完全理解夫婦その後と部屋の話
何も創作する気が起きず、時間だけが過ぎていっておりました…。
そんな時もあるよね。
完全理解夫婦に書いたように、昨年、とても辛い時期を過ごしました。
夫に対する感情がたくさん揺れ動き、何も感じたくないと思って、実際に感情が停止したような気もしました。
そんな時期が過ぎたあと、私は自分の今までの思考を、何とか軌道修正しようと試みました。
私は人を思いやる前に、まずは自分の声に敏感になろうと思い、徐々に自分本位になる練習をしていました。
それでも、やはりうまくいかず、不安が悪い形で噴出することもあります。
勝手に相手の言動に傷つき、傷つけられたことに過剰反応してしまう。
相手に、自分の望む対応を求めてしまう。
まだまだ練習が必要みたいです。
話は変わって、大幅に我が家の部屋の配置換えをしました。
2階にある3部屋を、私と夫と娘、それぞれ個別の部屋にしたのです。
(今までは、娘の部屋、共有の寝室、私と夫の作業部屋、でした。)
自分ひとりの部屋を持ったことで、私はとても安心した気持ちになりました。
自分だけの場所。誰にも干渉されない部屋。
実家の自室を思い出しました。
自分ひとりで完結する部屋は、私を癒やしてくれる。
思い返してみると家族を持ってから、人と共有するものが増えました。
時間や、スペース。食事の内容もそうですね。
それが当たり前のことだと思っていたから気づかずにいたけど、自分の部屋を持ったことで、私は「ひとり」でいることがとても好きだったことを思い出しました。
結婚して、人と一緒にいる安心感を知りました。
娘が産まれ、自分ととても距離の近い存在ができました。
それでも私は、基本的に「ひとり」でいることに豊かさを感じます。
だけど、「結婚したら」「こどもがいたら」という先入観から、いつのまにか人と何かを共有することが当たり前だという思考に縛られていたのかもしれません。
人と一緒に何かをすることはとても楽しいし、ひとりの時よりも遠く広く広がります。
それでも、根底ではそれぞれの人が「ひとり」でいる。それを忘れないようにしたいと思いました。
自分の場所があるからこそ、娘の部屋に遊びに行ったり、逆に、娘が私の部屋に遊びに来る。そんな楽しみ方ができるんだな。
ひとりでいることを忘れずにいるからこそ、人と何かをすることを楽しめるんじゃないか。
ひとりであることも、私の大事な一部だな、と感じた出来事でした。