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「褒める」ではなく、「共に喜ぶ」

私の過去のアカウントで、今のGAJYUMARUにつながるものもアップしていきたいと思います。
今回は、子どもたちとの向き合い方、姿勢です。

こちらを、今の認識に合わせてリライトしたいと思います。

教育者やメンターに必要な要素とは?(人間関係構築において)

前職(塾講師)の際、社内で「生徒に懐かれるには?」がお題になりました(今思うとその言葉もおこがましい。目指すべきは「人間関係構築」です)。
指名を受けて書いたのがもう10年ほど前になりますが、改めて教育者やメンターに必要な要素だと考えていることを言語化しておきます。
保護者の方々にも読んでいただくと、参考になる部分もあるのではないでしょうか。

「相手に興味を持ち、全身で感じる」

これが大前提です。
これは日本の教育にはまだまだ欠けている部分かもしれません。この150年間は、「同じ時間に、同じことを、同じようにできるようにさせる」産業革命モデルの教育をしてきました。工場でJIS規格を外れさせるようなことを考える人間はいません。
※「産業革命モデル」に関しては、こちらで書いています。

その点私は規格化することではなく、人の成長にしか興味がありませんでした。だから個性を探すことばかりしていたように思います。
この前、10年前のやり取りに関しても「あの時ここだけは注意したよねー。でもそれはこういう意図だったんだよ」と話せました。それは「この人の特長はここで、でもここは周りからもったいないと思われてるよね」など、当時の私なりに仮説と検証を繰り返してきたからです。
そして、検証段階で(子どもに限らず)相手は言葉だけではなく様々なサインを出してくれます。眉間の皺や、仕草や声のトーンなど。もしくはもっと微細な雰囲気的なものも。それら非言語的なものも全身で感じようとしていました。
それもこれも相手に興味を持っていて、変化を見るのがが楽しかったからです。

「褒める」という言葉への違和感→「喜びを分かち合う」へ

「褒める」という言葉は、「褒める側」「褒められる側」と上下関係を前提にしているように感じて、あまりしっくりきませんでした。
無意識に近いですが、私は例えば当時の生徒が「〇〇点取った!」「部活で優勝した!」など教えてくれた時は(「頑張ったな」、「偉い!」ではなく)「やった!」「よっしゃぁぁぁぁあああ!」と反応していました。

これで、相手の反応は大きく変わりました。
まずは喜ぼう、相手の成功が嬉しくてたまらないことを見せよう。
相手の意欲を引き出すのが狙いなら、上下の関係を置いた「褒める」以上に、相手と一体になって「喜びを分かち合う」の方が効果が高いと考えています。。
(仕事や家庭での人間関係でもそうだと思います)

「褒める」なら、行動以上に内面&相手の欲しいポイント

それでも「褒める」っぽいことをするならば、その都度の表面上の行動に対してではない方が良いと考えています。
卒業後に、ある方から「私が一番大事にしていることを気付いて褒めてくれたのが本当に嬉しかった」と言われてなるほどなぁと思ったことがあります。
授業中に、その方は私が答えを提示せずに「なんで?」と考えてもらった時に大抵一番早く気付く人でした。その時、声は上げないまでも思わず一瞬ピクッっとなる。私はその時に「気付いたでしょ!あなたいつもこういう時早いんだよね」と言ったんですが、それが彼女が一番気付いて欲しかったとのことでした。
でもそれは、「気付きが早い」という行動以上の「未知のことに対する好奇心」という内面部分へのメッセージの遣り取りだったと考えています。それが彼女にとって適切なタイミングで出てきたことが、彼女との信頼関係を強固にしたようです。

「熱意」って大事

他の方からは、「当然クラスには何十人もいて話しているんだけど、一対一で話している気がした。『先生』が全員に向けて話してる感覚じゃなかった」と言われました。
私は、上記の通り全員の特長や悩みなどをイメージしながら話していたので、トークもそこから立ち上げていました。それが近く感じさせたのでは、と伝えました。
しかし、彼女は「熱意がすごくて、その分目の前で話されているような感覚だった」とのこと。
教育って次の社会をつくる人材を送り出すことだという思いが強いので、一応塾ではあったので教科の学習ではあるものの社会のことや、一社会人としての悩みや気づきなどをよく話していました。それが私が心底熱意を持って話せることでした。その辺りも重要だったのかなぁ、と改めて感じさせられました。

子どもの方が”未来”なんだから、子どもから学ぶ

振り返ると、私は「先生と生徒」とは上下関係であるべきではないと考えていました。上限関係の「先生」は、「管理者」や「工場長」、「上官」のようなものに近くなってしまうのではないか?
そうではなく、共に社会に生きる、けど少しだけ”先に生まれた”(「先生」ってシンプルにそれだけの意味だと思います)立場として感じることを伝えてるんだよと。
突き詰めると、「あなたたちの方がより”未来”なんだから、私の方があなたたちから学んでいるんです」と。そういうスタンスが重要だと考えています。

学ぶ姿勢のないものに、教育者の資格はない

何より、学ぶ姿勢こそが「学力」の本体であり、学ぶ姿勢のない者が教育者を名乗る資格はないと考えています。
最後急に表現にしましたが、でもこれこそが原点だと思っています。


以上、云々書きましたが、最終的にはラストの「学ぶ姿勢のあるものこそ、教育者である」が大事なのではないでしょうか。
人間関係は、相手からとにかく学ぼうとする姿勢に尽きますし、その姿勢が相手との関係を強固にすると共に教育効果を高めていくのだろうと確信しています。

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9月は極力毎日noteを書いて、GAJYUMARUについて皆さんによくご理解いただけるようにしていきたいと考えています。
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