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学校について思うこと

※個人的な感想です。何かを批判したいわけでも、討論しあってほしいわけでもありません。



今日は、小学1年生のこどもの授業参観日だった。授業参観に参加したのは、これで2回目。今回は国語の授業を見学した。


第一の感想としては、「こどもって、本当に大変で、えらい。」


教室の後ろでぼーっと授業風景を見学しながら、物思いに耽っていた。授業には、開始時刻があって、終了時刻がある。正解がある。丸つけがある。先生の書いた文字を、全員でノートに書き写す。聞かれたら、正解を答える。違ったら、違うと言われる。
などなど、私が小学生の頃から当たりだったことの必要性とか意味を考えていた。

授業の目的はなんだろう?急いで板書をして授業のスピードについていくことや、先生の意思を汲み取ることでは、もちろんない。
じゃあ、学校の目的ってなんだろう?社会に適応できる人間を育てるためでは、もちろんない。

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なんでこんなに窮屈な感じがするんだろう?と考えていたら、そうか、先生の言う通りにする以外の選択肢が無いんだな。ましてや、小学1年生。正解以外の正解が彼らにはないんだ。あったとしても、赤ペンでバツがつけられる。

だから、こどもたちを見ていて、えらいなあ、と思った。もし自分が同じ状況にいたら、きっと心が落ち着かないだろう。


幸か不幸か、私のこどもは(私から見て)問題なく学校に通っている。
辛そうでもない。
私が勝手に心配しているだけだ。
彼女はきっと、私よりもはるかに社会性がある。私の心配をよそに、しばらくは集団生活を楽しめるだろう。
つまり、学校に向いていないのは私の方なんだろう。
いやでも、学校に向いているってなんだろう。
そんな気持ち悪いこどもがいるだろうか。

誤解をしないで欲しいのは、学校のやり方を批判しているわけじゃないということ。家では学べないことをたくさん教えてくれるし、その点に関しては先生たちはプロだ。
ただ、全員が全員、学校のやり方が楽なわけではない。無意識のうちによくない思考のクセがつく子だっているだろう。こどもたちが知らない間に自分自身を責めたり、教えられた正解が全てだと思い込んでしまったら嫌だ。私はそれを危惧している。


だから私は、選択肢がもっとあればいいと思う。時間とか、個人の意思の扱い方が違う場所があってもいい。そういう点で現在のフリースクールには賛同している。ただ、人を選んでしまうので、金額面は何らかの対策が為されるといいな。


極端に言えば、こどもが働ける場所があってもいいし、こどもが大人に何かを教えたっていい。結局は何をしたいかだ。こどもに限らず、全員が1番楽な状態でいてほしい。

でも現実は、人は楽な状態を続けられない。人の欠点を他の人が補填する仕組みが完成していないからだ。
勉強しないから就職できない。働けないから困窮する。困窮するから行動が選べない。人生の選択肢が減る。全て自己責任。だからみんなレールに沿って歩かざるを得ない。


本当は違うと思う。お金がなくてもごはんを食べて、学びたいことを学べるし、働きたいときに働けばいい。何もしたくない時は何もしない。

それが成り立つ世の中に早くなってほしいと思いながら、こんなことを書いた次第です。

サポートありがとうございます! いつか、どこかでお会いできたら嬉しいです。