感情を出す

先日、ひょんなことから夫へのサプライズパーティーをすることになった。
娘との共同企画である。
部屋を輪飾りで飾り付け、夕飯といっしょに夫の好きなステーキとケーキをテーブルに並べただけの、簡単なパーティーだ。
驚いている夫に対して、娘と2人で
「せーの」
「いつも家事とお仕事ありがとう」
と言った。

その時、なぜか涙が溢れそうになり、慌ててこらえた。
なぜ、涙?泣くようなことでもないのに。


昔から、同じような経験が何度かあり、不思議だな、と思っていた。

社会人になりたての頃、母の日に何か渡そうと思い、ギフトカードをプレゼントした。そのときも、涙が出そうになった。
感謝の気持ちを伝えようとすると感情が昂ってしまうのだろうか?と思ったが、それだけではないようだ。
中学生の頃や、社会人の頃、「体調が悪いので帰りたい」と先生や上司に伝える時も、涙を必死で堪えていた。

これは一体、何の涙だろう?と、長い間疑問だった。


私は小さい頃から、感情を表すのが下手だったと思う。
「さみしい」時は「不機嫌」になったり、
「うれしい」時にありがとうが言えなかったり。

それは長い間、「伝わらないコミュニケーション」を続けてきたせいだと思う。


私は、感情を自分の中から外へ出すのに、とてつもない抵抗感がある。
伝わらなかったらどうしよう。
否定されたら、誤解されたらどうしよう。嘘だと思われたら?わざとらしいと思われたら?
自分の本当の気持ちを伝えても、それを否定されるかもしれない。
だったら、言わないでいる方がいい。そんな風に思ってきたのかもしれない。


「いやだ」と言った時、その「いやだ」を受け入れてもらえなかった経験が、
「こわい」と言った時、「こわいね」よりも先に「大丈夫」と言われた経験が、
「感情は伝わらない」と思いこむ要因になったのではないだろうか。

「私はこうしたい」に対するアンサーが、
「時間がないから」「お金がないから」「私はそうは思わない」というのは、
こどもが自分の意見を押し殺すようになるには、充分すぎる理由ではないだろうか。
言えなかった感情は、無かったことになる。私の感情はどんどん心の奥の方へと追いやられていった。


だから、自分の気持ちを伝える時、恐れがストッパーとなり、涙が出てくるのではないだろうか。


それは、なんて、かわいそうなことなんだろう。
気持ちを伝え合いたいのに、自分の思いがうまく言えないなんて。

同時に、私は娘にも同じ思いをさせていないか?と不安になった。
いや、させているだろう。思い当たる節が多い。

娘が「こわい」と言った時、「大丈夫だよ」で済ませていないか?
娘が「いやだ」と言った時、「ただのわがままだ」と思ってないがしろにしていないか?
娘が黙ってしまった時、無理やり気持ちを聞き出そうとしていないか?
後悔してしまうような娘とのやりとりが、いくつも思い返される。

気持ちを受け止めてあげられないのは、受け止め方が分からないからだ。
それはもう、練習していくしかないように思う。
娘に「こうしたい」と言われた時、それを叶えてあげられないとしても、「したいんだね」と一度受け止める。そして、「じゃあ、どうしたらいいだろう」と考える。その過程を練習していくしかない。


そして私自身も、感情を出すことへの恐れを克服していきたい。
心からのありがとうを
心からのごめんなさいを
何のためらいも無く言えるように。

「いやだ」も「違う」も
「私はこうしたい」も、
誤解を恐れずに言えるように。

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がじゅまる
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