空になった水槽を見ながら、祈る様な思いで青椒肉絲を食べた。ピーマンも残さず食べた。

二週間後。秋田さんの怪我は驚くほど早く回復し、退院する事になり「お医者さんがね、まるで奇跡が起きたみたいだって、言ってたよ」とすっかり元気になった秋田さんは清々しい笑顔で、お見舞いに行った僕に教えてくれた。

「ホントに、良かった……」

僕は泣いた。秋田さんは、自分の怪我が回復したことに僕が泣いているのかと思って、それに感激して彼女も泣いた。でも、もちろんそれもあるけれど、僕の涙にはそれ以上の大きな理由があった。僕はあの日以来空になったままの、水槽を思い出していた。僕の本当の涙のワケを彼女は知らないけど、でも、それで良い。

老若男女問わず笑顔で楽しむ事が出来る惨劇をモットーに、短編小説を書いています。